幼馴染と三角スコーン

白雪ひめ

第1話 バニラ

 午前4時。

 俺はパンの生地を金属のヘラで切断していた。

 トン、トン、トン、トン。

 俺の家はパン屋だ。

 父親が生地をこね、俺は隣で分量を計りながら生地を切る。リズム良くやると、たっぷんたっぷん、と生地が揺れて何だか可愛く見えて来る。これは牛乳卵を使用しない全粒粉のパンだ。優しいシンプルな味は、地元の人にも愛されている。

 俺は修行中の身なので、商品を作ることは許されていないが、生地の分量の計測や、他の小さな作業、焼き上がったパンをショーケースに並べるといった間接的な仕事をする。

 両親は他にも様々なパンの生地を作り、オーブンに入れていった。

 出来立てのパンがどんどん出来上がる。

 小さな店内に、香ばしい良い香りが充満する。

 あっという間に時間は経って、時刻は8時前になる。

 俺はカウンターの裏側で新作のパンを齧った。

 栗ペーストの秋限定クリームパンだ。栗クリームはしっとりしていて濃厚な秋の味がする。

 父親にたずねられる。

「どうだ?」

「美味いけど、ちょっと甘すぎるかも。好みは分かれそう」

「砂糖を減らすか」

「うん」

 その時、カランカラン、とドアベルが鳴って木製のドアが開いた。

 俺は残りのパンを口に放り込んで、カウンターに顔を出す。

 栗色のふわっとしたポニーテールを揺らしながら、セーラー服の女の子が元気よく入って来る。丁寧に扉を閉めた後、カウンター裏に座っている俺を見つけて、ニコッと笑った。

「おはよ」

「おはよう」

 同級生の「朝陽マイ」は、幼稚園からの幼馴染だ。家も近くて家族ぐるみの付き合いがあり、よくパンを買いに来てくれる。

 ちらりと両親を見ると、新しく生地を作って第二陣のパンに備えていた。

 代わりに俺はエプロンをつけて、店員として応対した。

「お客さま、何にいたしますか?」

 マイは少し腰を下げると、ショーケースの中を覗く。

「んー、どうしようかな、今月のオススメは?」

「ダブルチョコレートワッフルです。表面には生チョコレートソースとホワイトチョコのソースが掛かっています。表面はザックリ、中はふわふわです」

「美味しそう!じゃあそれと、いつもの三角スコーンで」

「味は?」

「バニラで」

 カランカラン、とまた扉が開く。

 さらさらのロングの黒髪をなびかせて、背の低いセーラー服の女の子がやって来た。

 幼馴染で同級生の「海野凛花」だ。

 凛花はつま先立ちで、マイの横から顔を出して言った。

「私もパン買う。三角スコーンのチョコでお願い」

 俺は二人に言ってみた。

「たまには逆の味にしてみたら?」

 マイは人差し指を立てて主張した。

「バニラが一番!」

 凛花は肩を竦めてクールに言う。

「チョコ以外は言語道断」

「分かった分かった」

 俺がトングでパンを取っていると、マイが凛花に言った。

「ねぇ凛花、あたしの後ろで走ってなかった?」

「そんな訳ないじゃない。私、走るの大嫌い」

「嘘つかないでいいのよ。道まっすぐだから、見えてるんだから」

「嘘なんかついてないわよ。っていうか、マイはパンを買うのを口実に翔と登校したいんじゃないの?」

 俺は思わず手を止める。

「な、何言ってんの?あたしはパンを買いに来てるだけだから!意味分かんないんだけど」

 そうだよな。そんな絶妙に都合の良い事ある訳が無い。

 俺は再び手を動かす。

「ムキになっちゃって」

「そんな事言ったら、いつも遅刻魔なのにあたしがパン屋行く時は走って来るじゃない。絶対おかしい」

「私もパンを買いに来てるだけよ。焼き立てが美味しいから早く来てるだけ。ああ、そっか。マイは違うこと考えてたんだ?だから邪推をしてしまうのね」

「ちょっと!そういうのやめて!凛花のバカ!」

 マイは顔を赤くして怒り、凛花の頭をポカポカ叩く。

 マイはリアクションが良いので、揶揄いたくなる気持ちも分かる。

「まいどあり」

 時計を見ると、もう8時過ぎだった。

 レジ打ちをしたあと、エプロンを脱いで学校のエナメルのカバンを肩に掛ける。

 マイが俺に言う。

「翔、学園祭のことで相談したいことがあるんだけど」

「相談?俺で良かったら聞くけど」

 マイは生徒会長兼、学級委員で何かと悩みは多いだろう。

 凛花が言った。

「私も相談に乗る!」

 マイは肩をすくめる。

「凛花が答えられるようなものじゃないと思うけど」

 凛花は憮然と言った。

「三人寄れば文殊の知恵って言うじゃない」

「凛花は他人のことよりも自分の心配をした方が良いんじゃないの?数学と物理、この前赤点だったじゃない」

「あれはたまたま山が外れたのよ」

 二人はお喋りを続けている。

 俺は釜戸でパンを焼く父親と母親に言った。

「じゃあ、行ってきます」

 マイと凛花も続けて言った。

「行ってきます」

「行ってきまーす」

 母親は「いってらっしゃーい」と明るく送り出してくれた。父親は小さく頷く。

 結局、俺と凛花はマイの生徒会の悩みを聞いて、いろいろ提案しながら学校まで歩いた。

 学校までは近いので、三人とも徒歩通学だ。

 小学校の時は、ほぼ毎日三人で登下校をしていたので、懐かしい気持ちになった。



 学園祭が近くなり、みんなで出し物を話し合った。

 学級委員のマイが黒板に意見を箇条書きにしていく。

 なかなか意見は纏まらない。

 マイが言った。

「話し合いだけでは先に進まないので、これらの候補から多数決で三つに絞りませんか?」

 みんなが同調する。

「では皆さん伏せて下さい」

 三つに絞られたのは


 ・お化け屋敷

 ・甘味処(かんみどころ)

 ・トラックアートの世界


 マイがコツン、とチョークで黒板を指して言う。

「お化け屋敷を出し物にするクラスは多いと思います。展示物の一位を狙うなら、やはり他との差別化が重要です。私は現時点の候補である、トチックアートの世界か、甘味処が良いと思います」

 凛花がすっと手を挙げて言う。

「展示物で一位を取るかどうかより、大事なのは私達が楽しむことだと思います。だから私はお化け屋敷が良いです」

 マイが両手を腰に当て、憮然と問う。

「理由は?」

「人を驚かすのが好きだからです」

「それは個人的な感想なんじゃないですか?具体的な意見を下さい」

 マイと凛花はクラスの中心人物だ。

 マイはしっかり者で頼りになる、生徒会長。

 凛花は、優雅に窓辺に座る高嶺の花。(実際は自由奔放な芯の強い女子)

 そんな二人が真っ向から対立し、意見を飛ばし合う事で、全員が真面目に考え、意見を出し始める。

 結局最後まで決まらなかったが、白熱した良い時間となった。

 

 

 俺は陸上部で、部活が終わって昇降口へ行くと、マイと凛花が話をしていた。

 最近なぜか、こうして部活帰りに二人に会う事が多い。一人で帰るのもつまらないので、ラッキーだ。

 俺は声を掛けた。

「お疲れ」

 マイと凛花が気が付いて、二人は笑みを返してきた。

「「お疲れ」」

 帰り道、凛花が言った。

「マイはさー、色々理由言ってるけど、自分がお化け屋敷やりたくないだけでしょ?」

「そんなわけ無いわ。学級委員長として、クラスの事を考えてるの。それは本当よ」

 俺はツッコんだ。

「それは?」

 凛花も追随する。

「それは?」

 マイは腕を組み、俺たちを睨む。

「そういうの、揚げ足取りって言うのよ、確かにお化け屋敷は少し怖くて苦手だけど‥‥」

 言葉を切り、マイはムッと宙を見る。

 それから、切り替えるように人差し指を立てて、凛花に提案した。

「凛花、知ってる?甘味処って、店員さんは赤い着物に藍色の袴を着て、革のブーツを履いて、お盆を持っていらっしゃいませーって言うのよ。きっと、とても可愛いわ。お化け屋敷はお化け役でしょ?かなり地味な恰好よ」

