第21話 半裂

 構わないわ。逆らえば喰べちゃうから。


 それは本心でもあったし、予め思案していた事でもあった。

「食べるって?」

 甘利助教はその表層の理解までも到達はしていなかったし、あるいは男女の道の事とでも勘違いして、声に色が乗っている。

 それにしても石女尼、なかなかやる。

 先刻の猿鬼の襲撃は、私の能力を秤りにきたのだと思う。というのも、私も何故この人間を伴っているかというと、同様に餌にして石女尼の力を推し量るつもりでもあったからだ。

 もし奴に喰われそうであれば先手を打つまで。

 先に喰べてしまえば、この男の現時点までの知識を手に入れることができる。しかし使い捨ては、惜しくなった。私が先導をしてあげれば、もっと精度の高い望月千代女の類歴が得られそうだし、母の存在さえも炙り出せそうだ。

 さらに武道の心得もあれば、こちらの手数も割かずに済む。この男は自力でこの城跡から生還出来る能力を持っていそうだ。

「敵なのか、あれは」

「石女尼よ、貴方が教えてくれたでしょう」

「馬鹿な!戦国期の話だ」

「私もよ。寛文の生まれ。昔語りをしてみましょうか」

 肩を大きく揺らせて狼狽する。そう彼は信じる以外に道はない。

「雪女の裸はさっき見せてあげたわよね。冥土語りには充分なものよ。全く高くついたものね」と小声で笑って見せた。

 葉を落としきった雑木林を歩んでいくが、様相にきな臭いものを感じた。尾根のように細道の両側が斜めに削られている。

 彼がヘッドランプを向けると、灌木の枝が、鋒をこちらに向けて帯状に突き立っている。全ての枝が尖り、鋭い牙を剥いている。ここに滑り落ちでもしたら只では済まない。内臓や太腿を貫通されたら失血死が待っている。

「逆茂木だ。いけない,次は」と助教は私を抱き抱えるようにして、頭を伏せさせた。その耳朶の側を、左右から渦を巻いた突風が掠めていく。両岸から弓を射掛けられている。

 大きな手が弾かれたように離れていく。液体窒素の衣で、指先に疼痛を覚えた筈だ。衣でよかった、直に触れたら凍傷どころではない。それが雪女の白肌よ。

「横矢掛りの伏兵がいる。この城はまだ生きてる!」

「弓手は猿鬼ではないわね」

 猿の指では構造的に弓を引けない。関節構造と母子球筋の構造が違って、親指が独立して動かないからだ。つまり細い弦を摘んで引くことができない。

「人間なのか」

「もと、ね。亡霊なのよ。戦国の代からの」

 この罠もかつての智慧の結集だ。つまり逃げ場のない尾根筋に晒され、両翼から横矢を十文字で撃たれている。下手を打って駆け出したら滑落して、逆茂木に縫い止められる。

 ふふ。

 追い込むわね。

 ここに拠点を置いて、長距離で仕留めていくのがいい算段だろう。防御目的の簡易的な曲輪を作ろう。

「ここに壁を立てておくわね。このまま臥せていて」

 地表からめきめきと、四方に氷壁を伸ばしていく。厚みは1尺もあればいいだろう。彼らの矢では撃ち抜けまい。

「あんなのも亡霊なのか?」

「亡霊っていうのはね、生きている雷なのよ。生命の意識は、神経系が司るわ。その神経系は微弱電気で意思を伝えるの。つまり意識は電子的な存在、それが怨念や恨みなどの強い意識が滞留して、磁場層とか静電気に宿って実体化するの」

 氷壁にがつんがつんと衝撃がくる。

「これは」

「本物の矢ではないの。自らの雷撃を切り分けて撃ってくる。いずれ蓄電量が不足して、亡霊の姿も保てなくなる。ここに籠っているだけでも、充分に兵糧攻めになっているのよ。それに連中は記憶に残る武器しか使えない」

 さてと。

「そろそろ討って出るわ。連中の頭目でも喰べてくる」と私は身を起した。

「危なくないか?」

「ここにいても何も掴めない。こちらの手札を晒していくばかりよ。それに・・

私の身の心配ならいらないわ」

 頭髪が蛇の鎌首のように持ち上がっていく。

 おそらくは凄絶な笑みを浮かべているだろう。

「種子島はあると思う?」

「寄手次第だな。真田方なら持ってる。東条方なら恐らく持っていまい。旗印は見えるか?」

 私は夜目を凝らしたが、雲を呼ぶ風で月が隠されている。

 現代の人間よりも夜目は効くが、両岸の逆茂木の上方に、敵方の段違い曲輪があることしか見えない。ヘッドランプの光を当ててみるが、旗刺しものの類はない。敵も這いつくばり、息を凝らしているに相違ない。

 氷壁を跨いで、歩み出す。

 霧絹を翻して、寄り切る。

 雷撃を砕いて、踏み抜く。

 その姿に、左右から投げ槍が投擲される。

 しかもそれが肉を砕き、ずぶりと貫通する音がする。それが一合、二合と続く。声を押し殺した悲嘆の声が遠くでする。甘利助教の声だろう。

 ふふふ。

 かかったわね。 

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