ゲルマニア

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全欧席巻編

第1話 東欧の嵐と幻の戦争

これは、ファシズム、共産、自由主義と各国の政治思想が交錯する世界で、ゲルマン人の大帝国を夢見た男の物語。



時は1939年9月1日、突如としてドイツ国防軍が独波国境に現れた。爆撃機による航空支援を受けたドイツ装甲師団の進撃を前に、動員が遅れたポーランド軍は成す術もなかった。更にポーランドにとって悪い事に東の大国、ソビエト連邦までもがポーランドへの侵攻を開始したのだ。


この悪夢は独ソ間に結ばれた独ソ不可侵条約秘密議定書に起因する。英仏への強硬姿勢を強めるドイツ、西側への不信感を募らせ、ポーランド=ソビエト戦争の禍根を残すソ連と言う両者の利害が一致してしまった結果結ばれた同条約は、独ソで東欧とフィンランドを分割する事を互いに承認すると言う内容が盛り込まれていた。


独ソによるポーランド侵攻は僅か一カ月余りで決着した。当初ポーランド側はドイツ軍の進撃を西部国境で食い止められない事が明らかになると、サン川を超えて東南部へと撤退し持久戦へ持ち込む"ルーマニア橋頭堡作戦"を取っていた。

これはポーランドにとっての一縷の望みとも言うべきプランであったが、80万の赤軍を擁してウクライナ・ベラルーシ方面から攻め入って来た東方勢力によって最後の希望は打ち砕かれたと言う訳である。


開戦前のポーランド軍は100万を超える兵力を有していたが、その殆どが予備役であり、動員は円滑には進まなかった。

約2400輌の戦車を有するドイツ軍に比べて機械化も遅れ、パイロットの質は世界有数ながらも戦闘機の数でも質でも大きく劣っていた。


しかし、この侵略行為はドイツにとって万事順調とはいかなかった。9月3日に英仏がドイツへ宣戦したのだ。確かにポーランドは英仏と事実上の同盟関係にあったが、ミュンヘン会談における英首相ネヴィル・チェンバレンの弱腰姿勢を見たドイツは、ポーランドへ侵攻しても英仏との衝突には繋がらないと考えていたのである。


ポーランド侵攻に主力を投入していたドイツの西の守りは手薄だったが、何故かフランス軍は積極的攻勢に出ることはしなかった。ルーマニア橋頭堡作戦よりも前段階にポーランドが指針としていた"西方計画"でも同国は西側同盟諸国の救援をアテにしていたが、独仏国境は静寂を保ち続けた。

この不思議な膠着状態はPhoney Warまやかし戦争と当時の人々により呼称される。しかし、当然ポーランド西部を手中に収めたドイツの次なる標的は仇敵フランスであり、一次大戦の苦い経験やドイツ側兵力の過大評価から来るフランス軍の慎重姿勢は、自国に致命的な敗北をもたらす事となる。


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事実改変はダンケルク辺りから始まります。

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