 急に話が変わって俺は困惑したが、凛花が両手をパンと合わせて言った。

「やっぱり、あたしも甘味処が良い気がしてきた!」

「でしょ。可愛い格好したくない?」

「したい!」

「でしょ!」

 マイと凛花がハイタッチする。

 俺は割り入った。

「おい、心変わり早く無いか?!お前達、そんなんで良いのかよ!」

 二人は顔を見合わせてふふ、と笑い合い、腕を絡めて歩き出す。

 二人はよく喧嘩をするし、色々と張り合うことも多いが、その分、二人だけの特別な絆があるようだ。



「もっとアクセントを付けてみなさい」

「はい」

 凛花はピアノを弾いていた。

 個人レッスンが終わってからも、夜になるまでピアノを弾き続ける。

 ショパンの練習曲(エチュード)、バッハの幻想曲(ファンタジア)、ヴィヴァルディの協奏曲、ドヴュッシーの前奏曲(プレリュード)。

 ガチャリ、と防音室のドアが開き、母親が顔を出して言う。

「凛ちゃん、お風呂沸いたわよ」

「はーい。ありがとママ」

 防音室を出ると、もう10時だった。

 ピアノを弾いていると時間の感覚が分からなくなる。

 耳の中で音が流れる。お風呂の蛇口から垂れる水滴の音も、ラ、ラ、ラ、と聞こえ始める始末だ。

 凛花は口笛を吹いて自作のメロディーを考える。

 父親は音楽家で、私にはピアニストになって欲しいっぽいけど、自分はそんな事思ってない。他人に順位を決められるものは好きじゃない。窮屈に感じる。

 もちろんピアノは大好きだしクラシックも良いけど、もっと広く音楽に触れていたい。

 私の夢は作曲家だ。

 色々な音楽を作りたい。

 今はまだ、再生回数も多くないけど、いつか誰かの心を震わせられるような音楽を生み出したい。


 そんな事ばっかり考えているので、目下の勉強は酷い有様だ。

「マイに教えてもーらお」

 生徒会長の激戦をくぐり抜けるだけあって、マイの成績はトップだ。

 マイの個人チャットを開こうとして、迷った。

 翔も、そこそこ優秀だ。

「やっぱり翔に聞こうかな‥」

 翔は勉強だけでなく、人としても優秀だ。

 昔から近くで見ているからよく分かる。

 コミュニケーションも上手いし頭の回転が早くて、パン屋で発生する様々なトラブルやクレームも、速やかに解決してしまう。

「そんな事は、どうでもいいのよ」

 今は課題を終わらせなきゃ。

 結局、翔に分からない問題を聞いてみた。

 画像つきで送った後、落ち着かなくて、凛花は足をばたつかせた。

「別に、勉強を聞くのは変じゃないし」

 10分経過。通知なし

 20分経過 通知なし

 30分経過 通知なし

 試しにチャットを開くと、既読がついていた。

「もーう!既読ついてるのに、どうして返してくれないのー!?」

 凛花はスマホを放り出して、ベッドに転がる。

 確か寝るのは大体10時って言ってた。まだ9時じゃん!

 もしかしたら、凛花と話しているのかも。

 なんだかモヤモヤする。

 そもそも、今日だってマイは昇降口で翔を待っていたし。

 約束してたのかな?

 あの二人、仲良いしな。

 ちゃんとしている者同士で波長が合いそう。

 私、結構ワガママだし、気は強いし、口は悪いし、頭悪いし、運動ダメだし‥‥深窓の令嬢、歌姫、なんて、言われているみたいだけど、勝手に見た目だけで設定されたものだ。イマイチ自分ではピンと来ない。それらは本当の自分じゃないし、モテるって言われるけど、実は全然モテない。多分とっつきにくいのだと思う。男子からも女子からも、変な距離を取られてしまうのだ。

 視線を感じる時もあるけど、男子はみんな告白まではしてこない。

 逆に、マイは滅茶苦茶モテる。

 風の噂じゃ高校に入って20人以上告白されているだとか。伝説のレベルだ。

 翔は幼稚園の頃から一緒だから、私の気の強い性格も、頭の悪さもバレてしまっている。

 やっぱり男子はマイみたいな、みんなに優しくて頭良くて、運動も出来て、出来ないことが少ない位のしっかりした女の子の方がタイプかもなぁ。

「うーん」

 寝返りを打って、凛花はクッションに顔を埋める。

 ないものねだりなんて、私らしくない。

 これじゃまるで私がマイに嫉妬してるみたいじゃない。

 翔が好きみたいじゃない。ナイナイ。あんな堅物。

 翔とは幼稚園の頃から一緒で、昔は毎日遊んでいた。自分の少年漫画好きも翔から来ていたりする。今でも休日に家族でバーベキューをしたりする事もあるし、男子っていうより従弟(いとこ)みたいな感じだ。

 ふと思い付いた。この正体不明なモヤモヤな気持ちを歌にしてみよう。何か分かるかも。

 パソコンを起動して音楽作成ソフトを立ち上げる。メロディーラインを作った後、歌詞を入力すると、プーカロイドが歌ってくれる。


ー 静かな夜。胸をグルグル巡る この気持ち

  近くて遠い あなたなら 答えが分かっているの?


 リピートして、ハッとした。

 これじゃ今流行りの恋の曲みたいじゃない。

 私ったら、最近どうしちゃったのかしら。

 実際投稿している動画サイトのコメントでも、「雰囲気変わった?」「柔らかい感じがする!」と書かれていた。

 作品は作者を投影する。つまり、私自身に変化があったということ。

 変化のあった動画の投稿日は一ヶ月前。

 何があったのかを思い出した。



 ある日の放課後、たまたま昇降口でマイと会った。

 それで一緒に帰っていたが、マイは急に足を止めて、話したいことがある、と神妙な面持ちで言ってきた。

『あのさ、凛花は……恋、とか、したことある?』

 想像もしなかった話に、凛花は首を傾げた。

『ないわよ。あるわけないじゃない』

 マイの顔にはいつもの余裕はなく、冗談を言える感じじゃない。

『これ、秘密にしてよ?』

『無理。わたし、秘密に出来ない人間だから、ほんとうに言われたくないから、言わないで』

『それでもいい。凛花に聞いてほしいの。あのね、あたし、翔が好きかも』



 あの時は言葉を失ってしまう程、びっくりした。

 恋愛って、どこかミーハーな感じがしていて、自分は好きじゃなかった。マイも女子の恋愛トークにいつも呆れていたから、同類だと思って仲間意識があったのに。

 ワーキャー騒ぎ立てるアレに、マイも夢中になってしまったのか。

 しかも、翔に!

