第16話 半裂

 名刺を受け取った。

 建設課の橘係長から紹介を受けた方だった。

 ごつごつと盛り上った頬骨の特徴的な50代の男性だった。髪は根本に白髪が目立つものの、豊かにのたうつように頭蓋骨を固めている。精悍な容貌に笑みを噛んで名刺を渡してきた。

 肩の筋肉が盛り上がり、下腹にも余計な脂がついてなさそうだ。

 フリースの上にツィードのジャケットを着て、分厚い生地のパンツを履き、靴はアウトドア向けのワークシューズだ。

 つまり野外慣れしている風体の男だ。

「甘利助教さんですね。民俗学のご研究をなさっている」

「はい。見ての通りの貧乏学者ですよ。県内の博物館とかの展示物についての監修とか補修とか、まあ雑用係ですね。あとは信州大での一般教養科目でいくつか地域史とか、学生のフィールドワークの指導とか。まあ、そんな所です」

「今回の件で、尼巌城にあったという涸れ井戸の件、ご承知でしょうか?」

「はい。その関係者に起こった顛末も、色々と伺っています」

「歴史的な曰くがあるとか聞きまして」

「そうですね。落城の際にまあ宜しくない顛末がありましてね」

 煙草を吸うようだ。話のなかに焦げ臭い匂いが混じっている。

 甘利という学者が語ったのは以下のようなことだ。



 戦国時代のことだ。

 その城は地元の国人、東条氏によって築かれた。東条氏は越後の上杉家の後ろ盾を得て居城を成立させていた。当時は雨飾城と呼ばれていた。

 来る上杉謙信と武田信玄の予定戦場を見渡せる、急峻な場所に城はあり、両家の争奪戦の最中にあった。第4次川中島合戦の直前の1553年、信玄は智将真田幸隆に命じて、雨飾城の攻略を急がせた。それは信玄の書状に残っている。

 真田幸隆。

 武田軍にあって、異質な将であった。

 戦国最強とも讃えられた信玄にも窮地に陥った瞬間がある。

 いわゆる砥石といし崩れの敗戦だ。

 堅牢無比な砥石城の攻略を誤り、武田軍は戦略的な撤退を余儀なくされた。

 城兵五百に対して七千の大軍で攻め上げたが、陥落できなかった。ばかりか村上軍の援軍により挟撃される展開となった。

 その撤退戦の中で陣形をさらに誤り、本来ならば緒戦や先駆けで使うべき侍大将を後方の殿戦で使い潰した。村上軍に追われてほうほうの体で、望月城に逃げ込んでいる。この戦で甘利備前守、横田備中など歴代の腹心を含め一千人を喪失した。撤退中に逃散した兵は記録にも残っていない。

「当時の若き信玄には焦りというか、粗暴な一面もありましてね。先の志賀城攻めでは野戦で奪った上杉勢の生首を三千首も棚に並べて、籠城する兵を脅したという話が残っています。然しながらその行為が、この籠城戦の兵の結束を固めたというしくじりでもあります。信玄に降伏しても首になるというのであれば、城兵は死にもの狂いになりますよね」

 信玄が逃げ込んだ望月城、当主は望月信雅という。

 かつては望月源三郎といい、武田とは敵対関係にあった。父親は城から逃げたが源三郎と弟の新六は無類の働きで抵抗した。が、その武を惜しんだ真田幸隆の仲裁で武田側についた。これだけの将が降ったのだから、信玄は大いに悦び「信」の一字を与えたことで、彼は望月信雅と称した。

 そう真田幸隆という将は、この手の謀略に長けていた。

 信玄が力攻めで敗北した砥石城さえ、後に幸隆は謀略で乗っ取った。

 その幸隆が城攻めをする、それは謀が主軸となる。彼の片腕と目されていたのは、六ヶ城を居城とする望月盛時の細君、望月千代女である。

 千代女は、偶然ながら旧姓も望月という。甲賀の望月氏の家系となる。つまり調略で生湯を使ったような家だ。その彼女が信玄の命で、歩き巫女の養成所を作った。当時巫女は、関所を手形なしに通過することができた。

 その目的が何であるかは、自明だ。

「そうなんです、実は私もその甘利氏の血筋でして」

 貴方の血筋なんてのは興味もないけど。

 私が聞きたいのは、その千代女の話だった。母が関係しているのかもしれない。これは良い縁を得た。

 秋口の事件で、母と千代女には何らかの関係があることを色葉は千里眼で見抜いた。しかし私は色葉のその能力を開花させたくはない。

 この助教が文献で知り得たことだけでも助けになる。もしくは古文書を見せて貰うだけでもいい。当時の文献でも私には娘時代の文書だから、訳なく読める。

「雨飾城がどうして尼飾城になったのか、ご存じですか?」

「いえ」と学生の手本のようにかぶりを振った。

「そこにはちょっと残酷な秘話があるのです。この東条氏の城の攻略で、犠牲になった巫女がいるのです。私はそれを歩き巫女ではなかったか。つまりは真田方の間者ではなかったかと思うのです」

「歩き巫女」

「処刑した巫女のむくろをですね。城の望台にさらしたのです」

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