織姫と織姫
三郎
本文
私には幼馴染が居た。歳は彼女の方が三つ上だったけれど、家が隣で、友達の中では一番仲が良かった。しかし、彼女との別れはある日突然やってきた。
『私ね、引っ越すんだ。親の都合で』
私が小学三年生、彼女が小学六年生の時だった。彼女は親の都合で県外に引っ越すことになった。当時携帯電話も持っていなかった私達は、文通でやり取りをするようになった。
一昨年はお互いにそれぞれ高校と大学の受験があり、なかなか手紙のやり取りが出来なかったが、去年から、私が高校生になったことでようやく親からスマホを買い与えてもらい、やりとりはスマホからメールに変わった。だけど、電話はまだしたことがない。
私はずっと、彼女が好きだった。会いたくて会いたくて仕方なかった。電話をして、声を聞いたら、そんな気持ちがもっと強くなってしまいそうで怖かった。幸いにも、彼女も電話しようとは一度も言わなかった。
今日は七夕。離れ離れになった織姫と彦星が一年で唯一会える日。
カップルと思われる二人組とすれ違いながら、私は一人で、焼きそばを片手に祭り会場を歩く。友達がいないわけではない。ただ、友達はみんな恋人と一緒だ。高校生になって、恋人が居ないのは私だけ。自慢ではないが、恋人になってほしいと言われたことはそこそこある。だけど、全て断っている。なんで恋人を作らないのかと友人は言う。答えは一つ。恋人が欲しいわけではなく、彼女と恋人になりたいから。彼女じゃない恋人は別にいらない。恋愛なんて別に、無理してするものじゃないと思うし。なんて言うと友人達は勿体無いとか強がりとか言うけれど。
私が恋人になりたい人は、今は海外に留学しているらしい。気軽に会いに行ける距離ではない。金銭的にも、距離的にも、時間的にも。一月から半年間だから、そろそろ日本に帰ってくるとは言っていたが、それでもやっぱり気軽に会える距離には居ない。
織姫と彦星は年に一度しか会えない。だけど、私からすれば年に一度会えるだけ羨ましい。嵐が来て会えなくなってしまえと思ってしまうほどに。そんな私の醜い嫉妬心を煽るように、今日は快晴だ。雲一つなくて、星がよく見えるほどに。思わずため息が漏れる。
周りを見ればカップル、カップル、カップル、親子連れ、学生グループ——一人で歩いているのは私くらいだ。それなのに何故来たのかというと、一つは花火を見たかったから。家からでも見えるが、こんなにも天気が良いのだからやはり直接見たい。そして、動画を撮って彼女に見せたかった。本当は直接一緒に見たかったのだけど、距離を考えると気軽に誘えなかった。そもそも、日本に帰ったという連絡も来ていないからまだ海外にいる可能性もあるし。
「……はぁ。やっとついた」
人混みを抜けて、広場にあるベンチに座る。花火が始まるまではまだ時間があるが、他のベンチは既に他のカップルで埋まっている。
独り身の私は退いた方が良いだろうかとも思ったが、なんで私がカップルに配慮しなきゃならないんだという捻くれた気持ちの方が勝った。
いちゃいちゃするカップル達には目もくれず、一人でベンチを独占し、焼きそばを啜る。こんなカップルだらけのところによく一人で来られるなみたいな、哀れみの視線を浴びながら。もしかしたら被害妄想かもしれないけれど、そうやって独り身の人間を見下す人間が居るのは事実だ。友人がそうだ。恋人が出来てから彼女達は変わってしまった。早く恋人を作った方が良いよ。一人で寂しくないの? と、そればかり言うようになってしまった。寂しくないわけじゃない。彼女が引っ越してしまったあの日からずっと寂しさを抱えて生きてきた。会いたい。会いたい。そんな私の寂しさを煽るように、空には雲一つかからない。織姫と彦星も今頃、会えなかった一年間の分を取り戻すように、それはもう熱い夜を過ごすのだろう。今すぐ雨でも降れば良いのに。穏やかな空とは裏腹に、私の心はずっと荒れ模様だ。花火の動画を撮ったらさっさと帰ろう。これ以上いちゃいちゃするカップルを見るのは精神衛生上よくない。
