その4

 サラサ達が謁見中、バンデリックは謁見の間の近くにある従者の控えの間にいた。


 バンデリックは控えの間に入った時、間髪入れずに、彼の長兄であるヘンデリックが入ってきた。


 オーマの副官であるヘンデリックは業務の為に、一時的にオーマの下を離れており、合流の為に遅れてやってきたのだった。


 そして、部屋に入った途端、ヘンデリックは落ち着かない様子でそわそわしている末弟を見て、ギョッとした。


 その態度は普段通りの事なのだが、長兄はいつもギョッとしてしまう。


 長兄と末弟は、兄弟だけに姿形は似ているものの、醸し出す雰囲気は全く違っていた。


 簡単に言ってしまうと、常に落ち着き払った男と、いつもそわそわしている男の違いだった。


「バンデリック、お前が何を心配しているかは分かっているが、一応話してみろ」

 ヘンデリックは呆れ顔で開口一番そう言った。


 兄弟とは言え、挨拶や近況から話す物だろうが、この2人に至っては大概こんな感じだ。


「お嬢様が謁見中なので、心配なのです」

 バンデリックは端的に説明した。


 ヘンデリックは更に呆れていた。


 思っていたとおりだった事と、端的に説明されただけで、何を心配しているか分かってしまったからだ。


「サラサ様はとてもしっかりした御方だ。

 何も心配する事はなかろうに」

 ヘンデリックはまず自分の感想を述べた。


 この感想はお世辞でも何でもなく、本心からのものだった。


 サラサの成人後、オーマ麾下の艦隊は王都駐留を打診された。


 その打診に躊躇いもなく応じたのは、サラサの存在があったからだ。


 そのような事実関係を見れば、心配する事は何もないとヘンデリックは思っていた。


 地政学上、ワタトラに強力な艦隊を置いておくのは、理に適っている。


 王都は、湾の奥なので、どうしても即応対応が出来ない。


 オーマにしてみれば、安心して任せられる人材を得た為にそうした訳である。


 なので、それまでの王都に駐留していた艦隊と交換した形になる。


「確かにお嬢様は卓越した能力の持ち主です。

 だからと言って、心配しなくてはいいという事ではありません」

 バンデリックは兄の感想が理解できなかった。


「???」

 兄は兄で、バンデリックの言っている事が理解できなかった。


(卓越しているのなら、何の問題もないと思うが……)


「お嬢様の能力は卓越しすぎているから問題なのです」

 同意してこない兄に対して、バンデリックは更に続けた。


「???」

 ヘンデリックは益々訳が分からなくなった。


 話を聞く限りでは、サラサの能力を自慢しているようにしか聞こえなかったからだ。


「兄上にはそれが分からないのです」

 兄が同調するのを諦めたように、バンデリックはそう断言した。


(いやいや、弟よ、分からないのはお前の思考の方だよ)

 ヘンデリックはそう思ったが、弟が悩んでいるので口には出さなかった。


 一応、兄としての気遣いだった。


 と言うより、いつもの事で、いつもの心配性が発症したと思ったのは間違いがなかった。


 ……。


 バンデリックの断言により、沈黙が訪れてしまった。


 文字通り、言葉が断絶してしまった。


 いや、何か、意味違うな……。


 控えの間には兄弟以外いなかったので、当然のように妙な空気になっていた。


(まあ、コイツはコイツで苦労しているのかも知れないな……)

 ヘンデリックは出来の悪い弟だと思っていたバンデリックの成長を見たような気になっていた。


(考えてみれば、私は年上でしっかりとした上官にしか仕えた事がなかったから、年下に仕えるというのは気苦労も多いのかも知れない……)

 ヘンデリックは今度は弟に少し同情した。


(ん?あれ?)

 ヘンデリックは、同情したすぐ後に色々な思いが錯綜した。


 オーマの副官になってから、ヘンデリックは色々な諸侯を目にするようになった。


 立派な者もいるが、ちょっとそれはどうなのと言う者も数多くいた。


 よくよく考えてみたが、サラサと同世代で、サラサほど能力があり、周りが見えている人物は思い当たらなかった。


 そして、能力をひけらかす者や能力がないのにその地位にいられる人物が次から次へと脳裏に浮かんできた。


 それはサラサの同世代と言うより、そのすぐ上の世代で顕著だった。


 まあ、偉い人は大概歳をそれなりに取っているので、人数の関係でそうなるのだが……。


 若気の至り……と言うものなのだろう。


 そう言った考えに至るとヘンデリックはちょっと腹立たしく感じ始めていた。


「バンデリック、お前、いらぬ心配をしているのではないか?」

 ヘンデリックは感情を抑えた声で静かに言った。


「はい?」

 バンデリックは急に兄の雰囲気が変わったので驚いた。


 雰囲気が変わった所までは察したが、なんでそうなったのかまでは分からなかった。


 ヘンデリックは裏表のない言葉でそのものズバリを言っていた。


 だが、バンデリックは今一飲み込めていないようだった。


 いらぬ心配というのが理解できないので仕方がない。


「他の諸侯と比べるまでもない事なのだが、サラサ様は分別を弁えたしっかりした御方である」

 理解が及んでいないバンデリックは、諭すようにヘンデリックは言った。


(分別?)

