クーデレ彼女は暗殺者


「……おはよう、奏太」


 俺が玄関の扉を開けると、太陽の光よりも先に、彼女の微笑みが飛び込んでくる。


 彼女の名は緋色。


 すらりとした程よい肉付きに、腰あたりまで伸びた黒髪。

 鼻筋の通った顔つきは、クールビューティーでありながらも、どこかあどけなさの残る可愛らしさもあり、間違いなく美少女という部類に入る。


 緋色は普段はクールで無口なのだが、うちの高校に転校してきた初日から、俺にだけやたらと微笑みかけてきたり、話しかけてくる。

 そして今日もこうして、俺の家までわざわざ出迎えをしてくれているというわけだ。


「おう、おは……」


 それは、俺が挨拶の言葉を言い終えるまでの数瞬のことだった。


 彼女は手慣れた動きで、俺の制服のズボンからベルトを引き抜き、俺の首にかけようとしてくる。


「おっと、まだ靴紐を結んでいなかった」

「……っ!?」


 俺は素早くかがみ込むと、緋色は予想外の動きに、ベルトを持ったままふらつく。


「……くっ」


 家の壁に手をつくと、緋色は露骨に悔しそうな顔を浮かべる。


「なるほど、俺のベルトを一瞬で奪い、ズボンを下ろして動きを封じ、首を絞めて殺そうとしたわけだな」


 現に、緋色にベルトを奪われた俺のズボンは下にずり落ち、男物のパンツを晒してしまっている。


「…………っ!!」


 全てを読まれていたことに気づいた緋色は、羞恥に頬を赤くする。


 言い忘れていたが、緋色は俺を殺すために現れたプロの暗殺者だ。

 どうも、未来の俺は国を揺るがすほどのとんでもないことをしでかすらしく、それを阻止するべく緋色は未来から殺し屋として派遣されてきたという。

 未来の俺がなにをしでかすのかは知らないが、こっちもまだ命は惜しい。「お前はやばいから死んでくれ」と言われて「はいそうですか」と殺される俺ではない。


「そんじゃ、行くか」

「……そ、そうね」


 と、言いつつも最近は緋色の手の内を読むのは容易となり、読みが外れれば殺されるというスリルを楽しめるようになってきたため、緋色とこうして登下校をし、一緒に昼飯を食ったりする仲にまで発展している。


「ね、ねぇ……」

「ん?」


 少し歩いたところで、緋色はもじもじと上目遣いでこちらを見つめてくる。


「……手、繋いで行かない?」


 おずおずと手を差し出してくる彼女。その表情は可愛らしく、こんな子に頼まれては断れない。


「おう、いいぜ……と、その前に」


 俺は緋色の白い手に向かって手を伸ばし、


「……あっ!」


 そのまま彼女の腕を掴み、手早く鞄から水とハンカチを取り出す。


「爪の毒を落としてからな」

「ち、ちょっと……!」


 彼女の爪先には、やはり毒薬が塗られ紫色に光っていた。

 おそらく、これで握った俺の手に爪を立てて、体内に毒を送り込み毒殺しようという魂胆だったのだろう。


 緋色の指先に水をかけ、ハンカチで毒薬を綺麗に拭き取る。

 こんな前触れもなく手を繋いでいこうなどと言われれば、嫌でも気がつく。

 まだまだ緋色も詰めが甘いな。爪だけに。


「よし、これで綺麗になった。ほら、手を繋ぐか?」

「〜っ!!もう、いいわよ」


 拗ねたように口を尖らせる彼女。

 なぜ、殺されそうになりそれを回避しただけで、拗ねられなければならないのだろう。

 まあいい、いつものことか。

 そんなことを考えていると、学校にたどり着いた。


 ☆



「本日は、カレーライスを作っていきます」


 その日は、調理実習だった。

 俺と同じ班の緋色は張り切った様子でバンダナを頭に巻くが、多分張り切っているのは俺を殺すことに対してだろう。


「……私、野菜切る」


 用意されたニンジンやらジャガイモやらを前にして、真っ先に挙手する緋色。


「本当?じゃあ、ニンジンをお願いできる?」


 同班の子に包丁を手渡される。

 まずいな、こちらで対策をする前に緋色に包丁が渡ってしまった。


「……うん。奏太」

「な、なんだ?」

「野菜、洗ってくれる?」

「お、おう」


 キッチンの洗い場で軽くニンジンを水洗いすると、緋色に手渡す。

 彼女はそれを受け取ると、まな板の上でニンジンを切っていく。


 トントン


 シュッ!


 トントン


 シュッ!


 トントン


 シュッ!


 おお、流石は緋色だ。なんとも手際がいい。


 だが、3回に1回ほどの回数で、俺に向かって包丁を振り下ろすのはやめていただけないだろうか?

