薄情
何時如何なる時もマナーだけは忘れるなと幼少期から父に教え込まれたノアールは慌てていても身に染みついた習慣を忘れず、扉付近まで来ると速度を緩め、立ち止まって扉を叩いた。覇気のない返事に嫌な予感をしつつ、父エルネストの執務室に入室した。
書類の山を魔法を駆使して確認し、押印を次々にしていく。一定量纏めると書類に紐をし、また新たな書類を処理していく。
リゼルがいなくても仕事処理能力は十分長けているのに、リゼルに泣き付いて補佐官をしてもらっている理由が未だに分からない。何度聞いてもエルネストとリゼルの問題で子供は気にするなと背を押された。
エルネストが山の書類を綺麗に片付けてから、ノアールは初めて声を掛けた。
「父上、至急お耳に入れてほしいことが」
「どうしたの。ひょっとして、リゼルくんが辺境の地で罠に嵌っているってやつ?」
「知っているのですか!?」
「知ってるよ~」
知ってるならエルネストの態度は異常だ。ノアール個人の意見としては、魔王すら泣く鬼の補佐官が簡単に罠に嵌って魔力を奪われるへまはしない。万が一があると力説されても絶対に態とだしか思えない。
だが、とノアールはある見解を抱く。エルネストが至って冷静でのんびりなのは、自身の予想が当たっているからでは? と。
「ビアンカから聞いたのですか?」
「アメティスタ家の当主からだよ。大層ご機嫌だったよ」
「なっ!?」
当主自ら魔王に話した!?
「そ、それで父上はなんと言ったのです!?」
「リゼルくんに遊ばれてるだけだよって返したよ。そうしたら、激昂されてね。リゼルくんの魔力を奪った証を持って騎士団を帰還させると息巻いて帰って行ったよ」
「怒らせてどうするのですか!」
「いいんだよ。罠に嵌ってるのはリゼルくんじゃない。ノアも薄々感付いているでしょう?」
「……」
付き合いの長いエルネストからの問いにノアールは重たく頷いた。父を訪ねて正解だった。場所を移そうと言われ、執務室の隣にある休憩室に入れられた。扉を閉めた際、父が結界を貼った。
誰かが来ても気配も声も聞こえないようにするための。勿論、鍵も閉めたので開けられない。
お茶を飲めるよう設備だけはしっかりとあり、ノアールが好きな茶葉の紅茶を提供した。
周囲に誰もいない、久しぶりの父と息子だけの空間。妙に緊張して落ち着かない。
ノアールの前に紅茶を置いたエルネストが向かいに座って話は始まった。
「こうやって改めて見ると大きくなったね。成人を迎えたから当然なんだけど」
「父上……父上は、どうしておれを育てたのですか」
「ああ……やっぱり知ってたんだ」
「……はい」
知りたくて知ったんじゃない。
真実を知ってショックのあまり寝込んでしまった。
ただ一人の父だと信じ、敬愛していた人が、血が繋がらない他人どころか種族さえ違う魔族の王だったなんて。
幼いノアールの耳に入らぬようしても下賤な者はいる。
「城の者達は皆おれを父上の子として接してくれました。ただ、中には人間であるおれを快く思わない者もいました」
「一言でも漏らせば処罰の対象としていたのに……口が軽い子は嫌いだ」
「おれに事実を教えたのはアメティスタ家の当主です」
「そんな気はしてた。ただ、ビアンカの事があったから、あまり強く出られなかった」
純白の頭をガシガシと掻くエルネストは深く息を吐き、琥珀色の水面をぼんやりと眺めた。
「妃はビアンカを産んで亡くなってしまってね。魔界の王に必要なのは圧倒的魔力のみ。性別は重視しない。亡くなった妃の為にもこの子を幸せにしないとと誓ったんだ。……でも、ね。邪魔をしてきた人達がいる」
妃の生家アメティスタ家。現当主は妃の実兄。大層仲の良かった兄妹として社交界では有名だった。
ビアンカが生まれて二週間後、人間界から戻った魔族が黒髪の赤子を抱いて帰還した。その魔族は旅をするのが趣味で、偶々降り立った王国の森で捨てられたばかりであろう赤子を見つけ。身に秘める膨大な魔力に目を付けて魔王に献上した。
アメティスタ家の当主はそこに目を付けた。
「今は違うけどね、当時の当主夫妻には子供がいなかったんだ。人間であっても、ノアールの魔力はビアンカの魔力を遥かに凌駕した。夫妻は地に頭を擦り付けて僕に願ったんだ。ビアンカを夫妻の娘として渡してくれと」
「何故……」
「僕はね、ノア。最初に君を見た時、とても不運な人の子だと同情した。髪と瞳の色が違うだけで、大した検査もされず捨てられた君が可哀想だった。幸い妃は黒髪。双子として育てるつもりだったんだ」
寂しさと自嘲が混ざった笑いを見せられ、何も言えなくなってしまう。紅茶を何口か飲み、エルネストは続ける。
「だが夫妻、特に当主が頑として諦めなくてね。ビアンカは妹に似ているから余計手放したくなかったんだろう。ノアールという後継者を得た僕にビアンカを渡せとしつこかった。兄妹として育てるなら、ノアより魔力が少なく女という理由だけでビアンカは不憫な生活を強いられるとね」
「そんな」
「無論、馬鹿馬鹿しいと撥ね付けたんだが夫妻は、役人に金を握らせてビアンカの出生届を偽造したんだ。ビアンカの両親の欄を僕と妃から自分達の名前に書き換えたのさ」
「悪魔だから許される……ないですよね」
「ないよ。無秩序な世界に平穏は訪れない。人間界や天界と違って、ある程度は自由だけれど守るべきものは守る。僕達悪魔でもね。それを破ったのがあの夫妻だ」
後から知った事情だが当主は当時の魔王候補三番目。リゼル、エルネストと比べると魔力の差は歴然。スペアのスペアで、もしもエルネストまで魔王候補を辞退していたら当主が魔王となっていたが魔力の強さから大きな期待はされていなかった。
人間でありながら膨大な魔力を持つノアールと妹の忘れ形見ビアンカを結婚させ、強い魔力を持つ子を産ませるのが目的ではないかとエルネストは語った。
また、魔王の妃になったビアンカの後ろ盾として政治的発言力を強めたい思惑もありそうである。
「会議の時、毎回リゼルくんに黙らされるのが余程ご不満だったらしい。今回のリゼルくんを罠に嵌めた件も含め、アメティスタ家には相応の覚悟をしてもらわないと」
「覚悟……?」
「そう。……僕は周りが思うような良い奴じゃない。案外薄情な奴なんだ」
「父上?」
「……」
ノアールにというより、自分に聞かせて呟いたエルネスト。声は届かず、何を言ったか知りたいノアールへ苦笑しただけで語らず。
此処で話した件は秘密。次期魔王としての仕事をしなさいと言い残してエルネストは休憩室を出た。
扉を閉めて立ったままのエルネストは小さく息を吐いた。
魔力を奪われ続け苦しむリゼル(仮)を当主と揃って嗤笑したビアンカの醜さを目の当たりにし、改めて決断を強いられた。
ノアールを取るか、今まで通りビアンカを守るか……。
「薄情だよね僕は……実の娘より、可哀想だったからって貰って育てたノアールを選ぶんだから……」
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