第49話 水神マルス(8)
「もしそれが起きた場合、受け継いだ者はどうなるのかな? ボクらには持って生まれた寿命というものがあるし、エルダの力なんて受け継いで、風を統べる者になったら困るんじゃないの? 寿命がきて死ぬようなことがあったら」
「世代交代が起きた時点で、エルダ神族の持つ意味が変わる」
「どういうふうに?」
「今は風神エルダの血を受け継ぐその子供の末裔という意味でそう呼ばれてるけど。三人の中の誰かが、エルダの力を受け継ぎ、あいつの後を継いだら、エルダ神族はそのままエルダの一族、という意味に変ずる。一族の力もまたエルダの力の一部となる。三人の中の誰かがエルダの後を継いだことで一族の持つ力は飛躍的に強くなる。神族の存在する意味そのも変わってくるんだ。普通のその他大勢の一族たちの寿命は変わらなくても、エルダの力を継ぐことのできる長の家系の寿命は変わる。特にエルダの後継となった者は、次の世代交代まで死ねなくなる」
断言する一樹に三人はちょっといやそうな顔になった。
それが事実なら残りのふたりの寿命も、おそらく当初とは比較にならないくらい伸びるだろう。
だが、死ねない最後のひとりは、いずれ兄の死を見取ることになる。置いて逝かれることになる。
死にたいと望んでも、それができない重責を背負うことになる。
そんなのは嫌だった
兄弟が死んでも、周囲が変わっても死ねないまま、生きつづけなくてはならないなんて。
「その世代交代って今起きる可能性があるのかい?」
「今ではなくても世界が崩壊の危機を迎えている今、それが必要になる可能性があるとか」
「ないんじゃないか?」
あっさり言われてちょっとほっとした。
尤も。
エルシアたちの寿命は永いので生きているあいだに、本当に世代交代が起きないという保証にはならないのだろうが。
どういう条件で世代交代が必要になるのかは、結局今の時点ではわかっていないから。
「おれの記憶違いでなければ、まだその時期はきていないはずだ。今は世界が崩壊へと向かっているから、エルスたちはそんな疑問を持つんだろうけど、考えてもみろよ。今、世界が崩壊しかけているのは、エルダたちのせいじゃなく、人間のせいなんだ」
「信仰の衰えという意味ではそうかもしれないね」
「でも、人間の前から姿を消し、自分から伝説となる道を選んだ創始の神々にも、責任はあるんじゃないの?」
「いるのかどうかもわからない存在を、ずっと信じて祈れというのは、ちょっと無理な気がするね。風神エルダはボクらが存在する分、まだ人々は信じてくれているようだけど」
三人は地上にいで信仰の失われていく様を目撃してきたからそう思うのだろう。
だが、この発言にはマルスとして一樹が反論した。
「だったらいつまでも神々が手を引いて、人間を導いたほうがよかったっていうのか?」
これを言われると黙り込むしかない。
確かに神々が存在していたとされる頃の人間には、活力というものがない。
神々に頼り切って自分からはなにもしなかったというのが実情である。
それは歴史を紐解けばはっきりしていることだった。
一樹は大きなため息をつき、神々が姿を消すことになった経緯を説明した。
「おれたちだって地上を愛していたさ。人間のことだって好きだった。護っていくことに疑問があったわけじゃない。それを厭っていたわけでもない。でも、ある日気づいたんだ。
おれたちがいるせいで、人間が殊更無気力であることに。祈ればなんでも叶えてもらえる。そう思い込んでいて、生きていくための知恵を生み出すこともなければ、努力することもなかった。おれたちの存在が、人間の進化の妨げになっていたんだ」
「そう言われてしまうと言い返す言葉がないね」
ため息などつくエルシアに、こちらもため息で応える一樹だった。
エルダ神族として生きてきたエルシアたちは、頼るべきものを見いだしたときの人間の身勝手さ、そして無気力さを知っているから、一樹の言い分がよく理解できるのだ。
創始の神々ほどの影響力はなかったにせよ、神の未商と言われてきたせいで受ける期待も大きかったし、人々が頼ってくるのも、思い返せばキリがないほどあったから。