 バンデリックはヘンデリックの言葉尻に疑問を持った。


 まあ、言葉尻という表現はおかしいのだが、ヘンデリックにとってはそれがしっくりする感じだった。


 そして、それとは真逆のよくお見舞いされる腹パンを思い出していた。


 と同時に、お見舞いされた直後の何とも言えない悶絶感を再現していた。


 バンデリック自身はM気はないと確信していたが、傍から見ると全く違う見解になるだろう。


 再現しながら妙な表情になっていた。


「!!!」

 ヘンデリックはそれを見て、得々と、粛々と、まあ、とにかく諭そうとしていた気分をかなり削がれてしまった。


 ……。


 その為、妙な沈黙が訪れてしまった。


「あ?」

 バンデリックは変な感情に陥っていた所から、現実に戻った表情に変わった。


(こいつ、大丈夫か?)

 兄ながら心配になったが、口に出すのは憚った。


 何だか、一族の恥になりそうだったからだ。


「まあ、何だ、兎に角だ、お前が心配することは何もないと言う事だ」

 ヘンデリックはいきなり結論を言わざるを得ないと言った感じだった。


 話の流れとしては滅茶苦茶だった。


 兄なので、弟に一応気を遣うと、こうなってしまうのかも知れない。


 でも、まあ、普通は、サラサの長所なり、人柄などをもっと褒めてからそう言った結論に至るのが定石だろう。


 だが、バンデリックの反応は、そう言った理屈を完全に打ち壊してしまった。


「お嬢様は確かに年齢に不相応なほど、完璧だと思いますよ」

 バンデリックは、混乱しているヘンデリックを他所に話し始めた。


 ただ、完璧とはどう言う意味だろうという疑問が頭の片隅に湧き始めていた。


「???」

 ヘンデリックは、急にまともなことを言い始めたバンデリックに対して、怪訝そうな表情を浮かべる他ないと言った感じだ。


 傍から見ていると、2人は完全にコミュニケーション不全に陥っているようだった。


 あ、まあ、バンデリックが生まれてきた時からかも知れないが、それは今は触れないでおこう。


「完璧だから心配なのです!」

 バンデリックは自分の心配事を端的に述べた。


(あ、あああ!!)

 ここで初めて、ヘンデリックは、バンデリックの言葉に妙に納得してしまった。


 と同時に、一気に脱力感に陥った。


 バンデリックが真剣すぎる表情をしていたので、錯覚を助長されていただけだった。


 ……。


 一瞬の間。


 そのお陰で、ヘンデリックは、やはり、バンデリックが何にも悩む事がない事を確信した。


 とは言え、バンデリックの真剣な表情を見ると、落差がありすぎだった。


 なので、ヘンデリックは、なるべく当たり障りのないように、話を終えようとした。


「あ、まあ、何だ、それはお前がしっかり……」

 ヘンデリックは言葉を選びながら、事態の収拾(?)を図ろうとしたが、そこで口を噤んでしまった。


(そう言えば、侯爵閣下に聞いたことがあったな、サラサ様に参謀役を付けない理由を……)


 オーマが、サラサに参謀役を付けないのは、頭の回転の速いサラサの思考力を邪魔しない為だと。


 バルディオン王国の規模に比べて、脆弱な海軍だとは言え、参謀能力や戦術能力に優れた人物がいない訳ではなかった。


 だが、優秀な提督と優秀な参謀を組み合わせれば、優秀な艦隊が出来上がる訳ではない。


 人間関係は意外と奇妙で複雑である。


(つまり、しっかりした人物がサラサ様の下に付けても艦隊が機能不全を起こすやも知れないという事か……)

 ヘンデリックはオーマが言っていたことを思い出しながらそう考えていた。


 と言うことは、サラサとヘンデリックの組み合わせはあまり望ましくないと言える。


 それに、サラサは、頭の回転が速いのと同時に、客観視できるので、自己修正もできる。


 こう書けば、最強の人物のような気がするが、それ故に感情の揺らぎが大きい。


 その為、適度に、そして、上手にガス抜きをしてやる人物が必要になる。


(それが我が末弟という事か……)

 ヘンデリックは普通だったら感動する所だが、そうではなく、不憫に感じた。


 まあ、他人ならともかく、兄弟ならこっちの方が自然なのかも知れない。


 その理由は、敢えてここでは触れないでおく。


「どうしたのですか?兄上……」

 バンデリックは鈍い方だが、流石に兄の憐憫の視線を感じて、戸惑った。


 話の流れから考えると、そうなるとは予想できないからだ。


 やっぱり、この兄弟はコミュニケーション不全に陥っているのだろう。


 だが、この会話のキャッチボールができないが、兄弟の絆みたいなものを感じざるを得なかった。


「まあ、何だ、お前は幼少の頃からずっとサラサ様に仕えてきたのだ。

 これまで上手く行っているのだからそのままでいいのかも知れないな」

 ヘンデリックはそう言うと、自分で納得する他なかった。


 サラサとバンデリックの間に出来上がった絆は、兄である自分でさえ、理解の及ばない領域なのだろうと感じていた。


「はぁ……」

 褒められたような形になったバンデリックは戸惑っていた。


 兄ヘンデリックに褒められることは滅多にないことだからだ。


 まあ、兄にとっては褒めていると言うより、諦めたと言った感じの方が強いのかも知れないが……。


「でも、なあ、バンデリック。

 サラサ様を『お嬢様』と呼ぶのは止めた方がいいのではないか?」

 ヘンデリックは、兄らしくバンデリックに忠告した。


 と同時に、控えの間の扉が開かれ、謁見が終わったサラサとオーマが入ってきた。


 その為に、兄は弟の返事が聞けなかった。


 なので、忠告が聞き届けられないことを確信していた。

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