ヒロインが元カノしかいないラブコメ~元カノたちは復縁の夢を見るか~

青井かいか

序章:Introduction

The Weather Forecast In Prologue~すれ違い後の天気は、別れとなるでしょう~



「――別れましょうか、私たち」


 

 凛と冴え渡った、刺すような声音だった。


「ねぇ季刹きせつ、大切な話があるの」


 と、何やら不穏な気配で切り出された会話の行く末は、その口調から感じられた嫌な予感の通り、行き付く所まで辿り着いてしまった。


 会話の終着点。

 冷ややかに俺の耳朶を打った台詞の額面は理解しても、それが発せられた意図を理解することはできなかった。


 ――脳が理解を拒んでいた。


 視界が霞みがかったようにぼやけて、「はは……」という、媚びへつらうような、非常に情けない、かすれた笑いが俺の口から勝手にこぼれる。


「あー……、その、なんだ」


 思考がごちゃごちゃとしてまとまらない。ただその場しのぎに俺は舌を回していた。


「えっと……、ご冗談……?」


「冗談ではないわ」


 冗談では……ないらしい。


 そうだろうな、とは思った。


 朝野あさの晴花はれかは、こんな冗談にならない表情と口調で冗談を言う人種ではない。


 晴花は偽りを嫌う。常に正しくあろうとする。


 上辺を取り繕ってでも周囲と上手く馴染もうとする精神は、人が大人になるに連れて否応なしに身に着けてしまうものだと俺は思うし、誰しもにそういった側面は少なからずあるだろう。俺にだってある。

 高校生くらいにもなれば、そういう時と場合によって自分の在り方を変えるペルソナみたいなものを持っていない方が珍しいはずだ。


 でも、晴花は、そんな外面を嫌う。いついかなる時も朝野晴花という一人の存在を貫こうとしている。

 だから晴花は度々ソリの合わない誰彼とぶつかっているし、その上自分からは絶対に譲ろうとはしないから、そんな彼女を疎んでいる者もいるし、友達も多いとはいえない。


 反面、どんな時でも自分の在り方を曲げない晴花に憧れている者も決して少なくはない。


「――――」


 こちらを向く晴花の理知的な瞳に、間抜けな顔で固まる俺が映り込んでいる。


 晴花は、目立つ女の子だ。


 真っ直ぐと艶やかな長い黒髪に、凛と冴えた端正な面立ち。細身のスタイルはしなやかに美しく、身長は女子の中では目立つくらいに高い。モデル体型とでもいうのだろうか。

 その上、成績は常にトップで、運動神経もかなり良い。


 このやりすぎなくらいのハイスペックさが、彼女の周囲に流されない確固たる個を裏打ちしているといえる。

 俺と晴花は同じ中学校出身なのだが、中学生の時から既に彼女は校内で事あるごとに注目を集めており、高嶺の花として有名だった。


 そんな完璧少女のカレシという立場は大変なことも多かった。晴花と付き合っていたこの期間、いつでも自分のペースを貫く彼女を発端とした面倒事に巻き込まれたことも一度や二度じゃなかった。


 それでも、晴花と付き合っていた時間は楽しかった。


 彼女と付き合っていくことを辞めようという気持ちは、俺の中になかった。


 しかし―――



『――別れましょうか、私たち』



 晴花に言われたその言葉が脳内で繰り返される。ぐわんぐわんと残響している。


 ……ここまでハッキリ言われてしまうと、認めるしかないのだろうか。


 正直に言うと、ここ最近、晴花の態度が少しよそよそしいというか、距離を取られているというか、おかしいことには気付いていたのだ。

 でも俺がそれとなく「何かあったのか?」と聞いても、「何でもないわ」という台詞が返された以上、それ以上の詮索をするのも憚られた。


 あまりしつこくやり過ぎて嫌われるのも嫌だったし、しつこいと晴花怒るし……。


 ――だから、そのことに関してはあまり考えないようにしていたのだが。


 ……いや、ただ考えるのが怖かっただけなのかもしれない。彼女との関係に終わりが来る可能性を、考えたくなかった。


「「…………」」


 無言のまま、俺と晴花は視線を重ねる。彼女の瞳に動揺は見られなかった。

 もう既に彼女の中では区切りが付いている、ということだろうか。


 ――冷めてしまったのだろうか。


 晴花ならそういう時、スッパリ別れを切り出すだろう。永遠に続くと思えた恋心が、ある日突然、魔法が解ける瞬間のように冷めるなんて話は腐るほど聞く。

 結局、これ以上ない特別に思えた俺たちの関係も、そんなありふれた例に漏れなかったのだ。


 ――俺は彼女のことが好きだから、彼女も俺のことが好きである。


 つい先ほどまで疑いもしていなかったその甘ったるい思考がガラガラと音を立てて崩れ、自分が抱いていた考えがあまりにも都合のいい幻想であったことに気付く。

 全く俺は、どうして同じことを繰り返してしまうのか。身をもって知っていたはずなのに……。


 恋は盲目だなんて、本当によく言ったもんだ。


「――っ」


 汗ばんだ手を、晴花に気付かれないように強く握りしめた。

 朝野晴花が別れると決めた以上、きっと俺が何を言ってもその決定は覆らない。どうしてなんだ――と、みっともなく足掻きたい気持ちを、全力で抑えつける。


 ――意味のないことだ。


 こんな風に恋人から別れを切り出された時点でもう行き付く先は見えている。

前がそうだった。


 あの時の情けなすぎる己の醜態を思い返して死にたくなってきたので、黒歴史の回想を強引に打ち切る。


 せめて、俺の恋人だったこの素敵な女の子に情けない姿を見せないように潔く、後でこの時の自分を恥じることが無いように、綺麗に別れよう。


「……分かった」


 どうにかその台詞を絞り出した。自分で思った以上に冷静な声が出てホッとする。


「晴花がそう言うなら、俺から言えることはたぶんもう何もない。……分かった、別れようか」


「……えぇ」と、晴花が頷く。


「それじゃあ、な」


 俺は彼女に背を向ける。これ以上、晴花と顔を突き合わせることはできそうになかった。


「もうしばらくは会うこともないだろうけど、機会があればまた学校でな」


 今にも崩れそうな強がりをどうにか貫いて、平静を保った。


「えぇ」


 背後から涼しげな声が聞こえた。いつもと変わらない、晴花の声だった。


 そして俺は彼女と別れ、通い慣れた帰路を一人で辿った。



 高校一年生最後の登校日、終業式が終わった後の帰り道のことである。

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