第21話 僕との出会い

 回避できない恋愛的で運命的な出会いをする予定の僕は、あの夢を見て以来、絶対に一人では廊下を歩かないようにした。できれば、クララかティナと一緒に、無理なら男三人の誰かと一緒にいるようにした。朝の登校時間はティナに僕の教室まで付き合ってもらい、帰りはクララと馬車寄せまで行き、クララより先に馬車に乗り込むほどに徹底した。ティナにはウォルに挨拶をした方がいいと伝えて僕たちの教室まで付き合ってもらっていた。ティナとウォルが頻繁にコミュニケーションをとることは、ウォルがシンシア嬢に傾く可能性が低くなると思えるので、一石二鳥の作戦なのだ。


 それでも、彼女はやってきた。

 

 廊下を歩いていると角に差し掛かったタイミングで、強い衝撃が走る。


「いったーーい! 私ったら、慌てててぇ〜」


 床に転んだまま振り返ったシンシア嬢は口をポカンとしている。


「な、何で?」


 シンシア嬢を心配して手を差し伸べるボブバージル……


 ではなくて、クララだった。


 僕はもちろん倒れたりはしていないが、手は差し伸べない。目眩はするがそれは耐える。


「シンシア様。大丈夫ですか? お怪我はありませんか? 廊下を走るのは危険ですわよ。特に曲がり角は危ないですわ」


 クララはクララの手を取らないシンシア嬢にも優しい。シンシア嬢の背を支えながら立たせてホコリをはたいている。

 学園はキレイだからホコリなんてつかないけど。学園のメイドさんのお仕事はすごい。


「あっ、わ、私! 怪我はありません。大丈夫です!」


 シンシア嬢は慌てた様子でまた走っていってしまった。今『廊下を走るのは危険』だとクララに言われたばかりなのに……。


「本当に失礼なご令嬢だよね。どうして謝りもしないのかな? どうしてお礼も言わないのかな? 人に注意されたことは聞くべきだと思うんだよねっ! 目の前でまたやる??」


 僕は今まで対策してきた気持ちも含めて強い口調になってしまった。


「ジルったら。か弱いご令嬢にぶつかりましたのよ。貴方が謝ってもよろしいのに……。そんなこと言ってはダメですわ」


 クララは僕以外に優しすぎるのだ。僕は少し拗ねたように唇を尖らしてみた。


「だって、あちらが走ってきたんだよ。こんな曲がり角を走るご令嬢がいるなんて予測不可能だよ」


 夢を見ていたから予測できたけど、それはもちろん言わない。それにしても、シンシア嬢は『な、何で?』と言っていた。彼女も何か予測していたのか? 

 ダリアナ嬢を思い出す。


「まあ、そうなのですけど……」


 僕の拗ねた様子にクララは戸惑っているようだ。僕を気にしてくれたからよしとしよう!


「クララって本当に優しいよね。あ、僕もぶつかったところが痛いかも。イタタ」


 僕はお腹を抱えるマネをした。


「もっう!」


 クララはその僕の手をパチンと叩いて、そのまま手を握って僕を引いてくれる。


 教室の前で離された手のぬくもりはいつまでも僕の中に残るんだ。クララの優しい温かさが僕のささくれそうな心を凪させてくれる。この温かさを守るためになら僕はどんなことでもできると思う。


〰️ 〰️ 〰️


 シンシア嬢はこれにも懲りずに、さらに四回もぶつかってきた。その度に僕の後ろにいるクララに手を差し伸べられている。

 さすがに五回目は僕は通告した。


 廊下を歩いていると角に差し掛かったタイミングで強い衝撃が走る。


「いったーーい! 私ったら、慌てててぇ〜」


 いつもならここでクララが手を差し伸べていた。しかし、僕はクララの手を握りクララを止めた。

 僕は冷静な口調を強調するように、はっきりと聞こえるように、転がったままのシンシア嬢に言った。


「これからは僕は一人で歩くこともあるだろう。でも、その時君にぶつかっても僕は絶対に手を差し伸べたりはしないよ」


 シンシア嬢は目をパチパチとさせて理解不能という顔をしていた。


「君は何回注意されているんだい? クララから『廊下を走るのは危険』だと注意されてきただろう? それなのに君は、反省もしない、謝罪もしない。そんな人に差し伸べる手は僕は持っていないんだよ。