 マイは私が気を遣って二人きりにしてくれる、とか甘い事を思ったのだろうけど、私はそんな事はしない。確かに親友の恋を応援するのは筋かもしれないが‥‥なんかモヤモヤする。応援なんて私らしくないし。

 そんな約束してないし。

 いや、でもそれがきっかけなんて、意味不明だ。

 考えれば考える程、自分のことが良くわからなくなって来る。

 凛花は歌詞を空白にして、メロディーの続きだけ進めた。




 帰ってきて、すぐに夕飯とお風呂が用意されている。

 凛花からチャットが来ていた事に気付いていたが、俺はスマートフォンを弄る猶予も与えられず、母親に言われた。

「携帯弄る暇があるなら、早くお風呂入って来なさい。明日の仕込みは3時なんだから」

「‥はい」

 土日は、パンの種類と量が増える為、仕込みの量は多くなる。

 どうしてまだ高校生の俺がここまでしなければならないか、少々疑問に思う時はあるが、今までのんびり生きてきた俺には特別やりたい事もなく、逆に絶対にやりたくない、と主張するほどパン作りが嫌な訳でもなかった。バイト代も貰っているし、まあ良いか、と思いながら今に至る。

 よく親の稼業を継ぐことに反発して上京へ、という物語があるが、自分にはあまりその感覚は分からなかった。用意されている就職先があるなら、安心だし、何も考える必要は無いから楽だと思う。

 そんな訳で、俺は8時に就寝。 

 3時に起床。

 外も真っ暗な中、俺はモソモソと布団から出る。昔から両親に合わせて早起きだったのですんなり起きる事が出来る。

 身なりを整え、ジャージから、ツナギの清潔な服に着替える。

 いつものように両親の手伝いをして、三人で上手くコンビネーションを組んで、全てのパンを焼き上げた。

 そのあと、俺は開店する前の余った時間で、父親から個人レッスンを受講する。

 普段、商品のパンを作れない代わりに、休日は父親から指導を受けて、練習用のパンを作っているのだ。

「お願いします」

 寡黙な父は小さく頷く。

 まずは、昨晩のうちに計量しておいた小麦粉、塩、イースト、水などを確認する。

 大きなボールにぬるま湯を用意し、先の尖った温度計を入れて計測する。パン作りにおいて温度は非常に重要だ。パンを膨らますイースト菌は、熱くなり過ぎると死滅してしまう。温度が低すぎてもパンが膨らまない。

 暖房の温度を上げ、お湯で手を温める。材料をミキサーに投入し、固まっていく生地の様子を見る。しばらくして、出来立てのタプタプの生地を、両手で持ち上げて、ミキサーから取り出し、トレーの中に放り込む。一次発酵を終えた生地を天秤量りに乗せて重さを揃える。分割された生地を、それぞれパンの形に成形していく。

 父親が覗き込んで唸るように言った。

「違う」

 ドキリとしてしまう。

 親父は怖い。

 ソーセージロールの編み込みが難しい。生地を四方に伸ばして5ミリ間隔にヘラで切り込みを入れて、交差するようにソーセージに巻き付けていく。

 父親に見せる。何も言わないが、無言が正解なので、俺は安堵した。

 成形の後は、ホイロという機械の中に入れ、二次発酵をさせる。ホイロから出したパンに卵液を塗り、デッキオーブンで焼いていく。数秒釜出しに遅れただけで、売り物にならない物を作ってしまったりするので、時間には気を付けなくてはならない。


