シャトレー晴夢に霊ッ憑業!

北森青乃

第1話 夏のある日




 ……んっ



 全身に染み渡る甘い吐息。



 ……はぁ……



 至る所に零れ落ちる熱い雫。


 それは余りにも不可解な光景だった。

 薄暗い中電気もつけず、カーテンも閉めず、なぜ自分はベッドに裸で寝ているのか。

 そして……



 はぁ……はぁ……



 なぜ、女性が自分にまたがっているのか。


 理由も過程も記憶にない。

 ただ、もうそんなことはどうでもいい。


 大事なのは自分と女性が、そういう関係を持とうとしている事実だけ。



 んっ……んん……



 月明かりに照らされ、より一層の色合いを醸し出す長いブロンドの髪。

 俯くような体勢で、その顔は分からない。


 だが、ゆっくりと動くたびに漏れる吐息は、鼓動を大きくするには十分だ。

 いつの間にか、そのすらっとした腰に宛がっていた手にも力が入る。



 ……はぁ



 白く、レースがあしらわれた下着。

 見れば見るほど色っぽい腰つき。

 その動きに合わせて揺られる2つの桃。

 雑誌や画面の中でしか見た事のなかったものが、目の前に存在する。



 はぁ……んっ……



 部屋の温度なのか、自分の体温なのか分からない。ただ、全身が熱く体中に汗が噴き出る。

 それでも……それを拭く余裕なんてない。いや、拭く事すらもったいなかった。



 んんっ……



 こすれ合う肌と肌が熱くなる。

 その感覚を求めるように、幾度となく同じ動きを繰り返す。


 甘い吐息は段々と荒くなり、お互いの汗が混じり合う。

 何とも言えない高揚感が体中を覆い尽くす。



 ……アッ……



 そんな時だった。

 一線を越えた様な艶やかな声と共に、女性が少しのけぞり……その顔が露になる。

 美しく、長い髪の間から見える顔は……まるで人形の様に整っていた。

 綺麗というよりは可愛いといった方が当てはまる。


 初めての相手としては申し分ない。

 これこそが、自分が待ち望んだ光景そのものだった。


 鼓動が波打ち、一つ大きく息をのむ。

 視線の先には、女性の透き通るような緑色の瞳。


 朧げな表情も相まって、どこか引き込まれそうな感覚に襲われそうになった途端……



 不意にその唇が動いた。



 ……ちい……











「だぁぁぁぁっちぃぃぃぃぃ!!!!!」











 その悪魔の怒号が、一瞬に脳みその隅々まで響き渡る。


「うわっ!」


 上ずるような声が反射的に口から飛び出ると、一瞬にして辺りが鮮明に映し出された。

 あらゆるものが置かれた棚。

 真新しい机にパソコン。

 どこか見慣れた始めた光景。

 それだけで今の状況を理解するには十分だった。


(あれ? 俺もしかして寝ちゃってた?)

 そんな疑問を浮かべながら、ふと机に置かれたデジタル時計が目に入る。そこに表示されていたのは20:10。

 なんてことのない時間。なんてことのない数字。いつもならそうなんだろうけど、今の自分においてその10と言う数字は余りにも恐ろしいものだった。


(えっ……10分? 8時じゅ……)

 一瞬にして心臓が締め付けられる。

 まだ寝ぼけていた意識が覚醒され、全神経が研ぎ澄まされる。


「やっ、やば」


 そして、反射的に椅子から立ち上がろうとした時だった。


「ほぉ……休憩時間10分もオーバーとは……やるなぁ」


 背後から聞こえる……声。

 ここ数カ月ですっかり聞き慣れた声の主は、振り返らずとも誰だか分かる。


「10分……私の喫煙時間リフレッシュタイムが遅れた訳だ……」


 ましてやその声のトーンで、今現在どんなご機嫌状態なのかすら理解可能。


(これはヤバい。非常にヤバい。けど、ここは素直に……)

 体を駆け巡る緊迫した空気。ただ、このままずっと座って入れない俺は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、恐る恐る後ろを振り向きながら……


「いっ、いやぁ。すいま……はっ!」


 誠心誠意の謝罪を口にしようとした瞬間、そのご尊顔が視界に入った。

 

 黒ぶち眼鏡の中から光る眼光。

 その鋭い眼つきは機嫌が悪いという現れ。

 口にくわえた煙草が、それを物語る。


 恐ろしい……ただただ恐ろしい。

 冷たい何かが額を伝う感覚に襲われる。

 何とも言えない威圧感に、危険信号が頭の中に響き渡る。


(……ここは逃げろ!)

 その刹那、体が瞬時に動き出す。


「はっ……はは……てっ、店長! 休憩あがりまーす!」


 我ながら感心するような身のこなし。

 生命の危機に瀕した時、人はあり得ない力を発揮すると言うけど……まさにそれを身に持って感じた瞬間だった。


「ちょっ……」


 そんな声が聞こえたような気がしたけど、きっと気のせいだ。

 そう言い聞かせながらバックヤードの扉に手を掛けると、俺は力強く押し開いた。


(はぁ。なんか良い気分だったはずなのに……)




(気のせいかな?)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る