第6話

 ぐっすり眠り身体の疲れを癒したディルは、いつものようにかなり朝早くに目が覚めた。


 基本的に老人の朝は早いのである。



 曲がった背骨を精一杯ググッと伸ばし、外へ出て冷たい風で意識を覚醒させる。


 冷気が自分の老体を苛め始める前に中へ入り、外套を羽織った。

 宿屋の朝はそれほど早くないのか、アリスの姿は受け付けにはなかった。



 青に染められている空が、徐々に黄色がかっていく。


 暖かくなる空気と色を感じながら、街道を歩き冒険者ギルドへ向かうことにした。



 未だ完全には朝日が昇っていないにもかかわらず、既に幾つかの店は営業を始めていた。


 恐らく終日で営業していたのであろう酒場からはグロッキー気味なウェイトレスの姿が見える。



 遠くからはカンカンと鎚が鉄を叩く乱暴で硬質な音が聞こえており、その物騒な音を聞き装備の問題も解決しなければと思い出す。



 頼る形にはなるけれど、どの店がいいのかミースにオススメを聞いてみることにしようかの。


 ぐぅぐぅと鳴るお腹を押さえ、ディルは顔を下げて出店が視界に入らないようにしながら、歩く速度を上げた。



 

(単価の高い出店ではなく、ある程度しっかりとしたような食堂で食事をしたいからの)



 爺は漂っている芳しいタレの香りに鼻をピクピクと動かしながらも、決して出店へと視線を向けはしないと、心に決めた。


















「もっしゃもっしゃ……おふぁよう、ミーフ」

「あ、おはようございますディルさん。……食べながら話すのはあんまりよくないと思いますよ」

「しゅまんの、耐えきれなくなっちゃって」






 銀貨一枚分購入した肉串を頬張りながら、ディルはギルドへと足を踏み入れた。



 今まで麦と野菜、それに時折干し肉をといった簡素な食生活を送っていたディルである。



 悲しいかな、彼には田舎にはない刺激的な香りに耐えられる術がなかった。


 ついでに言うと税金でかなりの現物を持っていかれてしまうし、基本的に税は現物納であったために、彼はあまり貨幣というものを使ったことがなかった。



 そのためディルには巾着袋の中に入れている銀色の物体が、まるでなんでも欲しい物と交換できる魔法のアイテムか何かのように思えたのだ。



 平たく言うと彼は都会の誘惑に負けた、金銭感覚の鈍いよくいる田舎者の爺なのである。



 たとえスキルを手に入れても、性格や在り方というものは突然には変わらないようだった。



 串三本で銀貨一枚という、高いのか安いのかよくわからない値段設定の食事を終える。

 ディルはとりあえず腹に物が入れ、ある程度の満足を感じながら、ゴミをポケットに入れた。




「なんかいい仕事ある? 出来ればあんまり遠くない場所でスライムかゴブリンを一匹ずつ狩れる場所がいいんじゃけど」

「はい、幾つか見繕っておきました」

「ありがとの、助かる。あと鉄の剣が欲しいんじゃけど、良い鍛冶屋とか教えてもらえたりせんか?」

「そうですね……でも良い物買おうとすると高いですよ?」

「そうか、やっぱりそうじゃよね」



 今持っている普通のボロい木剣だけでは、一体どれだけ戦えるものかわかったものではない。 

 自分の金銭感覚のなさを既に察し始めていたディルは、今日一日で鉄剣を買えるぐらいの金を稼いでしまおうと決める。




「最低限戦える剣を買うと幾らぐらいかの?」

「そうですね……銀貨五枚から、金貨一枚あたりを見ていただけると」

「……思ってたより、高いの」

「鍛冶屋さんも、慈善事業じゃありませんからね」




 一日では無理そうだと早速計画を変更し、ディルはどれくらい倒せば鉄剣を買えるのかを概算してみることにした。



 ゴブリンが一匹銅貨三枚ということなので、ゴブリン換算で考えてみる。



 まず自分が毎日使うことになる費用は宿代の銀貨一枚、そして今朝の食事を二回と考えると銀貨が更に二枚。


 身体が資本だからと更に一食追加するとしたら合わせて銀貨四枚になる。

 銀貨四枚ということは、銅貨四十枚である。ということは最低でもゴブリンを一日十三体倒さなければそもそも生きていくことが出来ない。

 金貨一枚は銀貨十枚、即ち銅貨百枚。換算すると三十三ゴブリンである。



 一日二十体ゴブリンを殺して、かつ無駄遣いを控えたとしても金が貯まるまでは五日弱かかる。剣以外の装備を整えたり薬を揃えるとなれば、まだまだ入り用になるのは間違いない。



「あれ…………思ってたより、冒険者ってハード?」

「当たり前じゃないですか、何を今さら」


 冒険者は当たればデカい、だが当てることが出来なければ早晩死んでいく。


 良くも悪くもそんな商売である、ミースは諭すようにそう口にした。





「うーん……皆こんなんでよくやっていけるの」

「あのね、ここギルドの建物の中だから。そういうこと言っちゃダメだよ?」

「あいやすまんかった、つい心の声が」

「それもそれでどうかと思うけどね」





 冒険者としてやっていくのは、自分のように住環境がしっかりしていない人間だと、かなり大変なことなのではなかろうか。



 雑魚寝で宿代を抑え、自炊して食費を抑えてもどうやっても一日の生活費は銀貨一枚は超えるだろう。


 ということは一日最低でもゴブリンを四体倒さなければいけないことになる。


 今後怪我した時のことや、体調を崩した時のための蓄えということを考えると、あまり割りに合った職とは思えなかった。





「だから商隊の護衛なんかになるのは、冒険者にとって理想の退職方法なのよ」

「それをギルドの職員が言ってもいいものなのかの?」

「そういう方面の箝口令はなきに等しいから大丈夫。ギルド職員の言葉の一つや二つで揺れるような冒険者は、大抵は大成しないもの」





 じゃあわしは大成しそうにないの。まぁ、するつもりもないわけじゃが。

 護衛も採取も出来ない自分には適当に魔物を狩ることしかできなそうだという思いを、ディルは話を聞くにつけ強めていた。






「で、今日はどこへ行ったらいいんじゃ?」

「あ、それなんだけどね。今日は初めてってことで、他のパーティーに混ぜてもらえるように頼んでおいたか……」

「おいおい、なんでじいさんがここにいるんだよ」

「そこどいてよ、私達今日はゴブリンを狩りに行かなくちゃいけないんだから」





 あー、と声にならない声をあげてからディルは天井を仰ぐ。

 後ろの声と今の話から、先が読めてしまったからだった。




「なんとなく予想ができちゃったんじゃけど、合っとる?」

「…………はい、ディルさんの後ろにいるその二人が、今日一緒に行動するパーティーメンバーの方々です」

 



 振り返るとそこには、赤髪の少年とライム色の長い髪を紐で縛った少女の姿があった。




「え……ミースさん今日の紹介は、強い人って言ってたじゃんか‼」

「ひどい、私達のこと騙したのね‼」




 爺は髭をもしゃもしゃしながら、二人を優しい目で見つめた。



 今さらバカにされることを嫌がるような年齢ではないために、特に悪感情を抱いたりはしない。



 わしにも若い頃は、こんな時もあったの。

 その跳ねっ返りの強そうな態度に思うところがあり、ディルは何も言わずに訳知り顔で頷いた。

 それを少年たちは怪訝そうな顔をして、目を細めてからため息をこぼした。

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