神という時別な存在が、人間にとって進化の妨げになるというのは、間違いなく現実なのだ。
「だからこうなったのは必然とも言える。人間たちのためには神々は姿を消すしかなく、神々が直接、手出ししなくなったら、やがて信仰は衰える。人間の信仰によって世界の均衡が保たれているという、この世界のシステムを考えれば、完全な悪循環だよな」
「結局、人間次第ということなんだね」
「神々がいても自分で歩いていくことを、人間がやめなければ、努力することをやめなければ、信仰が衰えることはなかった。そこに信仰を向けるべき神々がいるから。
でも、人間という生き物は、自分を超越した力を持つ者がいた場合、しかもそれが祈ればなんでも叶えてくれる存在だと思っている場合、往々にして生きるための努力もしなくなるし、徐々に無気力になっていく。厄介なものだ」
エルダ神族の長としての意見なのだろう。
リーンは自分たちのことを言われたようで、ちょっと胸が痛かった。
確かにエルシアたちに頼りすぎているという自覚はあったので。
「だから、今はまだ世代交代の時期じゃない。そもそも信仰が衰えていなかったら、エルダたちの力は満ちていたはずだ。少なくとも現状を招いている原因がなければ、世界は最大の繁栄を誇る最盛期だったはずなんだ」
マルスには世代交代の時期が読める。
その必要性が出てきたとき、それに最初に気づくのがマルスなのだ。
だから、一樹にはよくわかっていた。
現状を招いているのは一重に信仰を忘れた人間たちのせいで、エルダたちの力が衰えたせいではない、と。
これがエルダたちの力が目に見えて衰え、世代交代の時期がきているのに、後継者がいないとか。
これがそういう理由だったなら、間違いなく神々の責任だっただろうが。
「ということは炎の精霊殿。あなたの言っていることは予盾しているように思うね。アレスが神々の後継者だというのはありえないと、かつての水神マルスが指摘しているよ?」
エルシアが説い眼光を投げてきて精霊はちょっと怯えたが、すぐに歌然とした態度に戻った。
風神エルダの寵児相手だから、呑まれそうになったのだが、そんな自分を恥じて。
炎の精題は気高いのだから。
「ええ。だから、アレスさまは直接、創始の神々の後を継ぐ後継者ではありません。創始の神々に代わって、人間と接するために生まれた第二の神なのです」
「それってあいつにエルスたちと同じ道を歩かせようってことか? 直接、レダとレオニスの血を引いているから、自分たちの代理として地上に送り込むつもりだったって」
一樹の声は否定的な響きを帯びていた。
それではアレスが可哀相だと思ったからだ。
彼の意思はどこにある?
「マルスさまのお怒りもご尤もですけど、他に方法がございますか? 失われた信仰を集める方法が。創始の神々が失われているわけではなく、現在も存在し世界を護っていることを証明する方法が」
「だからって勝手にそんなことを決めるなよ! あいつの意思はどこにある? 大体それだとレダとレオニスに関する信仰しか集まらないし、それを認めさせるまでに、アレスが味わう苦しみや痛みを、気遣ったことがあるのか? いつからそんなに徹慢になったんだよ? エルダたちはっ?」
「ちょっと一樹、落ちついてっ」
リオネスに腕を引っ張られて一樹は渋々、一歩後ろに下がった。
内心ではかっての弟妹神たちに、かなりの怒りを感じていたのだが。
それこそこ神々の傲慢だと思う。
「アレスさまのことはすべての神々が気にかけておいでですわ。マルスさまがお考えになっているように、無責任な真似をしているわけではないのです。ただ他に方法がなかった。
まだ地上に神族が生き残っていた頃、信仰は力として存在していました。創始の神々に代わり未商たちが信仰を集めていましたから。それを知っていたから、歴史を再現する道を選ぶしかなかった。それだけなのです、マルスさま」
「でも、そのやり方だと一時凌ぎに過ぎないと思うけれどね?」
エルシアの指摘に精霊は素直に頷いた。
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