 無事練習が終わり、朝7時、開店。

 朝陽が眩しい。

 父親はまだパンを焼き続けている。

 母親と二人でカウンターに立つ。

 出来立てのパンを目当てに朝早くからやってくる人も多い。

「いらっしゃいませー」

 俺はにこやかに挨拶をしながら、お客さんが指差すパンをショーケースから取り出し、一つ一つビニール袋に入れる。

 常連のお婆さんが俺を見て言う。

「あらー大きくなったわねぇ」

 毎回言われる気がする。

 俺は愛想よく笑って返す。

「おかげさまで~」


 朝の来客の波が終わり、俺はカウンターの裏でブランチのソーセージパンを食べていた。

 自分の作ったパンだと格別に美味しい気がする。他人のパンと自分のパンは違う。この瞬間、俺はパン作りの楽しさを感じる。

 そんなことを考えていると、カランカラン、と扉の鈴が鳴り、軽やかな「こんにちは〜」という女の子の声が響いた。

 凛花だ。

 俺はパンを置いて、カウンターに向かう。

 凛花は小花柄の白いシャツ、綺麗な水色のロングスカートを履いていた。

 凛花の私服はいつもガーリッシュで可愛い。ロングの黒髪もハーフアップでお団子に結んでいた。

「おはよう、いらっしゃいませ」

「おはよー」

 凛花は俺の顔をじっと見つめる。

 それで、俺は思い出した。

「そういえば、ごめん、昨日返信できなくて。内容さっき見たよ、今から勉強教えようか?」

 凛花はキョトンと俺を見る。

「いいの?」

「うん。昼過ぎたら、一度仕事に戻るけど」

 凛花は嬉しそうに小さく跳ねて喜んだ。

「やったー!ありがとう」

 俺は店と併設されている、小さなテラス席を見る。

「テラス席空いてるから、そこで勉強する?」

「うん」

「なにか食う?」

「大丈夫。朝ご飯食べたから」

「そっか。俺がもう少し食べたいんだよな、先座ってて、パン決めてくる」

「うん」


 俺はカレーパンとミートパイ、自分の作ったソーセージロールを乗せた。

「母さん、カレーパンとミートパイ、引いといて」

「はいよ」

 テラスの青銅色のガーデンテーブルに、パンを入れたトレーを置く。

 俺も座って言った。

「腹減ったら好きに摘んでいいよ」

「いいの?」

「うん。俺の練習用だし、気にしないで」

「へぇ!翔が作ったんだ!」

「うん」

 凛花はソーセージロールを食べて、ん~!と唸る。

「美味しい!」

「そう?」

「うん!」

 少し話しをしながらパンを食べ終え、それから俺は凛花に数学を教えた。

 ふむふむ言っているものの、この感じ、絶対に分かってない。昔から一緒にいるので分かるが、凛花は勉強に関しては、かなりてきとうだ。

 俺よりもマイの方が教え方が上手い。マイの家に連行して教えを請うた方が良いかもしれない。次回のテストで赤点だったら洒落じゃなく留年とかあるかもしれないし。

 俺がそう思っていると、「あっ!」と声がした。

 振り返るとマイがいた。

 テラス席は道路に面していて、外からも見える。

 白い長袖のシャツにジーンズのシンプルな格好だ。スタイルが良いので格好良く見える。

「な、なっ」

 ウッドデッキ越しに、マイが目を白黒させる。

 何にそんなに驚いているのだろう。

 マイは、じろりと、凛花に視線を移す。

 凛花は頬に手を当て、にやりと笑って言った。

「やだー、マイったら怖い」

「マイ、聞いてくれよ、凛花の数学が本当にヤバいんだ。微分積分が基礎から出来てない。マイも手伝ってくれ。俺よりマイが教える方が絶対良いと思う」

「えっ」

 なぜか凛花が腰を浮かす。

 マイは頷いた。

「もちろんいいわよ!」

 マイは店に入り、テラス席までやって来ると、椅子を引っ張って来て座った。三人でテーブルを囲む。

「さて凛花?どこが分からないのかしら」

 凛花はむすっとしていたが、人差し指で参考書を指差し始める。

「‥‥ここと、こことこことここと‥‥」

 俺は吹き出した。

「全部じゃん。お前、さっき発展問題だけって言ってたのに。やっぱ分かってないじゃん。勉強だと、見栄っ張りだよな」

 凛花が顔を赤くする。

 マイが声を上げて笑う。

「あはは、じゃあ、ちゃーんと基礎からやったほうがいいわね。このページじゃなくて、一番最初の章からやりましょう」

「えー、イヤ!」

「だーめ」

「ムリー!」

「凛花なら出来るわ。前々回のテストだって、私の教えで赤点回避出来たじゃない」

「うーん」

「チョコスコーン、奢ってあげる」

 凛花は足をブラブラさせ、承諾した。

「仕方ないわね」

 俺は思わず突っ込んだ。

「いや、ふつう逆だろ」

 マイが肩を竦めて言う。

「いいのいいの。私も他に調理パン買うつもりだったし、お小遣い余ってるし」

「お小遣いに余るという概念があるのか!?」

 そういえば、マイの家は両親が医者だった。

 百二十円のチョコスコーンなど、痛くも痒くもないのだろうか。

 一通り基礎を学習し、凛花は初めよりマシになっていた。

 休憩になり、俺はバニラスコーンとチョコスコーンをプレートに乗せて二人に持ってきた。

「お疲れ様」

 マイがバニラスコーンを手に取って言う。

「ありがと」

 凛花はチョコスコーンを一口食べて、大仰に唸った。

「んー!頑張った分美味しい!翔、ありがと」

「お金はいいよ、二人とも頑張ってたし」

「え、いいの?」

 マイが言った。

「そうだ、お返しにPOP描いてあげようか」

「まじか!助かるよ」

 マイは絵も上手くて、書道も習っていたので、字もとても綺麗だ。女の子っぽい可愛いPOPは、店の雰囲気も明るくしてくれる。

 凛花が横から言った。

「私も描いてあげる」

「えー、凛花は俺より絵、下手だろ」

「そんな事ないもん。美術で前衛的って言われるもん」

「じゃあ、人気のない隅っこのパンにしてくれ」

「ひどい!」

 凛花は不満げに言う。

「マイだけズルい。私も手伝う」

「はいはい。凛花の仕事はパン食う事な」

 俺がてきとうにあしらうと、凛花は野良猫のように唸って、俺の頭をパシリと叩いて来た。

「いてーよ。何が不満なんだよ」

 マイは笑って言った。

「翔に頼りにして欲しいのよね?凛花?」

「ちがう」

 ふいと凛花はそっぽを向く。

 今日の張り合いは、マイの方が優勢のようだ。

 俺はポップ用の少し厚い小さな紙を多めに持ってきた。

「最終的には親父がチェックするから、好きに書いていいよ」

 俺は一つ一つパンについて説明しながら、二人にPOPを作ってもらった。

 マイが指示し、俺と凛花はそれに従う。

「翔、この紙、雲の形に切って」

「はい」

「凛花は、紙の外縁に沿ってこのピンクのペンで回りを囲って」

「はーい」

 どんどん可愛らしいPOPが出来上がっていく。

「流石、マイは凄いな」

「力になれたなら、良かった」

 マイは微笑む。

 凛花は数枚のPOPを摘まんで、俺に見せた。

「これは、私の。私が作った」

 俺は苦笑して頷いた。

「はいはい」

「ねえ、頑張ったの」

「お疲れ様、二人とも、ありがとう」

 お昼休憩が過ぎ、俺は二人と別れて仕事に戻った。



 マイは、二人と分かれて学校へ行った。

 午後から部活があった。

 部活終わりにスーパーへ寄り、夕飯の材料を買って帰った。

 玄関のドアに付いたレンズに顔を向ける。ドアノブにあるモニターに指紋を押しつけると、カチリ、と音がして鍵が開く。

 ただいまー、と心の中で言う。

 両親は勤務医で帰宅時間は不定期だ。帰って来ても、緊急手術が入ると直ぐに病院へ向かうので家の事はまったく出来ない。

 そのため、自分で家事をして過ごしている。

 夕飯の主食は焼き魚で、副菜は肉じゃが、後は白米と豆腐とワカメの味噌汁にしようかな。

 スーパーで買ってきた具材を取り出し、考えながらご飯を作っていく。

 仕事が大事なのは分かってるけど、寂しい時も結構あった。

 今は慣れたけど。

 じゃがいもと人参と玉ねぎを切り、鍋に入れる。豚肉を入れて、炒める間に白滝を茹でて灰汁をとる。醤油、お酒、砂糖、みりん、大匙四杯ずつ。落とし蓋をして煮汁が無くなるまで煮込む。

 暇になって、マイは新しく買ってきた大学の過去問題集を解き始めた。

 マイは解きながら頭の隅で考えた。

 凛花はとても歌が上手くて、ピアノも上手だ。作曲だってやっている。今日は頭の弱さをちょっとイジってしまったけど、今度、凛花の歌を聞いたら沢山褒めてあげたい。

 多分この世界には適材適所というものがある。私は両親の血を受け継いで、たまたま勉強が得意な人間に生まれた。手も器用で、メンタルも丈夫だ。才がある以上、それを生かす責任がある。私は恵まれた力を発揮して、誰かを救えるようになりたい。

 両親は医者になって欲しい、なんて一言も言ってないけど、自然となりたいと思った。

 その時、ピンポーン、とインターフォンが鳴った。

「はーい」

 モニターには翔の顔が映っている。

「たかつきベーカリーです。パンどうですかー?」

「買う買う〜」

 マイが玄関を開けると、翔はヘルメットを脱ぎ、二輪バイクの後部に取り付けてある、プラスチックの大きなトレーを取り外して、見せて来た。

「どれが良い?」

 ビニール袋にそれぞれ包まれたパンが六個あった。

 たかつきベーカリーは、日曜日限定で、フードロスを止めるために、店が終わった後、お得意様の家に一個二十円で売れ残ったパンを販売をする取り組みをしている。

 マイは言った。

「残り全部買うよ」

「まじか、助かるよ」

「こっちこそ、ちょうど良かったわ。明日の朝ごはん悩んでたの。たかつきベーカリーの惣菜パンは本当に美味しいよね」

「ありがとう。助かるよ」

「何軒回ってるの?」

「八軒目かな。ロスパン売り切るまで帰れないからなぁ」

「お疲れ様」

 くぅ、と翔のお腹が鳴る。

 恥ずかしそうに俯いた。

 それが可愛くて、マイはくすりと笑って提案した。

「何か少し食べてく?わかめと豆腐のお味噌汁、肉じゃが、白米ならあるけど」

 翔はそろりと顔を上げる。

「いいのか?」

「いいよ」


 肉じゃがを食べながら、翔は言った。

「マイは料理上手だよな〜」

「ありがと」

「夕飯、もう食ったのか?」

「ううん、これから食べるよ」

「じゃあ、せっかくだし一緒に食おうよ」

「あ、うん」

 対面してテーブルに着く。

 なんだかこうしていると‥‥夫婦みたい。

 少し気恥ずかしい、なんて思っているのは自分だけかな。

 目が合う。

 胸がドキドキした。

 翔が優しい表情で言った。

「最近、生徒会とか部活とか、大変なんだろ?」

「そうでもないよ」

「ふぅん。夕飯とか困ったら、昔みたいに俺の家に来て一緒に食おうよ。母さんもマイのことよく話に出すんだ。来たら喜ぶよ」

「あ、うん」

 家が高くて、両親も翔の家と交流があったので、翔のご両親は自分を心配して夕飯に招いてくれていた。 

 翔とは幼稚園の頃からずっと、ずっと一緒に過ごして来た。

「ありがとう。優しいよね、翔は」

 寂しがり屋な私の事に気を遣っているのだろう。

 翔は笑って言う。

「そんな事ないよ、普通のことを言っただけだろ。友達が困っていたら助けたいし。なんかあったら頼ってくれよ」

 友達か。

「うん、ありがと」


 翔を見送ると、家がシンと静かになった。

 マイは胸に手を当てた。

 私の長所は常に泰然自若、理路整然としている事だが、翔を好きだと自覚してから、それが崩れ去っている。

 どうして今日、凛花と翔はテラスで勉強をしていたんだろう。

 そんなの決まっている、二人が連絡をしていて一緒に勉強する事になったんだ。

 翔から教えてあげるって言ったのかな?

 それとも凛花から?

 翔はモテる訳じゃないけど、高校に入ってから一度告白されているのを知っている。女子の情報網だ。聞かなくても耳に入って来た。「あの陰キャ?」という囁きもあれば、「落ち着いた感じが意外と格好良い」「顔をよく見たら割とイケメン」という意見もある。

 だが翔は女子には靡かない。

 それがパンに熱中しているせいかは分からないが、まだ誰とも付き合ったことが無い。

 でも、時間の問題かもしれない。

 だって凛花は可愛い。

 声も鈴を転がしたみたいに可憐で、歌も上手いし、ピアノも弾ける。合唱コンクールの時はいつも引っ張りダコだ。

 恋愛だったら、勉強が出来るより、可愛くて歌とピアノが上手な方が有利だよね。

 マイはため息をつき、首を振った。

 私らしく無い。

 恋って、どうしてこんなにも心を掻き乱すのだろう。

 ロスパンの中から、チョコスコーンを取り出して食べた。

 まさか凛花も翔を好きになるとは思ってなかった。

 いや、隠してたのかも?

