第12話 後日談 上
故郷の空港は海上空港であった。
自然島の玖島を切り開いて作られたもので、後々の関空や神戸空港の先駆けとなった。神戸空港からの便で、私は杖を取って空港ゲートを抜けた。
会社にはまだ出社できる体調でもなく、まだ歩行には不安があるが、性急に訪問を進めた。中学二年生で反抗期の娘は、中総体の練習を潰されて機嫌が悪く、
俳句の語数ほども会話がなかった。
空港には高齢の、叔母夫婦が出迎えに来てくれた。叔母は、母の妹にあたる。
「久しぶり、電話で聞いて心配したけど、もう大丈夫そうね。眼鏡も変えたのね。見違えたわ」と叔母が声をかけてきた。
「事故で壊してしまって、これは前に作った古いヤツです」
妻に左側を支えて貰いながら、後部座席に収まった。反対側のドアを開けて、真ん中に妻が狭そうに座り、最後に蓋をするように衣花は座った。
叔父の運転で菩提寺に向かった。
事前に掃除してあったらしく、真新しい生花が生けられていた。病室で最初に見た待宵草だ。黄色の花弁が可憐だった。
「姉の、いえ貴方のお母さんの花よ」と叔母が小さく言った。
杖をつきながら線香の火をつける作業を見ていて、はっと気がついた。
「お墓の文字を塗り直したんですね。すみません、長いこと管理をお任せしてしまって。それと・・・母の名前が赤文字なんですが」
「ああ。何言ってるのよ。お母さんはまだ行方不明のままよ。もう諦めかけているけど、ここに来たらひょいと逢えるかもって。掃除も苦にはならないのよ」
「行方不明?」と怪訝の色を隠せなかった。
「そう、長崎に居たのよ。神隠しになったのは、あなたが三つの頃よ」
そうかと思った。夢はまだ続いている。
側面を見ても母の享年が記されてはいない。まだ死去という選択肢をとり難くて、赤文字を入れたのだろう。
母はまだ私の周遊券で、列車の中で待っているかもしれない。
翌朝はホテルで目覚めた。
家族で出かけるのでタクシーを手配していた。
故郷の街の支店は閉店していて、諫早の本店に向かった。
瀟酒なガラス張りのビルの二階に本店があり、車椅子を店員が用意してくれて、誘導もして頂き楽にそこまで辿り着いた。
「このお店ね、ネットでも有名な鰻屋さんなのよ」
秋のお茶会に向けて頑張って髪を伸ばしている妻が、衣花に促すように言った。その意を察して、彼女は私の顔をじっと見たが口は一文字に結んだままだった。
せいろで蒸された一本身の鰻と肝吸い、ご飯に香の物、茶碗蒸しに鰻の骨の煎餅などが並んでいる。どれも板前の技と贅が尽くされている。あの日、家族で食べたいと願った御膳だった。
「二人に話しておきたいことがある。これから突然に私が姿を消しても、驚かないで欲しい」
一体何を言い出すのよ、と表情に乗せた妻は私の真剣な顔を見て、押し黙った。私は厳重に封をした書簡を差し出した。娘の目は何かに怯えているようだった。書簡の中には経緯を記した手紙と、私の受け継いだ周遊券も入っている。
「異変があったら読んで欲しい。口で言っても忘れてしまうから」
「一体どうしたの」
「今度の件でね。人生には何があるか判らないって思ったんだ。私は大学生の時に父が急死したからね。葬式の後は色々と大変だった。もうお前たちには苦労をかけたくないんだ」
「なんだぁ、そんなことか」と娘が口を尖らせた。
いつかお前にもわかる日が来るよ、と思い、鰻に箸を入れた。
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