第23話 半裂
私は逡巡した。
今直ちに山を降りて、色葉の元に駆けつけるか。
しかしそれにも時が惜しい。上手いこと誘き出されたものだ。
沈思して結論を出すしかない、と思った。裏付けになる確証が欲しい。というのは相手が地縛性のものではないか、という可能性が残っているからだ。
私よりも古参で、5世紀近くの長き眠りにあった石女尼が、この近日に蘇ったということ。あの能力をみれば、もっと口伝えに広まり昔物語の列に並んでいよう。
それがない、ということはこの地に縛られているのではないか。
ならばその根城ごと粉砕すれば、色葉に憑依はできまい。
そして懸念もある。
水の電気分解の能力と、憑依もしくは復活する能力。
敵が、石女尼がふたつの能力を駆使しているのか、ということだ。もしそれが事実であれば、私よりも遥かに格上ということになる。
氷壁にもたれて口をつぐんだので、胡座をかいて座っている甘利助教は心配そうな面持ちで覗き込んでくる。
「復活なんて可能なのか・・・」
「猿は勘弁だけど、私はね。あの亡霊たちを喰べちゃうのよ。そうしたら記憶も受け継ぐの」
「何だって!僕もそうする気だったのか?」
「ふふ。とても美味しそうよ、タイプだわ」
「冗談でもない。勘弁して欲しい」
「さっきのは天正十年の真田兵だったというのは、話したわね。とても恐れていた魍魎がいたの。亡霊の記憶を読み取れるからわかったことなんだけど。それは流行り病いのように痘瘡が生まれて、それが人面になって喋ったらしい。何だか似ていない?」
「あれが・・人面瘡になって、喋るのか」
「面妖と彼らは呼んでいたわ」
「雪女に対しての陣を彼らは張っていたのではなかったのよ。遠目で射掛けて斃すという目的は、接近戦では感染してしまうことも恐れていたの。面妖が意識を持ちだすと、本人は物狂いになり同輩を斬り刻むの。叛逆者として味方に成敗されるか、狩りこまれて自死するのかの選択肢よ」
そう。
それに色葉の肩甲骨の痘瘡に眼球が生まれていた。
もう余裕はない。
「それも石女尼なのか」
「わからない。面妖で憑依する能力と、水を電気分解する能力。違い過ぎてひとりとは思えない。
「では複数が待ち伏せしている可能性もあるのか」
「もし相手がその両方を駆使しているのであれば、って考えるとぞっとする」
そう。
それに先刻の真田兵には石女尼の気配はなかった。
押し黙っていた彼は「あっ」と小さく叫んだ。
「君たちにも学名とか、分類名が必要だな。魍魎類というにはどうだろう。学名って僕の名前を冠してもいいのかな」
学者肌というのは全く浮世離れしている。
「呑気なものね。これでタイプじゃなくなったけど」
微笑みの裏返しで、そっと耳元で囁いてやる。
「発表でもしたら、速攻で喰べちゃうわ」
尾根筋は危険と判断した。
裸の梢が槍のように突き立っている森林を登っていた。落葉樹は葉を落としており、時には葉溜まりが六尺も堆積しているので、足元を探りながら歩いた。
城に巣食う武者がまだいるのであれば、落とし穴なども掘られているかもしれない。
「雨飾城で石女尼が刑死したのは、信長よりも一昔前よね」
「ああ、信玄でさえ若手の頃だな」
「彼女が真田兵を恨み抜く理由がわからない。その時期は武田一門で真田と望月は重畳に扱われていたのでしょう? 彼女が歩き巫女、女忍としてこの城に潜入するときには、刑死は覚悟の上だったはず」
「そうだな。石女尼はあの図画しか記録はない。しかし尼飾城と呼び名が変わったことを類推すれば、恐らく遺骸は磔にかけられたまま長い間、晒されていたのだろうな」
十重二十重に馬防柵が城を巡っている。
その茫漠とした平原に、遠く鳶が滑るように旋回している。戦さ場に転がる屍肉を狙っているのだ。
三面を断崖に守られている堅城の、望台を持つ曲輪に遺骸が掛けられている。腐肉は鳶に削りとられ、青黒い骨に、屑となった布地が赤黒い血痕も露わに暴れている。
そんな光景を見たはずはないのに鮮やかに脳裏に浮かぶ。
「それでも真田は動かない。信玄からの叱責の書状がくるくらいだ。つまり敵討ちもして貰えず、味方に唾棄されたと。それなら真田に対して憎しみが募るだろう・・・君たちは憎悪が魂を繋ぎとめているのじゃないのか?」
「まだそれでは強力な魍魎となるには、弱いのよね。せいぜいが亡霊になる程度だと思う」
やはり複数の魍魎を相手に想定するべきなのか。
そうであれば却って有り難い。
気配がないなんて頼りない根拠だし、それも折り込み済みの罠かもしれない。そこに縋りたいのは弱さなのか。
「なあ、その敵は何処に潜んでいると思う?」
「あの古井戸に決まってる。事の発端はそもそも井戸なのよ」
そうだ。
水を分解できる魍魎は、水源に執着しているに決まってる。その代償で彼女はきっと地縛性の魍魎だ。
動けない彼女に肩入れしているのが、面妖の魍魎。
すとんとそれが心の風穴を塞いだ気がした。
しかし私は失念していた。病床の色葉の言葉を。
あれは井戸ではないのよ、と。
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