第28話「這寄る危機」

 あっと言う間に、ウェスカー村が小さく足元へと消えてゆく。

 そして今、ウモンは空の中にいた。

 普段と違うのは、操縦席に入ってないので息が苦しいことだろうか。

 突然豹変したナユタによって、ゼルガードはジャンプ飛行を繰り返していた。


「ゼロロ、引っ張り上げてくれ!」

「ロロロッ!」


 長く伸びたゼロロの弾力によって、どうにか胸部まで這い上がる。

 なんとか操縦席に入れてもらおうと思ったが、扉は閉まっていた。

 そして、ゼルガードは再度ジャンプするために森の中へと着地する。沢山の枝葉に叩かれ、ウモンはもみくちゃになりながら再度空へと打ち上げられた。

 そうこうしている内に、なんとかナユタに気付いてもらえたようだ。

 先程よりややスピードを落としたゼルガードは、滞空しながら胸の扉を開く。


「ウモン! なんて無茶を……クッ、しかたありません。こっちへ!」

「た、助かった……それにしても、ナユタ! なにがあったんだ?」

ムゲンコードです。私たちにとって、全てに優先すべき戦闘状況の開始を意味しています」

「ムゲン、コードだあ? それって」

!」


 ――インフィニア。

 それは、旧世紀のこの星を襲った謎の侵略者である。その正体は、ナユタも知らないらしい。ただ敵であること、戦いあらがわねば人類が滅ぶことだけが確かだったという。

 そのインフィニアが、この時代を襲ってきた?