クララみたいに優しくなくて悪いね。

君がしていることは無駄だよ。もう止めた方がいいよ」


 シンシア嬢は口を半開きにして僕を見上げていた。


 僕はそのままクララの手を引いて教室へ戻った。教室に入る時にチラッと見たシンシア嬢はまだ廊下に座り込んでいた。

 おそらく伝わったことだろう。


〰️ 〰️ 〰️


 シンシア嬢は根っから男子生徒との距離が近いようだ。マーシャのところに他のご令嬢からの苦情が殺到する。だが、マーシャの力でシンシア嬢に直接文句を言いに行く者はいない。さすがの公爵令嬢である。


 そんな時は、クラスの視線がある中で、僕とマーシャが連れ立ってシンシア嬢の席に行き、何度でも『貴族の距離感について』を論説するのだ。


 ある日の昼食、シンシア嬢が珍しく婚約者のいない男子生徒と食事をしていた。僕は、チャンスと思いマーシャとクララを伴ってシンシア嬢のテーブルへ行く。


「やあ、シンシア嬢。今日は婚約者のいない方と食事を楽しんでいるようだね。やっと、わかってくれたのかな?

是非、この方との縁を大切にしてもらいたい。婚約者を持つ女子生徒、みんなからの願いだと伝言を受けているよ」


 昼食時の学食だ。みんなが注目している。女子生徒は頷いている者が多く、隣に座る男子生徒を小突いている女子生徒も何人もいる。きっと小突かれている男子生徒は、シンシア嬢と何かしらの接点を持った者なのであろう。

 マーシャはそんな周りの生徒たちを嬉しそうに見ていた。いろいろと相談を受けてマーシャもきっと大変なのだろう。


 それにしても、まだ十月。シンシア嬢が編入してから二ヶ月しかたっていないにも関わらず、小突かれている男子生徒の数はかなりのものだ。僕は女子生徒に『イジメをするな』と言うよりも、男子生徒に『婚約者を蔑ろにするな』と言った方がいいのではないかとさえ思った。

 それを考えると、こうしてみんなの前で注意をすることは意味があるはずだ。シンシア嬢だけでなく、婚約者のいる男子生徒は自重せざるを得なくなるだろう。


 シンシア嬢との縁を僕にバックアップされた男子生徒もとても嬉しそうに頬を染めていた。


 それなのに……


「違います! 彼はただのお友達だわ! 私のことを知らないのに、勝手にパートナーを決めないでください! ここは自由なお付き合いをするための学園なのでしょう? 親に決められた相手や家のために決めた相手に縛られる必要はないはずですよね?」


 『ただのお友達』と言われた男子生徒は、肩を落として食器を片付けに行ってしまった。憐れみの視線が大半を占める。失笑しているのは、婚約者がおらずシンシア嬢をこっそり狙っている者たちだろう。


 それにしても、まだ『自由なお付き合い』という言葉を歪曲させているようだ。


 さらに、婚約者を『縛られる』相手というのは、ここにいる者大半を敵にすることに気が付かないのか?


「僕にも婚約者はいるけど、縛られるとは感じていないよ。君が言うように『自由なお付き合い』で彼女との信頼を深めているんだ。親の目がない分、自分の素直な気持ちで一緒にいられるよ。学園内で婚約者たちと食事をしたり会話をしたりするのを『縛られる』と言ってほしくないな」


 クララが頬を染めて俯いた。しかし、僕の隣に来て、たぶんわざと僕の背中に手を添えてくれている。僕の気持ちを応援して賛成してくれている意思表示だろう。


「シンシア嬢。教えてほしい。

君は誰の話なら、まともに聞いてくれるのだろうか? 僕は同じ話をこれから何度、君にしなくてはならないのだろうか?」


「ここの校風を決めた方を連れてきてください。その方にどういう意図なのかを聞いてみますから」


「数代前の国王陛下はもうとっくに儚くなっているよ。知ってるだろうけどね」


 僕は呆れながらも一応答えた。まさにただの屁理屈だ。


「それでしたら、私の意図で私は動きます。私は校則を無視しているわけではありません」


 シンシア嬢は食器を大きな音を立てて持ち上げ片付けに行ってしまった。


「ここまですごい方だとは思いませんでしたわ」


 マーシャは扇の奥で口を開けてシンシア嬢を見送っていた。クララはなぜか心配そうに少し眉根を下げてシンシア嬢を見送っていた。こんな話を聞いてもシンシア嬢を心配できるなんてクララは本当の天使だ。

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