 自分は恋愛の経験値が浅かったのだ。

 相談した方が上手くいくかと思った。

 凛花に抜け駆けされたらどうしよう。

「‥‥おいしい」

 チョコスコーンも美味しいのは昔から知ってる。




 俺は家庭の事情で4時に起床しているため、生まれてこの方、遅刻というものをした事が無い。

 囀る小鳥の声を聞き、陽が上ったばかりの青い空を見上げながら、のんびり登校。まだ三人しか居ない教室に静かに入り、着席。

 スマートフォンのアプリゲームを開く。今日のログインボーナスを受け取り、デイリーミッションを消化する。推しの限定ガチャが来るまでガチャの石を貯蓄し、その数字の多さを確認するのが、俺のささやかな楽しみである。

 騒がしくなって顔を上げると、いつの間にか教室は生徒で埋まっていて、マイがみんなに特別授業を行なっていた。

 黒板に回答を書き、先生のように説明をする。

 他のクラスからも人が集まってきて、マイの解説を書き、回答をノートに書き写す。

 月曜日は課題の提出日なのである。

 ふわふわの栗色のポニーテールを揺らし、マイが振り返る。

「こんな感じかな。みんな分かった?」

 クラスメイトの女子生徒が言う。

「ここ、何だったっけ」

「ああ、そこね、ちょっとややこしいよね、もう一回説明するね」

 マイは再度、黒板に丁寧に説明を始める。

 生徒会や学級委員の仕事もあるのに、よくそんな余裕があるものだ。いや、余裕はないけど時間を作っているのか。

 友達やクラスメイトを大切に想いやれる気持ちは、最早、菩薩のレベルだと思う。マイは地域のボランティア活動にもよく参加しているし、博愛精神の権化だ。

 俺が感心していると、男子の友達がやって来て、マイを見て言った。

「マイさん、可愛いよな」

「可愛い?」

「は?お前、そう思わないの?」

「‥‥まぁ」

「スタイルもいいし、足も綺麗だよなぁ。もっとスカート短くしてくれないかな」

「生徒会長なんだからダメだろ」

 マイはモテるけど、そういえば誰か好きな人はいるのだろうか。

 まったく恋なんてしてそうには見えないけど。




 マイは思う。

 みんなと接しているのは楽しいし、愛しい時間だ。両親もそうだけど、出会える時間はあっという間、本当に一瞬だから大事にしなければならない。

 クラスメイトの千鶴が彼氏にフラれた、という噂が耳に入った。

 千鶴は涙目で俯いている。

 声を掛けたかったけれど、授業が始まってしまってダメだった。

 千鶴は男性アイドルが好きだったと思う。

 マイは教科書の影で素早くスマホで男性アイドルの記事、トイッターの感想を隅々までチェックする。 

 昼休みになり、マイは弁当を持って千鶴に話しかけた。

「ね、一緒に食べない?」

「え?でも、マイはいつも」

 千鶴は窓辺でたむろする女子の軍団に視線を向ける。

 マイは笑顔で言った。

「たまにはいいじゃん!それより、千鶴は昨日のジーステーション見たの?」

「え?」

「あたしも最近タッキーがカッコいいなって思ったりしてさ!動画で見てるの。千鶴、タッキー好きだったよね?」

「あ、うん」

「さっきトイッターで見たけど、振り付けアレンジされてたんだね。リーダーはさすが、本番強いよね」

 マイの突撃に千鶴は少々面食らっていたが、好きなモノに関する話を張られて、楽しそうに話し始めた。

「うん!そうそう、急に変えるなんて凄いよね」

 千鶴の顔に少しずつ笑顔が戻っていくのを見ると、とても安心した。

 マイは手を広げて言った。

「ね、明日からみんなで食べようよ!」

 千鶴は泣きそうな顔で笑った。

「うん!」



 俺は男子の友人と弁当を食べていた。

 ふと見ると、マイはいつもの女子の輪に居らず、普段あまり教室にいない女の子と一緒にいた。名前は何だったっけ。

 マイはニコニコと笑って両手を振り、何かお喋りしている。

 普段は大人しいその子が、くすり、と笑った。

 俺は何となく言った。

「朝陽ってみんなと仲良いよな」

 俺の視線に気が付き、友人もマイの方を見る。

「気遣いが上手いやつだよな。さっき葉山のやつ、彼氏にフラれたっぽくてさ、慰めてんじゃね?」

 そうだ、名前は葉山千鶴だ。

 俺は驚いた。

「そうなんだ。葉山さんって彼氏いたんだ」

「は?」

「え?」

「有名じゃん。知らないのかよ。俺にはお前の方がびっくりだわ」

 他の男子も話題に乗り始める。

「朝陽はほんと良い子だし、可愛いよな」

 みんなが無言で同意を示す。

 男子の中でも、お調子者が言った。

「海野と朝陽、どっち派?」

「海野」「朝陽」「海野」「朝陽」

「見た目は海野がダントツ。黒髪が綺麗で、顔も間近で見ると人形みたいだぜ。胸も大きいし、歌も上手いし、声も可愛い」

「朝陽も可愛いよ」

「海野と比べたら、って話だろ」

「朝陽は性格良いし頭良いし、付き合ったら絶対楽しいタイプだよ」

「それはある」

「お前は?」

「え?」

 話を振られ、俺は箸を止める。

「‥‥まったく考えたことないな」

「じゃあ今考えろよ」

「うーん。異性として?」

「そう。付き合うなら」

「うーん」

 葉山はもう悲しい顔はしてなくて、マイの笑顔が伝染したように、ニコニコ明るい顔で笑っていた。

 俺は大して考えずに言った。

「朝陽かな。誰かを元気にさせることって、素敵なことだと思うから。俺はそういうの出来ないから尊敬する」

「真面目かよ!趣旨ズレてる!人間としてじゃなくて」

「えぇ、分かんねぇよそんなの。二人とも友達」

 男子勢から「うわぁ」という顔で見られる。

 空気読めない奴、と思われたくなくて、俺は慌てて付け足した。

「どっちも派。選べないってだけ。両方派もいるだろ」

「まぁ、それはわかるけど」

 俺はてきとうにコクコク頷きながら、考える。

 たしかに二人はとても魅力的だ。でも、彼氏がいたって聞いたことが無い。

 もし彼氏が出来るなら、どんな人だろう。

 二人が幸せになれるような男だったら賛成だけど、何だか上手く送り出せる気がしない。

 少しモヤッとした。


 

