第38話

 ディルは少し愕然として、目の前の建物を見ていた。

 孤児院がボロかったのは想定の範囲内だったので、おじいちゃんが呆然としている原因は別にある。

 

(ここ……何十回も通ってたところじゃ……)


 一応子供の腕白な声はしないものかと耳を澄ませていたりもしたのだが、そんな様子は一切感じなかったはず……。

 ジジイは自分の耳が思っていたよりも遠くなっていたことを感じながらなんとか気持ちを落ち着けていると、ミルヒがそっとドアに手を当ててから押し出す。


「どうぞ、狭いところですが……」

「気にせんでええよ。わしの家なんかちょっと洒落にならんレベルで狭いしの」


 ディルが入り口からそっと中を除いてみる。恐らく見えるのは居間だろう。

 そこには四人ほどの子供がいて、空になった皿をじっと見つめていた。恐らくは夕食の後なのだろう。

 だが彼らの顔を見る限り、食事でしっかりと満たされているとは思えなかった。

 どうやら少しばかり、夕食の内容に不満があるようだった。

 少なくとも今日はそんな顔はせんでもええんじゃよ、そう思ってちょっとばかし笑顔を作ってみる。

 足音を隠す必要もなかろうと、いつも通りにゆっくりと歩き始めるとすぐに子供達がやって来た闖入者に気付いた。

 じっと自分の方を見つめてくる四対の視線。少年が二人と少女が二人。どちらもそれほど豊かには見えない。だがあの貧乏から脱するため不法に手を染めるアウトローな子供特有の瞳のぎらつきのようなものはなかった。

 清貧、というやつなのかの。

 これがミルヒちゃんの手柄なんじゃとしたら、いいお嫁さんになりそうじゃね。

 ディルはほっほっと笑いながら、四人が向かい合っているテーブルの前に立った。


「じいさん誰だ? もしかして……ヒリソのおっさんか?」

「馬鹿ねジェン、ヒリソさんはもっと若いわよ」

「なんだよリア、じゃあお前は誰かわかんかよ?」

「うーん……ヒリソさんのお父さん、とか?」


 テーブルの右側にいるのは金髪の少年と、赤髪の少女だった。

 跳ねっ返りな勝ち気なジェン、ちょっぴりおませなリアといったところだろうか。


「大穴で、ミルヒの旦那さんかもよ」

「うわ、おじん趣味極まるって感じ。シスターなんだし遺産目当てはよくないと思いまーす‼」

「こらシース、マルガム、そういう人を馬鹿にするようなことを言っちゃいけないっていつも言ってるでしょう‼」


 そして左側にいるのは茶色い癖っ毛の寝ぼけていそうな少年と、少し今どきな感じのするこまっしゃくれた少女だ。 

 思っていたよりも個性が強そうで、ジジイが誰なのかを当てようと活発に話し合いをしては意味もなく髪の毛を引っ張り合っているその様子からは、もう若さしか感じられない。

 よくこんな四人を御せるもんじゃの、と思っていたディルだったが、彼女の言葉に四人はまともに耳を貸していないように見えた。

 下手に黙らせるほど気が強くなさそうじゃし、思ったよりも子守りは大変なのかもしれん。

 そんな風に考えているディルは、自分の頬が引っ張られるのを感じた。

 下を向くと興味からか、寝ぼけ眼のマルガムが髭をもしゃもしゃしているのが見える。


「結構……悪くないね」


 グッと親指を立てて笑顔を向けてくるマルガム。おとなしそうに見えて、この子も結構腕白そうじゃね。

 

「そりゃ一応、最低限の手入れはしとるからの」


 好きなように触らせとこうかと思いもしゃもしゃされているディル、なんとなく後ろの方に気配を感じたので見切りを発動。

 後ろから襲いかかろうとしていたジェンの体当たりをひょいと避け、足を引っ掻けて転ばせる。そのままだとテーブルの脚に激突しそうだったが故の苦肉の措置である。


「いってー‼ おいじいさん、あんたやんじゃねぇか‼ だけどな、そう簡単にミルヒはやらないぜ‼」

「ほっほっほ、元気が良くて多いに結構」


 転んで鼻から血を流しているジェンは、自分の元気を発散できる相手を見つけられて明らかに機嫌がよくなっていた。

 なるべく体を動かさないように気をつけたためにマルガムは相変わらず髭をもしゃもしゃしているし、止めるつもりもないようだった。


「うっわー、おじいちゃんこんな若い子相手に本気になっちゃって恥ずかしくないのー?」

「ちょ、ちょっとジェン、大丈夫⁉」


 二人の女の子は少し離れたところからディルを見ているようでいて、しかし彼の前にいるジェンの背中をはらはらしながら見ているようだった。

 そこはかとなく感じる色恋の気配、どうやら孤児院の中にも色々問題がありそうじゃね。


「これは……癖になる。良い髭してるよ、おじいちゃん」

「勝負だ、ジジイ‼」

「頑張れ、ジェン‼」

「ちょっとー、埃舞うから止めてよねー」


 うるさい、というかやかましい。だが色々とひどい扱いを受けて、ディルの浮かべていた笑みは深くなった。

 

(やっぱり子供は、元気な方が輝くもんじゃからの)


 マリルもトールもほとんど手のかからない子供だったために、こういう反応をされるのはずいぶんと新鮮に感じられた。

 


「すっ、すいません‼ この子達ったらいっつもこうで……」

「いいんじゃよ。子供はこれくらい元気な方が、あとで大成するもんじゃ。ちょっと表出てきても大丈夫かの? ここだと食器が割れるのが怖いから」

「それならどうぞ裏庭を使って……」

「あ、あのっ‼ あんまり酷いことしないでね、おじいちゃん‼」

「そう心配せんでも平気じゃよ、ちょうどリアちゃん達くらいの年頃の孫もおる。扱いは手慣れたもんじゃからな」


 常に誰かの喋り声が空間を満たすようなそんな騒がしく活気に溢れた状態に、ディルは自分が少し若返ったような気分になった。

 ご飯を摂るのはもう少しあとのことになりそうじゃの。

 ディルは髭を掴んだままのマルガムとジェンを引き連れて、裏庭で遊ぶことにした。

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