第4話

「まずこれがスライムとゴブリンですね、新人冒険者さんは基本的にこの魔物を倒して日銭を稼ぐのが普通です」




 ディルが顔を近づけたり遠ざけたりしながらミースの手元の紙を見ると、そこには彼でも名前を聞いたことがある二種類の魔物の絵が描かれていた。

 



「わしでも倒せるかの?」

「それはもう、倒し放題だと思いますよ」

「一体か二体ずつ相手は出来る?」

「ゴブリンは巣穴近くまで行かなければ問題ないですし、スライムは基本的に群れないので問題ないと思います」




 日銭と言うだけあって、一体を倒して得られる額は微々たる物だった。


 スライムは一匹銅貨二枚、ゴブリンは一匹銅貨三枚。


 一日二食の食事と宿代を考えると、数匹倒した程度では、どうにもならなそうな値段設定である。

 



「討伐証明部位と呼ばれる倒したことを示す証を持ってきてくれれば、ギルド側でそれを買い取ります。その際にはギルドカードが必要で……あ、仮証書を渡すの忘れてました」




 トール達に仕送りをするためには一体どれくらい魔物を倒せばいいだろうと考えていたディルは、差し出された薄紫の紙を受け取り眺めてみた。



 デカデカと仮と書かれているために、ディルにも容易に読み取れる親切設計が非常にありがたい。



 しわしわにならないように二つに折ってから、服についているポケットにそれを突っ込んだ。

  



「とりあえずこの二種類の魔物を相手取ってしっかり戦えるようになれば冒険者ランクの昇格が見えてくるんですけど……ディルさんには問題なさそうですね」

「そういえばそんなものもあるって言ってたの」




 自分が倒した男が確かCランクだったのを思い出すも、口に出すことはしなかった。 



 最初はE次がD、そこからCBASと順繰りに上がっていくという説明を受けはしたものの、彼は昇格に関してはあまり興味がなかった。




 今さら成り上がろうなどと考えても、階段を上る最中にポックリ逝ってしまうのがオチだとしか思えなかったからだ。



 できれば一日三食のご飯が食べられれば、それに越したことはないという程度の考えはあったが、野心などというものは微塵もなかった。




 適当に日銭を稼ぎ、ちょっと貯金して、たまにマリルの食事代でも送れれば最高である。




 爺は頭を回転させどれくらい魔物を倒せばいいかということを若い頃より随分と遅くなった計算速度で弾き出そうとしたが、その途中でそもそもこの街の物価を何一つ見ていなかったことを思い出した。




 宿代と食事代がどれくらいのものなのか、衣食住の確保くらいはなんとかなるのか。

 

 まずはそれを確認する必要があるな、とこれからすべきことに頭を巡らせる。







「で、こっちが薬草の分布図ですね。種類によって値段が変わるので……」

「ああ、薬草摘みはあんまりするつもりないから説明しなくても大丈夫じゃ」

「え、でも採取系の依頼をこなさないと冒険者ランクが上がりませんが……」

「わし、上昇志向とかないしの。それに採取は無理じゃ、腰が死んでしまう」





 スキル見切りは自分の身体の動きを最適化させる力だ。


 だが幾ら最適化させたところで、半腰状態で何度も立ったり座ったりの採取などしようものなら、マッハで腰が逝ってしまう。


 

 適当に脱力して一撃で敵を伸してしまえる魔物の討伐が、老骨には丁度いいのである。





「……採取ができないとしても、街の人達への奉仕でも代替は可能なので、是非一度考えてみてください」

「そうかい、ならそうしておこうかの」





 絶対にやらないなどと言って、事を荒立てる気はないと、ディルは取り敢えず肯定しておいた。



 ミースが自分を神格視しているように感じ少し気にはなったが、下手なことはせんでおこうととりあえず話を聞いておくことにする。





 やられた方が悪い。だけどあんまりひどいことをしていると引っ立てられる。荒くれ者であっても流儀は必要。



 要約するとこんな感じのギルドの規則を聞いていると、なんだか眠くなってきてディルは首をカクカクと動かし始めた。



 老人にはつまらない話を長時間聞く体力など、残っていないのである。




「…………というわけです、聞いてましたか?」

「……聞いとった聞いとった、完璧じゃ」

「嘘つかないでください、対面してるんですから寝てるの丸わかりですよ」

「ごめんなさい、ぐっすり眠ってました。でも半分くらい聞いてたから許して」

「はぁ……こんなんじゃ先が思いやられますよ?」

「老い先短いジジイじゃし、先なんてあってないようなもんじゃ」




 適当にあしらってから、爺はミースの様子を確認した。

 まだ少しぎこちなさのようなものはあるが、さっきまでと比べると随分マシになったように思える。



 本当ならもう少し長居して気を落ち着かせてあげてもいいところではあるのだが、ディルもこれからのことを考えるとやらねばいけないことも多い。





「それじゃあお暇させてもらうことにしようかの」

「え、もう行っちゃうんですか?」

「日が暮れる前に宿を取らんといかんでな」





 シュンとわかりやすく気落ちするミース。

 思わずうっと呻きそうになり、もし娘がいたらこんな感じなんじゃろうかと躊躇いが顔を出す。





「ま、また明日も来るから安心せい、うん」

「本当ですか‼ ちゃんと来てくださいね、約束ですよ‼」





 一瞬で元気になるミースを見て、嵌められて言質を取られてしまったとわかるお爺ちゃん。

 なるほど、こりゃ一本取られたわい。


 表情の変化の目まぐるしさに目を回しそうになりながら、この分なら大丈夫そうじゃのと少し安心するディル。

 彼はミースの先導を受けながら、階段を下っていった。









「また来てくださいねー、約束ですよー‼」




 冒険者ギルドを後にしながら、ディルは顎に蓄えられた髭を撫で付けて空を見上げた。





「六十を過ぎても……女の子の気持ちというやつは、まるでわからんのぉ」





 もしかしたら自分がなんとかせにゃいかんと考えてしまったあの儚げな顔は、演技だったのだろうか。



 そんな風に勘繰ってみるが、それはそれで構わんなとすぐに考えるのをやめる。



 笑顔が一番じゃよね、うん。



 ディルは狐に化かされたような気分になりながらも、にこにこ笑顔で歩を進めていく。





「冒険者登録が終わったら、次は宿とご飯をなんとかせにゃならんの」

 




 ディルは馬車の乗車料金でかなり寂しくなった懐をポンと叩いてから、今の自分でも泊まれそうな宿屋を物色し始めた。

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