 凛花は女子の弁当の輪の中でも、男子側に近い場所に座っていた。

 背を向けているから見えないけれど、耳を澄ませると声が聞こえてきた。

 話の内容は、自分とマイについてだ。

 男子は女子が怖いとかいうけど、男子だってナチュラルにヤバイ事話してるじゃない。

 箸を掴む手が止まる。

 マイか、自分か、どっち派って…

 翔はずっと無口で、たぶんいつも通り黙々とご飯を食べていることだろう。

 だから、この話も乗って来ない。

 聞きたいような、聞きたくないような、微妙の気持ちだ。

 そう思っていると、一人の男子が翔に話を振った。

 翔は「うーん?」とのんびりした返しをした後、「朝陽かなぁ」と答えた。

 凛花は箸を落とした。

 だが続いた言葉に、安堵する。

「誰かを元気にさせることって、素敵なことだと思うから。俺はそういうの出来ないから尊敬する」

 翔は真面目だから、恋愛的な視点じゃないようだけれど、優しい性格の子がタイプみたい。

 私より、マイ……

 衝撃に震えていると、友達が落とした箸を拾ってくれた。

「凛ちゃん、大丈夫?」

「ふぇ」

「ふふ、なにその声」

「ごめん、ありがと。お箸洗ってくる」

「行ってらっしゃい」



 …朝陽 朝陽 朝陽…

 なぜか頭の中でリピートされる。

 ご飯を食べて少し時間が余り、凛花はハードカバーの本を開く。

 自慢じゃないが、国語と古文、漢文、英語は凄く成績が良いのだ。

 自分は文系で、本を読むのは大好きだ。

 だが、珍しく文字が頭の中に入ってこなかった。

「凛花」

 顔を上げると、翔が居た。

 急に心臓が動き始める。

 翔が眉を上げて言った。

「凛花、次の数学、問題指名されてなかった?」

「え?そうだっけ」

「ちゃんとやったか?」

「うーん」

 たぶんやってない、と思いながら、一応机からノートを取り出す。

 翔がノートを差し出した。

「問5の発展問題。ちゃんと読んで写せよ」

「うん。ありがと」

 翔はビックリするくらい優しくて気が利く。勘違いしそうなくらい。



 俺は凛花にノートを貸し、席に戻る。

 凛花は直ぐに開き直る。分からない時は「分かりません」とハッキリ言うので逆に潔くて格好良いのだが、それを毎回していたら凛花はダメな子になってしまう。昔から凛花は皆に「カワイイ~」とチヤホヤされて育ってきているのを目の当たりにしているため、俺はつい気になってしまうのだ。

 

 六限目になった。

「では、学園祭の出し物は、甘味処(かんみどころ)に決定します」

 みんなが拍手をする。

 凛花とマイの絶妙な連携プレイにより、流れるような自然さで、甘味処に落ち着いた。

 マイが紙を配りながら言う。

「では、販売するスイーツ、ドリンクを決めます。紙を配るので、来週までに一人一つ、案を考えておいて下さい」



 部活終わり、昇降口でマイと凛花に出くわした。

 二人は結構な頻度で、昇降口で立ち話をしている。

 俺が行くと、二人がこちらを向いて嬉しそうに小さく手を振った。

「お疲れ様」

「「おつかれ」」

 自然と三人で帰ることになる。

 俺はたずねた。

「最近よく二人と会うけど、部活終わりが遅いの?陸上はいつも遅いけど、水泳と合唱って早くなかったっけ?」

 凛花は言う。

「合唱は大会が近いの」

「そうなんだ」

 マイは目をパチリとさせて言う。

「水泳は…まあ、気温が低い時は筋トレしてるし、色々ややこしいのよ。それで遅くなるの」

「ふーん。暗くなって来たし、早目に帰れよ」

「うん」

 二人は大人しく頷く。

 甘味処の話になった。

 マイがたずねて来た。

「メニュー、何か思いついた?」

 俺は考えて言う。

「甘味処って言ったら、あんみつ、みたらしだんご、とか?普通だけど」

 凛花が言った。

「普通じゃつまらないから、例えばクマさんの耳をつけたりしたい。何かテーマみたいなもの、作りたいわ」

 俺は首肯した。

「たしかに、それは良いかもな。パンも猫耳を付けただけで売上が倍になる事もある位だ」

「可愛いものは映えるし、話題作りにもなるわ。集客効果も抜群よ!」

 凛花がパチンと手を合わせる。

「そうだ!動物をテーマにするのはどう?バニラは猫で、チョコがクマ。アイスに耳をつけるの」

「どうやって?」

「うーん」

 俺は思いついて言った。

「たかつきベーカリーの袋で、外側に目と口が描いてあるデザインがあるんだ。透明になっていて、パンを入れると猫の顔になるんだよ」

 凛花が身を乗り出す。

「容器を工夫するってことね!めっちゃいい!」

「他にはそうだな、カップとかなら、シンプルに画用紙で切った猫耳を外側に貼るだけでも良いんじゃないか?コスパもいいし、色々な耳があっても面白いな」

 マイは目を輝かせた。

「やっぱり二人は発想が良いわ。あたし、全然思いつかなかったもの。すごい!」

 俺と凛花はハイタッチした。



 水曜日は部活が短い。

 放課後、凛花とマイがたかつきベーカリーに来てテラス席で話し合いをしていた。

 俺はレジ打ちをする母親の隣で、お客さんが購入したパンをトングで取って袋に入れていく。

 客が居なくなると、凛花がテラス席と店を区切るドアを開けて、顔を覗かせた。

「翔、今ヒマー?」

 直ぐに後ろからマイが出てきて凛花を引っ張った。

「凛花、翔の仕事の邪魔しないって約束でしょ」

 母親が「遊んできなさいな」と俺に言い、俺は二人に笑って答える。

「ぜんぜん良いよ。マイは真面目だな」

 マイは腰に手を置いて、憮然と言う。

「もう、揶揄わないでよね」

 凛花が二つのコップを俺の前に差し出す。

「どっちが良いと思う?」

 よく幼稚園の工作にある感じの完成度だった。

 たぬきの耳がコップの底にくっ付いている。もう一つはウサギの白い耳だ。

 俺は躊躇いながら、意見した。

「…これ、底を上にしたら飲み物とか入れられないかもしれないな」

 凛花とマイは顔を見合わせる。

 マイが言う。

「そんな事は分かってるわよ。でもじゃあ、どうしたら良いの?」


 という訳で、俺も容器を考えた。

「これさ、一つのコップで統一せずに、デザートと飲み物で分けた方が良いかもな。デザートは少し低めのカップにして、飲み物は普通の高さのコップにすれば分かりやすいし、工作もしやすい」

 二人はうなずく。

「なるほど」

「注文受ける方も確認しやすくなるしな。単純にカフェを楽しむ為に来て、スーベニアカップじゃない普通のものが良いって人もいるかもしれない」

「たしかに!」

「それもそうね」

「うん。だから、デザートのコップが耳つきで、普通のコップが普通のラベルとして、まずはデザートのデザインから考えよう」

「「うん!」」


 俺達は画用紙を切り、色々な耳を作ってみた。

「後ろに耳をつけて、顔はカップの側面に、こうやって…」

 黒い点の目で、ハムっとした口をつける。

 凛花が拍手した。

「おー!!」

 マイもうなずく。

「翔、すごく良いよ!」

「じゃ、これで行こう。それでさ、ドリンクはラベルを貼ろうよ」

「ラベル?」

 俺は学園祭がとても楽しみだった。

 ずっと考えていた案を二人に伝え、三人で相談しながら容器を作っていった。



 学園祭の出し物は、「甘味処〜あにまる〜」に決まった。

 マイが言う。

「みなさん、真剣に考えてくれてありがとうございます。全て貴重な意見でした。続いて、提出された意見の中でも、面白そうなものを私がピックアップしてみました。まず、高槻さんお願いします」

 俺は席を立ち、説明をする。

「ラベルを考案します。紙コップや容器に、印刷した長方形の紙を巻き付けると、ラベルみたいになって白い部分が隠れて印象が変わります。甘味処あにまるのロゴを印刷して貼るのはどうでしょうか」

 俺は予め作ってきた、紙コップを見せる。(イラストはマイが描いた)

 これには賞賛の嵐だった。

「すごい!お店のやつみたい!!」

「可愛い〜!!」

 みんなの心も高まり始め、ヨイショしてくれる。

「すごーい!翔君!」

「さすが現役パン屋!」

 俺はクラスの立ち位置じゃ、いつも地味だ。

 それがこんなにも目立っているなんて。人生で初めてだ。嬉しいけれど、慣れていないので落ち着かない。

 もしかして、これが俺が輝ける最期の場かもしれない。ちゃんと活動しよう。


 俺たちは真面目に議論を交わした。

「俺ん家のパン屋は普段の来客数が250人くらいで、当然それ以上の袋は用意してある。銅烈で考えるのは変だけど、まあザックリそれくらいだとして、スーベニアタイプのカップ2つ以上頼むお客さんがいるかもしれないと考えると、500以上は作っておいて損はないと思う。足りなくなるより良い」

