第17話 軍師
「……
別に寝ていたわけではない。目を瞑っていただけだ。そんな強がりを心の中で呟きながら夏徳はゆっくりと目を開けた。
寝ていたわけではないと心の中で呟いたくせに、睡眠を邪魔された苛立ちが少しだけ夏徳の中で持ち上がってくる。
夏徳は灰色に近くみえる薄い黒色の瞳を自分の睡眠を邪魔した張本人に向けた。その視線は明らかに尖っていただろうと夏徳は思う。
「寝ていたわけではない。考えていただけだ」
明るい茶色の髪に片手を入れて掻き回しながら、尚もそんなことを言う夏徳に、声をかけた
「そうですね。そうかもしれませんが、周りからは寝ているようにしか見えないですよ。それに、残念なことに涎もついてますしね。
丁統に言われて夏徳は無言で涎を拭う。
「で、どうしたのだ。俺の思考を邪魔するのだから、それなりの理由があるのだろうな」
「
涎を拭いながらも未だに強がる夏徳の言葉には取り合わず、丁統がそれだけを言う。
「呂桜様が?」
夏徳は眉間に軽く皺を寄せた。
「……軍師殿がいないと先程からお探しです」
「軍師? お目付け役の間違いだろう」
わざわざ否定する夏徳の言葉に丁統は慌てた素振りで左右を見渡した。他の者に聞かれたら流石に不味いといったところなのだろう。
「別に悪口ではないぞ。事実を言っているだけなのだからな」
夏徳は胸を張って言うと、丁統は再び情けなさそうに溜息を吐き出してみせた。
「そんなことばかりを言っているから、名誉ある東方軍の軍師を解任されるのですよ。それに、夏徳様がその奔放な言動で不利益を被るのは構わないですが、私を巻き込まないで下さい。私はこれからの人間なのですから」
軍師を外される。嫌なことを言うものだと夏徳は思う。自分で自分のことをこれからの人間だと言ったり、何よりも夏徳自身が不利益を被るのは構わないとは、夏徳の副官でありながらどんな言い草だと夏徳は思う。
夏徳は改めて自身の副官の顔を見た。その視線に気がついて丁統は口を再び開いた。
「私ごときが言うのも何ですが、夏徳様はここを追い出されたら行く場所がないのですよ。それとも、心機一転で一兵卒にでもなるつもりですか?」
言うのも何ですがと言うぐらいであれば、言わなければいいのにと夏徳は思う。それに、二十歳をいくつか超えたばかりのくせに、知ったような口を利きやがるとも同時に思う。
しかし、あまり認めたくはないことではあったが、丁統の言う通りでもあった。ここを追い出されたら、それこそ一兵卒になるしかないのかもしれなかった。それとも、出世の見込みなどが全くない田舎の役人か。
「ふん、で、姫様はどこだ?」
「夏徳様……」
丁統が心底情けないといったような声を出した。
「呂桜様です。将軍です。姫様などと言っていることが、姫様ご自身にでも知られたらどんな目に会うか……」
「あ、お前も姫様って言いやがったな」
夏徳が嬉しそうな声で子供のような指摘すると、丁統はがっくりと頭を垂れてみせた。そんな丁統を見ながら演技がかっていて、ご苦労なことだと夏徳は思う。だが、程度の問題は置いておくとして、丁統が夏徳の身を心配していることに嘘はないのだろう。
まあ、揶揄うにしてもこれ位にしておくか。夏徳は心の中で呟く。
「もういいです。疲れました。早く行って下さい。呂桜様が天幕の中でお待ちです」
「何だ、三十五歳の俺より十歳以上も若いのに、もう疲れたのか?」
そんな言葉を残して夏徳は、やれやれと思いながらも呂桜がいる天幕に気乗りがしない足を向けるのだった。
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