第48話 水神マルス(6)
「でも、それが本当ならあの子が過去と同じ道を辿るだけで、人々の信仰は集まるでしょうね」
「まあな。亜樹が覚醒して力を自在に操れるようになり、もし過去を繰り返したら、時間すこしかかるかもしれないけど、信仰は徐々に戻ってくると思う。あの頃がそうだったから。亜樹のおかげで弱っていた世界は安定を取り戻し、平穏を得たんだから」
一樹はなんでもないことのように口にしているが、精霊を除くすべての者には、彼が虚勢を張っているのがわかる。
亜樹は自分を傷つけようとする相手に対する術も持っていなければ、自分を護るために傷つけるとか、そういう真似もできない。
亜樹にできることは人々が与える傷はそのままに受けて、奇跡を起こし信仰を集めて、そうしてボロボロになっていくことだけ。
それが世界を救う条件だからと信仰を集めるために、亜樹が奇跡を連続して起こせば、期待は否が応にも高まるだろう。
同時にそれは亜樹にとって負担となる。
過剰な期待は負担や重荷となり亜樹の心を傷つけるだろう。
自分の運命に立ち向かおちとすれば、亜樹は、亜樹の繊細で傷つきやすい心は、ぼろぼろになっていく。
すべてが理解できてくると、一樹が亜樹の覚醒を遅らせようとしていたことも、この世界に関わらせまいとしたことも、エルシアたちにも理解できた。
無理もないと思う。
誰が一樹の立場でもそう決意しただろうから。
亜樹のあの元気で無邪気な笑顔が、傷つけられて悲しそうなものに変わるのは想像するだけでも辛い。
ほとんどの者が重苦しい表情で黙り込んでしまったので、精霊はすこし迷ったが、最後の確認とばかりに一樹に問いかけた。
「どうあってもエルダさまたちの元へは戻るつもりがないと?」
「くどい。おれはもうマルスじゃないって言ってるだろ?」
「わかりました。この場は引き下がります。けれど事実はすべて創始の神々にお伝えします。それでエルダさまをはじめとするみなさまが、どんな結論を出されるかについては、わたしは保証いたしかねます。それでもよろしいですか?」
「好きにしろよ。エルダたちがなにを言ってきても、おれの決意は変わらないから。大体亜樹がいないと力を発揮できないおれが、元の鞘に納まるわけがないじゃないか」
「昔はそうだったかもしれません。でも今は多少、条件が変わっているはずですわ」
痛いところを突かれて、一樹が黙り込んだ。
「あなたは転生されてから暫くの間は、あの子とは、あなたの力の源であるあの子とは離れ離れで暮らしていた。それこそ世界さえ違っていた。それでも力を使えた。それは事実です。今のあなたはある程度の距離があっても、あの子が生きてさえいたら、力を使うのに困るわけではないのでしょう? それにあなたがさっき仰ったように力を取り戻すのに、あの子の力は必要がないはずです。前世であなたは一度、すべての力を取り戻されているのですから」
長々と指摘してくれる精霊に、ちょっと避易していたが、これだけははっきりさせなければと一樹は反論した。
「確かに今のおれはある程度の距離があっても、亜樹が無事なら力を使える。でも、亜樹なにかあったとき、助けられない位置にいたら、おれが生きてる意味がないし逆におれになにかが起こっても、亜樹が身近にいるときほどの強烈な力を使うことはできない。
マルスとしての真の力を発揮するには、亜樹の存在は必要不可欠なんだ。それと今のおれは亜樹の覚醒に合わせて、力を取り戻している段階だから、亜樹の存在なくして元の力は取り戻せない。おれたちが昔の関係に戻るためには、力を受け継ぐための儀式が必ず必要になるから」
それが体液を摂取することであると知っている者は、みな憮然とした顔になっていた。
一樹が力を取り戻すのに亜樹の体液がいるということは、もしかして過去に大賢者が、水神マルスを救ったとき、ひょっとしたら血を与えたからではないのか?