 この振り下ろしてくるスピード、あまりに恐ろしく早い動きのため、俺以外の奴の動体視力では見えていないらしく、みんな何知らぬ顔で調理実習に励んでいる。


「奏太。タマネギ切って」


 ニンジンを切り終えた緋色は、タマネギを差し出してくる。

 なるほど、俺にタマネギに含まれる催涙成分で俺の視界を奪い、その隙に俺を切り刻もうという魂胆だろう。


 だが、それはカレーの甘口よりも甘い。


 俺は言われた通り、トントンとタマネギを包丁で切り落としていく。

 そもそも、タマネギを切るとなぜ涙が出るのかというと、タマネギの細胞は壊れて中に含まれる『硫化アリル』が気化し始め、空気中へと放出される。これが目や鼻に入ると涙が出るのだ。

 だが、緋色の暗殺によって鍛えられた視力を持ってすれば、この『硫化アリル』など目視で捉えられるため易々と避けることが可能だ。

 これでタマネギからの脅威は避けられた。問題は緋色だ。


 俺がタマネギを切り終える前に斬り殺そうという考えらしく、緋色はもう一本の包丁を構えて二刀流となり、こちらを見据えていた。

 しかし、その考えも甘い。


 タマネギの硫化アリルすら見える俺にとって、もはや緋色の二刀流など脅威にはならない。

 トントンとタマネギを切りながら彼女の斬撃をことごとく交わす。


「こらっ!そこ!」

「!?」


 調理実習の先生が、つかつかとこちらに歩み寄る。


「包丁を2本も持ったら危ないでしょう!」

「……すみません」


 緋色はしゅんとした様子で、包丁を一本直す。調理実習の先生にも彼女の恐ろしく早く俺でなきゃ見逃しちゃう包丁さばきは見えていなかったらしく、その後も俺への斬撃は続いた。


 その後も、カレーの熱湯に顔をぶち込もうとしたり、俺のカレーに毒薬を入れようとしたりと、小賢しいことを繰り返してきたが、全て回避してやった。


 ☆


 こうして何度も殺されそうになりながらも、学校が終わり緋色と共に下校する。


「前から気になってたんだけどよ」

「?」


 彼女と横並びに歩道橋を歩き、下の車道で走る車を眺めながら、緋色に話しかける。


「この歩道橋、登下校で毎日使っているのに、俺を突き落とそうとしたことないよな。お前ならいかにもやりそうな手口だが」


 緋色はふるふると首を横に振り、


「……他人は巻き込まない」

「なるほど」


 深くは問わなかった。

 まあ、彼女なりの美学があるのだろう。


「じゃあ、寝込みを襲わないのは何故だ?」


 まさか思いつかなかったわけはない。

 俺が寝ているところから殺せば、彼女のミッションは到達されるだろうに。

 しばらく彼女は黙り、やがてゆっくりと口を動かし、


「……卑怯だから」


 そう呟いた。


「ひ、卑怯って……暗殺者って、そもそもが卑怯みたいなもんじゃないのか?」


 現に、朝から不意打ちばっかりじゃないか。


「……対処できないところから襲うのは、卑怯」

「そういうもんか?」

「……私は未来のあなたとは、違う」


 キッと睨まれる。


「なあ、未来の俺はマジで何をしたんだ?」


 本当に、何をしたらそんな恨みを買うことになるんだろうか。

 そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかと思うが、彼女の答えはいつも通りだった。


「……禁則事項」


 嘘つけ、と思う。

 それ以外の情報はペラペラ喋ってるのに、それだけ都合よく禁則事項なわけがない。


「あなたが私に殺されて、死ぬ間際に教えてあげる」


 なんと悪趣味な話だ。

 血ダラダラ流しているところで真相を話すのは、よく映画やドラマである展開じゃないか。


「……じゃあ、また明日」


 彼女は手を上げ、そのまま小走りで帰っていく。

 緋色はおはようの挨拶するまでは絶対に殺さないし、さよならの挨拶をしたあとも絶対に殺しにやってこない。


 つまり、これで明日の朝までは命の保証はされた。


「ふう、帰ってゲームして寝るか」


 沈みかけの夕日を眺めながら呟く。

 緋色がやってきてから、なんというか俺の退屈な毎日は一変したといっていい。

 そりゃそうだろ、毎日あの手この手で殺されかけるんだぜ?普通の人なら絶対にノイローゼで死ぬ。間違いない。

 生まれながらの神童だった俺にとって、この世界はあまりに退屈だった。


 明日はヘマをして殺されるかもしれない。

 そんなスリルが俺を高揚させ「上等じゃねぇか」と高笑いしながら帰路に着いた。

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