第4話 鎌鼬

 冬眠前の熊が出るという。

 猪の作物被害も多く、猟期が早まるという案内も出ている。

 夕映えの刹那のような、駆け足の秋が過ぎようとしていた。

 獣害の警戒を促すための回覧板のコピーが来たので、気晴らしに遠出しようかと思った。積雪前に、そろそろ日用品のストックを集めておく時期だ。

 高原の秋は短い。

 もう白いものがちらちらと降り始める朝もある。そんな時期でも私は、素肌に生成りのワンピースに素足で通している。寒いほど体調が良くなるので、冬の到来は心待ちに歓迎してる。

 その回覧板は主家に来たものが、私に注意喚起をするためにコピーが回されたものだ。或いはまた猪肉の差し入れでもあるかもしれない。

 山里にあるので、主家は里宮とも呼ばれている。本来ならその家がこの分宮を継承する筈であったが、暫く女子に恵まれなかった。

 困り果てた所に私が現れ、今もその社を守っている。

 不思議な縁で、棲み始めてから里宮に女の子が生まれた。その子も今年の春先から高校生になった。私の容姿には微塵も変化もないけど、里宮から怪しまれないのは、もう既に亡くなった先代に依るものだ。

 先代は干し柿のような肌に、けいと光る双眸を皺の狭間に持っていた。その割に若々しい声は詠唱で鍛えてきたものだった。


 先代のそれは千里眼に近い能力であったろう。

 他人が知見した画像を脳裏に共有出来る能力。

 その力は相手の思考までは及ばないので、テレパスではないようだった。感覚器が捉えているもののみを知覚できる能力で、先代にとって幸いだったと思った。

 テレパスという能力は厄介で、他人の思考を読むことは、いや読めてしまうことは、能力者自身ににとっても苦痛の源でしかない。相手の好意だけではなく、隠れた悪意さえも、素裸の憎悪さえもあけすけに見えてくる。しかも相手が笑顔に隠して、そんな心情を持っているなんて知るのは残酷な鏡だ。

「お嬢さんは、不思議な魂をお持ちだら?」

 初見で彼女はそう言った。

 和服を着てしゃんと背が伸びているが、小さくなった老女の年配だ。そして漬物とお茶を出して日の当たる縁側に迎えてきた。

「お侍の、そう、国人こくじん衆の許嫁の時もおありだら。そのお年頃の時は彦根にいなさった。その時分からこの神社はあるのだわ。同じような年月を経ているのも何かの縁じゃ。よかったらこの社に腰を据えちゃどうかや?」

 じっと圧の篭こもる瞳で、こちらの心眼を探ってくる。

「私は・・・」

「雪の精だら。雪女とも呼ばれるな。社稷しゃしょくとして、そう土地神さまとしてお招きしたいんだもんで」

「でも神さまの出来損ないみたいなものよ」

「はっは、巷には神さまの模造と濫造だらけずらよ。本物に近いものに会えたのは初めかや。これでわしも腰を下ろせそうな気がするだら」

 それから20年近くを経過している。

 本当に先代は一気に背を丸めてしまい、摘んだ花が萎れていくように静かに命を召されてしまった。

 それ以来、この樽沢の分宮の巫女として祭祀を行っている。

 そして心霊ごとの依頼を受けるのは私の事情による。私は人間の生気や精気を喰べて命を繋いでいる。昔は人間の生気を食餌としても、神隠しということで通ってきた。

 この現代ではそうはいかない。

 私は依頼で持ち込まれる心霊ごとのお祓いをして、その霊を喰べることにしている。月に一度もあれば充分だけど、それなりに人伝てで拡まってきた。


 檜の森を抜けて、丸木橋を渡る。

 一応、御礼がてらに山菜を里宮に届けるつもりだった。

 そこからかなり山道を下るので、電動アシスト付きのマウンテンバイクを押していた。降りはいいけどここまで登るのは大変で、しかも戸籍を持たない私には運転免許証を取得することはできない。

 滝の落ちる音がここまで響いてくる。岩肌を叩く音は天地の鼓動にも思える。

 水煙が森の空気に生木の香りを滞留させている。

 私は土道を歩いていくと、遠くに人影が視えた。

 高校の、まだ真新しい制服姿なので、下校した直後だったのだろう。家業の巫女も務めているので腰に届くまでの長髪も許されていて、今は後ろに一本結びにしていた。

「あら。色葉じゃない、こんなとこで会うなんて偶然ね」

 本当に意外な気がした。

 彼女の自宅からは、かなりの峠道を上ってくる必要がある。

 バスも日に5本しかないし、父親の車で送ってもらうしかないはずだ。ああ、そうなのね。そして回覧板のコピーを置いて、滝壺まで散歩でもしていたのだろう。多分、日が沈む頃には父親が車を回してくるのだろう。

「六花姉、またぁ、そんな薄着で」

「私にはまだ夏の終わりみたいなものよ」

「それにしたって」

「私が山菜の差し入れで、里宮に行こうとしていたの、よくわかったわね」

 悪戯っ子ぽく彼女は首を傾げて、微笑んだ。

「うん、何か見えたんだ。社から六花姉が出てくるの」

 そう。この娘は千里眼が開こうとしている。

 隔世遺伝というのかな。先代の能力よりも強いものになりそうだ。

 この能力が望まない方向に進まないように、それが私の心配事になっている。 


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