 何故なぜかはわからないが、今のナユタに嘘は感じない。

 いつもの無表情が今は、極限の緊張感に凍っている。

 だが、ウモンは逆に落ち着いていた。

 自分を無理に落ち着かせ、ゼロロを手首に巻き付かせて待機させつつ、シャツを脱ぐ。


「とりあえず、ほら。ナユタ、これ」

「ウモン、どこか安全なとこで降ろします。少し待っててください」

「いや、その……とりあえず、これを羽織はおってくれ。目の毒、それも猛毒だ」


 そう、ナユタは裸だった。

 先程、マオに例のスーツを脱がされてしまったからだ。

 それなのに、いつものように座席に座って平常運航である。

 そのことを思い出したようで、ナユタは僅かに赤面してうつむく。そして、おずおずとウモンが脱いだシャツを受け取った。それでウモンも、しばし背を向け着替えを待つ。


「き、着ました……ありがとうございます」

「おう。で、例のインフィニアか……正体不明の侵略者なんだよな?」

「な、なんだか……ウモンの匂いが、します……」

「おーい、ナユタ―? 聞いてるかー?」

「はっ、はいぃ! だ、大丈夫です! ……この方向と距離、王都ですね」


 驚きのあまり、ウモンもナユタが見詰める小さな画面を凝視する。自然とひたいを寄せ合うような距離になったが、そのことを意識している余裕はなかった。

 さらには、外の景色を映す壁一面に異変が映っている。

 王都の上空だけが、不気味な暗雲と雷鳴に包まれていた。それはまだまだ遠くの景色だが、画像を拡大するまでもなく不穏な空気が伝わってくる。


「ナユタ、俺の座席も出してくれ。手伝う」

「し、しかし、インフィニアから市民を守るのが私の使命で、その、一般人の保護は」

「マオの友達は俺の友達だ。マオ、本当にお前のこと大事にしたいみたいでさ……そういうの、少しは兄貴として助けてやりたいだろ?」

「……わ、わかりました。マニュアルモードに移行します。……友達、ですか」


 ナユタの座る座席が上へとスライドし、その下からもう一つの座席がせり上がってくる。すぐさまウモンは座って、ハーネスで体を固定した。

 もうすでに操縦には慣れているし、問題はない。

 オートでライフルを装備したゼルガードの、全ての安全装置を解除させた。

 そして、改めて背後を振り向き疑問をぶつける。


「でも、ナユタ……知ってる範囲でいいから、インフィニアのことを教えて、グ、ッベ!」


 突然、裸足はだしで顔面を踏まれた。

 しかも、ぐりぐりと踏みにじられた。


「振り向かないでください! は、恥ずかしい、です……」

「お、おう。すまんすまん」

「それと、インフィニアについては末端の兵士はなにも……強いていうなら、バケモノ。そう、おぞましい異形の軍勢です」

「わ、わかった。あと、足をどけてくれ」

「あっ、すみません! 恥ずかしくて、つい」


 マオにもこれくらいでいいから、つつしみとかがあればいいのになと思った。おずおずとナユタが足を引っ込めたので、先程まで彼女に踏まれていた顔をやれやれと撫でる。

 無味無臭、びっくりするほどになにも感じなかった。

 ナユタの肌はひんやりとしてて、消毒済みの包帯みたいだった。

 だが、その奇妙な感触を思い出している暇はない。

 すぐにゼルガードは、何度目かの跳躍で暗闇の中へと到達する。


「クソッ、朝だってのにこの暗さはなんだ? ナユタ、そっちでなにかわかるか?」

「間違いありません……王都の中心部、王立亜空学術院おうりつあくうがくじゅついんにインフィニア反応です!」

「でも、旧世紀の人類は撃退したんだろ? そんで逆に、反撃に転じた」

「エクシード・ウェポンがあったからです。でも、今この地球には」


 かつての人類には、切り札があった。

 だが、それは全て失われてしまった。正確には、星剣せいけんエクスカリバーだけがこの星に残されているが、今更戦いに引き戻す訳にはいかない。

 手段を選べる状況じゃないとしても、ウモンにはそれが躊躇ためらわれた。

 そして、徐々に巨大な怪異の姿が目に飛び込んでくる。


「なんだ、こりゃ……これが、インフィニア!?」

「間違いありません! 初めて見るタイプですが、かなりの大型個体です!」


 一言で言うなら、闇と混沌の権化ごんげ……人間が嫌悪するであろう、あらゆる要素が凝縮された魔物だった。既に学術院の校舎を飲み込むほどの大きさで、その巨躯は絡まり合う触手によって形成されていた。

 そこかしこに目玉があって、こちらを血走る視線で睨んでくる。

 そして、汚物のようにドロドロとしたその体は、まだまだ膨らみ広がり続けていた。


「ゼルガード、エンゲージ! ウモン、攻撃を開始してください!」

「わ、わかった!」


 操縦桿を握る手が、震える。

 先程から悪寒が止まらない。

 それでもウモンは、照準をオートに設定して銃爪ひきがねを引き絞った。

 両手でライフルを構えたゼルガードが、着地と同時に射撃を開始する。フォトンの弾丸が連続で発射され、インフィニアが苦悶の声を張り上げた。どろりとした体液が噴出し、周囲が異様な景色に染まってゆく。

 攻撃が効いている、手ごたえはある。

 だが、インフィニアの拡大が止まらない。

 そして、不意に外部からの音声をナユタが拾ってくれた。


『フフ、フハハハハ! これはこれは、マオ君の機械人形じゃないか! 丁度いい!』


 その声に聞き覚えがあった。

 だが、こうまで暗く不気味な声音であった記憶はない。聞きたくもないことを喋る、会いたくもない人物の名が思い出された。

 すぐにナユタが、音源を探して内壁の一部に映してくれる。

 そこには、珍しく制服を着崩した先輩の姿があった。


「なっ、あれは……ザフィール先輩!? 危険ですよ、逃げてくださいっ!」


 学術院の校舎、その一番高い場所にある時計塔にザフィールが立っていた。そして、望遠で見ているウモンたちに気付いたように、ゼルガードの視線に向き直る。


『さあ、マオ君……そのガラクタを降りて、私の物になりたまえ!』

「ナユタ、すまん! 音声を繋いでくれ!」

「もう繋いでいます。どうぞ」

「サンキュ! ――おいっ、何度も言わせるな! マオは物じゃねえよ!」


 明らかに異常な状況だった。

 周囲にはもう、人の気配はない。避難したと思いたいし、学術院の教師たちは誰もが一流の召喚師だ。さまざまな召喚術でモンスターを呼び出し、既に安全な場所に逃げている可能性は高い。

 担任教師のインリィだって、ああ見えて頼れる存在なのを思い出した。

 そして、まさかという疑念が脳裏を過る。


「ザフィール先輩、まさか……そ、そのバケモノは、インフィニアは」

「フハハハハ! 気付いたかね、駄目兄貴! そうだ、私が召喚したランクAの神皇種マキナ! 授けし名は、ハハ、ハァ……! 父なるダゴン!」


 よく見れば、ゼフィールは小脇に一冊の本を抱えている。

 あれは確か、以前に学術院の倉庫を整理した時に見た記憶がある。不気味な装丁で、なんだか得体のしれない本だった。

 名は確か、ネクロノミコン。

 ウモンには、その名に関する知識はない。

 だが、ダゴンというのは太古の神話に登場する創造神クラスの大物だった。


「ダゴンだって? いや違う! 伝承とは全然違うし、それに」

「そうです、ウモン! あれは間違いなく、インフィニアです。このままでは学術院どころか、王都もこの国も飲み込まれてしまいます!」


 触手が無数に結ばれ絡まる、巨大な柱と化したバケモノ……それは今、ダゴンの名を得てザフィールの銘冠持ちネームド亜空魔デモンとなっていた。

 必定、ダゴンを倒して命を奪えば、ザフィールも死ぬ。

 それだけは避けねばならないが、最悪の事態も脳裏を過った。

 ここでダゴンを止めねば、被害はもっと拡大する。

 しかし、それでもウモンには、ザフィールを殺していい理由には感じられなかった。それが例え、妹にまとわりつくたちの悪い先輩であってもだ。


「ウモン! インフィニアが、ダゴンが増殖を開始しました!」

「なるほど、数で押してくるんだったな……なら、せめて小物を片付ける!」


 そこかしこに広がった、汚泥のようなダゴンの裾野すその。そこから泡立つように無数の影が立ち上がる。どれもみな、直視に耐えない異形である。

 ウモンはライフルの粒圧を確認して、湧き出た敵意への戦闘を開始するのだった。

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