第6話 燃える

「何年かくらい書いておいてくれよ」

 榲桲倫弥ねるめろりんやはページをめくる度に怒りが込み上げて来ていたようだった。手に持っているそのノートは日に焼けて角が脆く、反り返っていた。


「お疲れです先輩。なにキレてんすか」

 放課後、何か思い立ったように杏子が教室を飛び出していった後、スマホにメッセージが届いた。当時の情報がまたでてきた、と。


「あれから、また籠ってた。埃っぽくてかなわんな。で、ノートが出てきた」

「ノート…?」


「まぁ正確にいえば保険教諭の日誌だけどな。残ってたんだ。で、保健委員に問い合わせて女学校時代のやつ全部貰ってきた」


 何故保健教諭の日誌が図書準備室にあったかはさておき、先輩の後ろには山の様に連なった紙の束が置いてあった。


「…で、まさかとは思いますけどコレを? 」

「察しのいい後輩を持って俺は幸せ者だ」

「うっわ…」


早々に諦めて山の様な書類を一つ一つ読んでいった。一枚一枚ページを捲る度に長年開かれていなかった時間の様なものが鼻を通っていった。


「そういえば発火の件はどうなった?あの男…えーっと誰だったか、には会えたんだろ?」


 そう話を振られ、あのイラつく顔が浮かぶ。男子生徒A、自称モテ男。

「あー、あれですか。やはり先輩の言う通り突然の発火現象でした。スマホに穴空いてましたよ」


「…スマホか。機種によるが発火する可能性はある…。リチウムイオンバッテリーが爆発なんて事件意外とあるんだよな」


「よくわかんない人でしたよ。ケース裏に入れてたプリクラがーとか言って」

「なるほどな…他に何かあったか?そいつの事について」

「元カノが忘れられないって嘆いてましたね。あ、そういえば」


「…どうした?」

「今日、体育でうちと合同のクラス女子の首にかけていたタオルが燃えたんです。対した事にはならなかったんですが」

「そっちを先に言え…詳しく」


「俺は場所が別だったんで騒ぎになった後に見にいったんですがその時には既に消化されてて…取り敢えずその時いたやつに聞いてみます」


「あの時の子か?」

 最初の火災、あの時杏子は俺と先輩が離しているのを見ている。

「ああ、ですです。今日なんか速攻で帰っちゃって」

榲桲先輩は考え込む。ノートの真ん中に指を置き、めぐらせてから口を開く。

「今の所、関連性がない。被害者の性別も燃えた場所も物も時間も違う。だが、何かある。恋患いと言うくらいだ。次は恋愛的な視点で調査してくれ」


「あ…いや、恋愛ですか…それは中々」

「厳しいか?成程、鳴海は恋愛を一通りしてきた様な澄まし顔をするから。思ってもみなかった」


「ただ苦手なんです。あるでしょ?先輩にも嫌いな食べ物の一つや二つ、そういうのです」

「セロリは嫌いだな。苦い」


「鳴海、そっちに87年の1学期はあるか? 」

「87年…ですか、ちょっと待ってくださいね。…なんかすっげーボロいのだけあるんですけど。そもそも表紙が殆どないんですよね、これ。いつ書かれたものかもわかんないです」


 他のものとは比べ物にならないほどにそれは傷とそれを補修したセロハンテープの跡で辛うじてノートと言える位の形を保っていた。めくったら破れて粉微塵になって消え去るのではとさえ思ってしまう。


「これ12日から始まってますけど…読みます? 」

「ああ、興味深い」


『先生、私気になる人が出来ました。駅舎の木の柱にもたれかかって電車を待つ物憂げな方でした』


備考欄に書かれた小さく綺麗なインク文字、それはこっそりと自己を吐露するかのような感情の現れにも見えた。



「これは...手紙?文通みたいなものですかね?」

「今みたいに携帯が普及してないような時代だ。生徒とのコミュニケーション用として使われていたんだろう」

 こうやって残ってしまうことに若干の恐怖を覚えた。トーク画面見られてるってことだろ?恐ろしい。


『先生、彼とお話できました。当たり障りのないことだけど彼、隣町の高校なんですって。先生のおかげですありがとう』


『先生、彼から本の栞を貰いました。菖蒲あやめの花の押し花、青くて鮮やかできれいな彼手作りの。彼は男らしくない趣味だけどって言ってたけどそんなことない。素敵だと思わない?先生』


次のページは白紙だった。何日も文章は書かれていなかった。ページをめくる指が加速する。


『先生、どうしましょう。よりにもよってあの先生に見つかった。私には彼の栞しかなくなった』

焦りで震えた字。



『先生、枕が燃えた。湿ってたのに燃えたの。けどね、私寝相が悪いから火傷はしなかったわ』

恐怖で震えた字。

 

『最近おかしな夢を見るの。彼を思うたびにあの栞が燃え出すの。焦がして燃えてぱちぱちと音が出て、学校が燃えるの。私の心と同じ』

その文字列をただ、目に入れて指を止めた。考えれないまま少し震える指でページの角をつまむがうまくめくれなかった。



『先生、助けて。お友達が燃えちゃった。これが夢なのか現実なのかもわからないの ご学友のノートもペンも髪も眼鏡も このままじゃ私』

遠くの木々に鳥が止まる音がする。無垢な彼らは夕陽の中でただ鳴いている。ページをめくった。白いページ、そこに何日か前の時の奇麗で小さな文字があった。

 



『”恋焦がれ”に殺される』




 

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