そう思えば何故力を取り戻すために、体液が必要なのかの説明がつく。
「わかりました。今聞いたことをすべて創始の神々にご報告いしたします」
それで妥協すると言いたげな、ちょっと怒っているような言い方だった。
彼女の心の中で水神マルスほどの者が、大賢者に拘っているのが、大賢者に生命も懸けているのが、不思議で仕方なかった。
「今度こそ君の番だね? 亜樹の、大賢者の正体については、亜樹が力を覚醒させ、尚且つ前世の記憶が戻れば話せると思うよ。でも、前世の記憶は必ずしも戻るとは思えない。確約はできない。それを踏まえておいてほしい」
そこまで言ってからエルシアは言葉を促すように、じっとファラを見つめた。
「そうですね。わたしの番です」
穏やかに認めてから精置は、生まれたばかりでなにも知らない運命の子、アレスのことを思い描いた。
「アレスさまは創始の神々の後継者に当たる方です」
「創始の神々の後継者? 水と炎を司るだけなのに?」
「現実的な意味合いでは創始の神々に後継者は必要ありません。そもそも創始の神々が死に絶えるということは、世界が存続できないということですから。そうですわよね、水神マルスさま」
違うと言っているのに、まだかつての名で呼ぶ精霊に、一樹は訂正するのもしんどくなってきて、投げやりに頷いた。
「確かにこの世界が存続していく上で、エルダたちは欠かせない存在だろうな。マルスはないし、これでエルダたちになにかあったら、世界は確実に減ぶと思う。逆に言うとかつて命を落とし世界を救済したのがマルスでよかったのさ」
「何故?」
不思議そうな精霊に一樹は自虐めいた笑みを見せた。
「マルスは確かに長子として弟妹神たちを統べていたし、水を司る最強の神でもあった。でも、幸運なことに水を司っているのはマルスひとりじゃない。
レオニスがいる。ラフィンがい
る。マルスが死んでも残りのふたりがいれば、辛うじで均衡は保たれる。特にレオニスがいれば大抵のことは切り抜けられると思う。おれは水を統べる者だけどあいつは海を統べる者。
海は世界を覆っている。おれとは違った意味で水を統べる者だ。だから、マルスがいない穴もレオニスになら埋めることができる。現実にそうやって凄いできたはずだ。違うか?」
「確かに。そのとおりですね、マルスさま。あなたのいない間レオニスさまが代理として水を続べてきました。それさえもご承知のことだったのですか?」
「力が失われている間は、そういうことはわからなかったけどな。予測はできた。それに力が戻ってからは、水にあいつの力が浸透しているのがわかったし。これなら大丈夫そうだとほっとしたのも事実だからな」
心のどこかで神としての役目を果たせなかったことを、悔やんでいた自分がいる。
それは自分がいないために、また世界が滅ぶようなことがあったら、という、自分の存在価値故の後悔だった。
だから、レオニスに穴埋めができるはずだと気づいたとき、そして現実にそうなっているのだと知ったとき、これで亜樹のためだけに生きられると、ほっと安堵したのが本音だった。
こんなことを精霊に言えば、また怒るだろうが。
「だから、後継者は必要ないはずだ。必要になってくるとしたら、世代交代のとき。だが、そうなると生まれたのがアレスひとりだというのが腑に落ちない。世代交代が行われるならすべての弟妹神たちの後継者が必要なはずだ。それこそエルダ神族のように」
「それって私たちがエルダの真の後継者だという意味かい、一樹?」
「ぼくらにはエルダほどの力はないと思っけど?」
「大体ボクらはエルダの力を受け継いだ直系とは言っても、かなり世代が離れてる。後継というのは、ちょっと大袈袋じゃない?」
三人ともそれぞれに自分が置かれた立場をよく理解し、己の力についてもよく理解している。
小さく笑って一樹は告げた。
神々の世代交代の意味するところを。
「神々の世代交代っていうのは、最終的にエルスたちの場合だと、三人の中のだれかが、エルダの力を受け継ぐことで完了する」
「それってエルダが消滅するときに、エルダの持つ力を受け入れる、という意味かな?」
エルシアの問いかけに一樹はこくりと頷いた。
「世代交代というのはそのまま力の受け継ぎのことだ。今の器では存在できないから、限界がきたから後継者に力を譲る。そういう意味なんだ。力の受け継ぎなくして世代交代は有り得ない。だから、エルシアたちもまだ完全な意味ではエルダの後継じゃない。後継者になれる力と器を持った特別な存在だというだけだ」
一樹は水神マルスとしてかなりの知識を持っていた。
それこそエルシアたちには推し量れない次元の真相まで。
そういう意味だとは思ったこともなかったので、三人は困ったように顔を見合わせた。
交代のときが、生きている間に行われるとは限らない。
だが、もし起きたら力を受け継いだ者は、正真正銘の風神エルダの後継者となる。
神々の一員となる。
それも長子であるマルスが抜けた今、最高神という位置に。
ちょっと信じられなかった。
自分たちにそういう可能性があるというのは。
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