「そんなに作れないよ」

「一人2つずつ作れば一日80個。一週間で560個になる。大丈夫」

 俺達は、食品グループ、内職グループ、外装グループ、内装グループ、広報グループ、服飾グループの六つのグループに分かれて準備を始めた。

 俺は食品グループのリーダーとなり、みんなとメニューを考えていった。



 学園祭の準備期間に入った。

 俺は部活が終わった後、ジャージに着替えてみんなの作業に加わる。

 俺がリーダーを務める食品グループは、食品管理の書類も提出し、仕入れまで抑えている。利益率など全て数字は割り出したので、やることはなくなった。

 俺は外装グループを手伝うことにした。

 現在、駐輪場の建物は、自転車が退かされて、ペンキ塗りや段ボールを用いた大型の展示物を制作する場所となっている。

 クラスメイトの男子に呼ばれた。

「翔ー、ペンキ手伝ってくれ」

「おう」

 俺は靴を脱ぎ、ブルーシートの上に乗る。

「甘味処、っていう看板を描きたい。まず茶色で塗って、乾かした後、文字を上から塗る予定だ」

「了解」

 茶色のペンキを受け取り、ハケで塗っていく。

「裏も塗る?」

「モチ」

 指で摘んだが、思い切り指についた。

「うわっ」

 さらに男子が看板を押しつけて、ゆらりと俺の方へ傾く。

 俺は目を剥いて、慌てて両手で受け止めた。

「おい!」

 俺が怒ると、気付いたみんなが笑った。

 男子が言う。

「高槻って面白いよな。最近イメージ変わったわ」

「そう?」

「うん、準備立案も積極的で、すごいと思った」

「ありがとう」

 俺は冷静に返しつつ、胸中では感動していた。俺は普段クラスメイトとあまり会話をしない。パン屋のように仕事と割り切るとコミュニケーションが取りやすいのだが、同級生と距離を縮めるのは用も無いのに話し掛けなければならないし、また別の難しさがあった。

 俺は放課後遊びに誘われても行くことが出来ないし、多分ノリの悪い真面目君だと思われている気がする。そう思うと余計に喋りかけづらくなって、無口になってしまうのだ。

 だから嬉しかった。

 マイが俺に仕事を振ってくれて、積極的に活動出来たのも大きい。後で礼を言わなければ。

 黙々と塗っていると、他のクラスメイトがやってきて言った。

「内装班いい感じだぜー、見に来いよ」

「行こうぜ」

 俺も誘われるまま、男子集団に混じり、家庭科室に向かった。


 俺達は家庭科室を覗いて、思わず「おぉ!」と声を漏らした。

 無機質な金属だった家庭科室のテーブルには、赤と白のチェックのテーブルクロスが被せられている。

 それだけで大分印象が変わる。他にもぬいぐるみが置かれていたり、天井からハートや星が垂れ下がっている。

 女子達がやって来た。

 凛花が腰に手を当てて、自慢げに言う。

「どう?」

 陽キャの男子が答える。

「すごく良いよ!テーブルクロス感ある!」

「ここのテーブルは赤のチェックで、向こうはピンクのチェックになっているの」

「本当だ、オシャレじゃん。カフェっぽい」

 女子達に頼まれて、男子は内装の手伝いをした。

「キッチンを区切るカーテンを取り付けないといけないの。身長足りないから手伝って」

「分かった」

 俺もそういう物を手伝いたかったが、結局主張できずに箒で布の歯切れや塵を掃除した。雑巾で丁寧に床の汚れを落としていると、「うーん」と悩んだような声が聞こえてきた。

 カーテンの取り付けが上手くいかないらしい。

 俺は割と器用なので、手伝えるかもしれない。

 そう思って見上げていると、凛花が気づいて俺に言った。

「翔、細かい作業得意でしょ、ちょっとやってみてよ」

 レールに掛けるフックの部分が歪んでしまっていた。知恵の輪の要領で金具を斜めに差し込むと上手く嵌まった。

 俺が色の濃い、赤茶色のカーテンを取り付けると、ガラッと雰囲気が変わり、みんなが歓声を上げる。

 俺はほっと息をついた。良かった良かった。


 家庭科室の隅でお茶を飲み休憩していると、凛花がやって来た。

 隣に並び、俺の顔を覗き込む。

「翔、なんか、顔に泥ついてるわよ」

「え」

 凛花がハンカチを出して拭こうとする。

 俺は気がついた。

「ペンキだ。ハンカチに付くからいいよ」

「べつにいいわよ、これおばあちゃん家にあった要らないやつだし。ちょっと待ってて」

 凛花は水で濡らして顔を拭いてくれた。

 見ていないようで、みんな見ているのが分かる。

「凛花」

「ん?」

 凛花は周囲の目など気にしない、「人は人、自分は自分」のタイプである。

 恥ずかしい、と言う方が恥ずかしい気がして俺は何も言えなくなる。

 凛花がうん、と頷いて微笑んだ。

「水性ペンキだからちゃんと落ちたよ」

「ありがとう」

 その時、ガラガラ、と扉が開いて、家庭科室に他のグループの女子がやって来た。

 凛花を見つけて言う。

「次、計測、凛花の番だよ。マイが待ってるから早く!」

「わかった〜」

「計測?」

「そ、衣装のサイズを決めないと」

「ふーん」

 衣装、ということは、スリーサイズ?

 バスト、ウエスト、ヒップを測るのだろうか。

 凛花が腕を組み、問うてきた。

「興味ある?」

「あります」

 正直に答えると、凛花に頭をチョップされた。

「男子禁制です。じゃあね」

 凛花はにやりと笑い、綺麗な黒髪を靡かせながら家庭科室を出ていった。

 聞き耳を立てていた男子達がやって来る。

「行こうぜ」

「いや、男子禁制だって」

「更衣室じゃないんだし、下着じゃないから大丈夫じゃね」

「怒られるよ」

「高槻は真面目だよなー」

「‥‥」

「後でサイズ教えてやるよ」

 俺は立ち上がった。

「行く」

「それでこそ漢だ」

 実にくだらない。


 教室で計測をしていた。

 マイは慣れた手付きでメジャーを伸ばし、凛花の前に立つ。

 マイが言う。

「はい、万歳」

 凛花が両手を広げる。

 背中から抱きつくようにマイがメジャーを背中に回して、胸の一番飛び出た部分‥‥乳首のある所にメジャーを置いて測る。

 男子が囁く。

「バストってああやって測るのか」

 次はウエストかと思いきや、またもや胸付近にメジャーを回す。

 なんと、胸の下の、付け根の部分を計り出した。きゅっと絞られると、凛花の胸の形がはっきり浮かび上がる。シャツにシワがより、膨らんだ双丘が突き出る。

 意外に大きい。

 男達は一気に色めき立った。

「えろ!」

 その声が聞こえたのか、ドア越しに、マイが恐ろしい速度で振り向いた。

 隠れる前に、ばっちり目が合った。

 マイはめちゃくちゃ怒った顔をして、こちらに歩いてくる。

 ピシャン、とドアを開け、低い声で言った。

「あなた達、仕事は終わったのかしら?」

 俺含め、男子は蜘蛛の子を散らすように退散して行った。


 

 俺達のクラスが使うのは家庭科室だが、教室を使うクラスがいるので、机運びをしなければならなかった。重労働のせいか、まだ沢山机が残っている。というか、ほとんど誰も運んでいない。