そう思っていると「あのー」と声をかけられた。なんだなんだ。独り身はリア充様にベンチを譲れとでも言うのか?と被害妄想をしながら振り返ると、そこに居たのはカップルではなく、一人の女性だった。淡い水色の浴衣を着た可愛らしい大学生くらいの女性は、何も言わずにスマホを弄り始めた。すると、私のスマホが鳴る。彼女からメッセージ。「おひいさん、みーつけた」と一言。もしやと思い、女性の顔を見上げると、女性はスマホで口元を隠しながら、にひひと悪戯っぽく笑う。
「まさか……
大好きな幼馴染の名前を口にすると、女性は満面の笑みを浮かべて、両手でまるを作った。そしてくすくす笑いながら私に近づき「青のりついてるぞー」と私の口元をティッシュで拭った。
「元気してたかー? おひいさん」
おひいさん。懐かしい声でそう呼ばれた瞬間、思い出が走馬灯のように駆け巡る。
「なくなよ。おひいさん。可愛い顔が台無しだぜ」
彼女はそう冗談っぽく言って私の隣に座ってハンカチを渡す。
「まさか会えるとは思わなかったよ」
メールでのやり取りと変わらない口調で彼女は語る。海外から帰って来たのは昨日で、お土産を渡すためにわざわざこっちまで来てくれたらしい。
「七夕まつりやってるのを知って、ついでだからちょっと見て行こうと思ってね。きっと今年もきてるだろうと思ったし」
彼女が転校する直前、思い出作りにと、彼女が別れを惜しむ私をお祭りに連れ出してくれた。私がお祭りに来たもう一つの理由。それは、このお祭りには彼女との思い出が詰まっているから。だから毎年来て、写真を撮って、手紙と一緒に送っていた。スマホが手に入った去年は、動画も送った。
「私にとってこのお祭りは、おひいさんとの思い出が詰まってるんだ。つっても、一緒に行ったのは一回だけだけど……毎年毎年、写真ありがとうね。おひいさん——
姫乃というのは私の名前だ。あだ名ではなく名前で呼ばれた瞬間、心臓が高鳴る。やっぱり私は彼女が好きだ。昔から、ずっと。恋人になるなら、彼女が良い。
「……あの、詩織さん」
「んー? どうした? おひいさん」
「詩織さんって——」
詩織さんって恋人居るの? そう言いかけたところで、どぉーんっ! という破裂音が邪魔をした。夜空に咲いた花火を睨む。なんてタイミングの良い花火なんだ。
「お、花火始まったね。やっぱ生で見ると迫力が違いますなー。酒買ってこれば良かった」
「……そうだね」
酒。そうか。彼女はもう大人なんだ。三つしか変わらないと思っていたが、酒を飲める年だと思うと一気に遠く感じてしまう。
「……さっさの質問なんだけどさ」
「聞こえてたの?」
「うん。聞こえてた。恋人は居ないよ」
「……そっか」
「うん。……ちなみに、年下の女の子がタイプです」
意味深な台詞が聞こえて、思わず彼女の顔を
見る。すると彼女は私と目を合わせて、意味深に笑って、花火に視線を戻した。
「年下の女の子が好きだけど、女子高生はちょっとなー。世間的に」
上げて落とされた。酷い。
「……だからさ、姫乃」
膝の上に置いていた手に、彼女の手が重なる。思わず隣を見ると、花火に照らされる、彼女の真剣な表情が視界に入る。
「もし今君に恋人が居ないなら、そのまま卒業まで、恋人の枠を空けておいてくれないかな。私のために」
「へ……」
上げて、落として、また上げられて。また落とされるのではないかと一瞬疑ったが、彼女の表情は真剣そのものだった。
「あの、そ、それってつまり……」
言わなくてもわかる。けど、ちゃんと言葉にしてほしかった。彼女はそんな私の想いを察したのか「好きだよ」と笑う。恐る恐る「私も好き」と返すと、花火が打ち上がる。雲一つない空に大きなひまわりが咲く。そのひまわりを見て、彼女が呟いた。「今日、晴れて良かったね」と。
織姫と織姫 三郎 @sabu_saburou
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