 確かマイは、明日までには運んでおいて、と言っていた気がする。

 言われた事は守った方が良いだろう、と思い、俺は一人机を運び続けていた。

 夕暮れが眩しい。

 教室で、凛花と出くわした。

「あら。何してるの?」

「見ての通り、机を運んでるんだよ。そっちこそ何の用?」

「ひみつ~私もやる〜」

 凛花が机を持ち上げる。

「理科室まで運ぶけど、大丈夫かよ」

 凛花は超非力だ。多分、ゲームならFランクくらい。

「平気よ」

「気を付けろよ」

 階段を上っていると、凛花のスカートから太ももが見えた。見えてる部分は細いのに、意外にむっちりしている。胸もあったし、小柄に見えるけど痩せてる訳じゃないのかな。

 と、そんなことはいい。

「スカート短いぞ」

 凛花は首を傾げる。

「短いの、好きじゃない?」

「いや、危ないだろ。もう少し長くしろよ」

「心配?」

「心配だよ」

「分かった、じゃあ、そっち向いてて」

「え?」

 階段の踊り場で机を置くと背中を押されて、俺は後ろを向く。

「いいよ」

 カチャ、っと音がした。

 凛花を見ると確かにスカートの丈が長くなっていた。

 凛花の手には紺色のベルトがある。伸縮性のゴムで出来ていて、両先端にフックが付いている。男子の革のベルトとは違う。

「どういうマジック?裁縫で詰めるんじゃないの?」

「そんな事しないわよ」

「スカート丈2センチ、詰めたら飛ぶよって歌あるじゃん」

「あの歌詞はきっと、男の人が作ったのよ。実際は内側に折ってベルトで括るもの」

「へぇ」

「こうやって直ぐ調節できるから便利なの」

 凛花はプリーツスカートをささっと両手で払う。

「マイには言っちゃダメよ!」

 すっと凛花に影が落ちた。

 マイだった。

 マイは怒って凛花に言う。

「スカート短すぎ!そんなに露出して危ないわよ!」

「平気だもん」

「平気じゃないわ。凛花は小さくてすぐ食べられちゃうのよ!あたしが許しません!」

「過保護よー、一生に一度のJKじゃない」

「なら言い方を変えるわ。膝上20センチは風紀に違反します!よって、ベルトは没収です!」

 マイは凛花の手から、するりとベルトを抜き取った。

「えー!!返してー!」

 凛花が手を伸ばしてピョンピョン跳ねる。

「一週間風紀に違反せず過ごせたら、返してあげるわ」

「えーひどいー」

「スカートを短くして足を見せたいっていうのは、異性を誘いたいって事なの、破廉恥よそんなの。絶対に良くないわ」

「マイは大和撫子だよね」

「ふつうよ。女の子は露出は控えるべき。ダメ絶対!」

 俺も同意する。

「まぁ短すぎは良く無いな」

「うーん」

 不服そうだが、凛花は納得したようだ。

 その後は三人で机を運んだ。

 運び終えて、運動場近くにある、小さな休憩所のベンチに座った。

 自動販売機でジュースを買い、三人で雑談する。

 男子の集団が採寸を覗き見をしていた話になった。

 マイが呆れた風に言う。

「ほんと、男ってしょうもないわ」

 俺は開き直って二人にたずねてみた。

「胸って二回測るんだな」

「なんの話よ」

「いや、その、どうしてかなと思って」

 マイがため息をついて説明してくれる。

「バストには、トップとアンダーっていうのがあるの。胸の形も個人差があるから、衣装に合わせないとでしょ?突っ張って動きにくいもの」

「すごい!なるほど!」

「何がなるほど!よ」

 マイがムっと口を尖らせる。

 凛花が付け足した。

「サイズって言っても、全てのブラが同じ訳じゃ無いのよ、ブランドによって変わってくるから、試着をしてから買うのがベストなの。だから、サイズがBの女の子も、違うブラだと、Cになったりするのよ」

「へぇ〜おもしろ」

 俺が正直に言うと、マイがめくじらを立てた。

「なにも面白く無いわよ!凛花もそんな破廉恥なこと言わないの!ちなみに破廉恥っていう意味に性的なものは無いんだけど、今この状況にピッタリ合っているから使っているだけよ。間違っているのは分かってるから」

 俺は凛花と顔を見合わせて笑った。

 マイが怒る。

「もう!何が面白いのよ!」

 凛花はマイの腕に腕を絡めて、言った。

「マイったら、面倒なオンナ〜」

「ちょ、失礼ね!あたしは普通の事を言っているのよ」

「はいはい」

「翔も、脱いでないとはいえ、そういう目で見ないでよね」

「うん。見てないです」

「うそつき!」

「マイったら、そんなに一生懸命になるの、逆にえっちじゃない?普通に計測していただけじゃない」

「本当だよな」

 俺は凛花とうなずき合う。

 マイは顔を赤くして、ぷいとそっぽを向いた。

「そんなこと考えてないわよ」




 マイは湯船に浸かり、両手で胸を掴んでみた。

 やっぱり小さい。

 今日は破廉恥とか言っちゃったけど、やっぱりエロさはモテの要素の一つに違いない。

 男子達が凛花がデカかった!って騒いでた。

 たぶん、翔も凛花の胸の大きさを知ってるに違いない。

「うーん」

 ぶくぶくぶく、と頭まで湯船に沈む。

 っていうか、そもそも内装班の凛花が机運びをしているのはおかしいじゃない。

 絶対翔が地味な仕事(机運び)をしていると予測して、翔を探して、偶然を装ったんだ。

 まあ、それを更に予測して二人と鉢合わせたフリをした私も同じだけど、それは仕方ないじゃない。凛花が翔と結ばれちゃったら嫌だし。

 マイは両手で胸を揉み、胸が大きくなるというマッサージを施しながら、真剣に考えた。

 ブラジャーにクッションを入れたら、もう一サイズ盛れるかな。そうしたらCカップに出来る。Cは女の子の平均くらいだし、誤魔化せるかも。

 うん、そうしよう。

 浴槽から出て、思わず姿見に映る自分の身体を見つめる。

 背も高めだし、全体的にすらりとしていて、よく女の子からは体型を褒められるけど、やっぱり胸が貧相だ。大胸筋でも誤魔化せない。

 女の子っぽくなれるように、努力しなきゃ。

 勉強と同じよ。カワイイは作れるって、言うじゃない。

 凛花には負けない!




 凛花はピアノを弾いていた。

 ふと時計を見ると、11時だった。

 3歳の時から、最低一日3時間ピアノの前に向き合ってきた。

 それは段々時間が増え、高校に上がる頃には5時間になっていた。

 コンクールで賞も取る程だから、みんなにピアニストになるつもりは全く無いというと驚かれる。

 夢は作曲家なのに、どうしてピアノをそんなに練習し続けているのか、とたずねられたら上手く答えられる自信は無い。

 分からないけど、やりたい事だから、今やる。今、頑張る。

 私は結構、フィーリングで生きている。自分のロックな生き方は嫌いじゃない。

 そんな事を考えていたら、ガチャリ、と防音室の扉が開いて母親が顔を出した。

「練習終わった?」

「うん」

「お風呂湧いたわよ」

「ありがとママ」

 防音室を出てお風呂へ向かう。

 ペールカラーの桃色の浴槽に溶けるように浸かった。

「はぁ~」

 癒される。

 目を閉じると、翔との出来事が思い出された。

 スカート短くしたら怒られたの、嬉しかったな。

 それだけ大事にされている感じするじゃん?

 普通、男子って短いの喜ぶのに、そういう所、翔らしいな。

「ふふふ」

 手の先でちゃぷちゃぷ水面を揺らす。

 なんか高校楽しいな。翔と同じクラスだと沢山話せるから、毎日ワクワクする。

 ……でも、翔はこの前の話だと、二択でマイを選んでた。恋愛的な意味じゃないって言ってたけど、潜在的にはマイの方が好きなのかな…

「うーん」

 明日は、とびっきり可愛くしていこう。

 言葉が出て来なくなるくらい、翔に可愛いって思わせたいな。

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