言葉にできないその気持ち

 二人が風呂から出てきた。


 スーリはちらっと俺を見ただけで何も言わず、イヴの膝に乗り、髪を整えてもらってる。その顔には何の表情もなかった。


「スーリ、あー…怪我とかしてないか?」


 気まずい沈黙に耐えかねて声を掛ける。


「……」


「怪我はしていませんでした」


 答えないスーリの代わりに、イヴが教えてくれた。


 獣の牙に関して、なんか言わなきゃいけないのに、言葉がまとまらない。


 礼を言えば簡単なのかもしれない。


 でも俺は獣への復讐心なんてなかった。過去にはあったのかもしれないが、今は微塵もない。


 そんな状態で言葉だけの感謝を告げるのは、違うと思う。


 だけど"俺の為に"本来ならやらないようなことを、やってくれたことを無視は出来ない。


 

 多分スーリは俺が喜んでないから、戸惑って不機嫌になってる。


 俺の感情に対して、いつだって敏感に反応してきた奴だから、それは分かる。


「スーリ、俺に触れ」


 ルクの目とそっくりな、紫がかった瞳を覗き込んで言った。



 人の感情ってさ。言語化出来ない複雑な面もあるんだ。



 出会ったあの夜と同じ、つぶらで虚ろな目で、スーリは俺を見返した。


 静かにその髪がうねると、俺に伸びてくる。腕や頬にその感触を感じる。


 音じゃない言語。俺がスーリに伝えたいことは、触れれば分かるはずだ。



「アベルは喜んでない」


「うん」


「でも怒ってない」


「そうだ。怒ってないよ」


「この気持ちはなんて言う?」


「俺にも分からないんだ」


 お前がやったことを、否定する権利は俺にはない。今後はこうして欲しいっていう希望すら、今は思いつかない。


 感謝に似た気持ちはあるが、それを言葉にすることで認めなきゃいけない"なにか"が怖い気もする。


 スーリは俺の目をじっと見つめながら、髪で俺を撫でる。


 嘘を探してるのか。


 残念、俺の気持ちも言葉も嘘じゃないよ。




「わかった」


 スーリの金髪が俺から離れた。


 長く語り合えば、言葉でも伝えられるかもしれない。でも今は、こういう伝え方が出来て良かったと思う。


「さかな」


「ん?」


「アベルはスーリに魚を食わせたい」


「ああ、そうそう。魚食えよ」


 それもバレたか。


 まぁいい。実際食わせたかったし。


 そこで気づいたけど、イヴは暇だったのかスーリの髪の毛を編んでた。小さな三つ編みが左右に二本ずつ揺れてる。可愛いじゃん?


 三つ編み幼女は既に、夢中で魚にかぶりついてた。


 やっぱな。喜ぶと思ったんだ。


 でもその食い方は想定外だわ。頭から骨ごと、ばりばりむしゃむしゃしてる。まぁスーリだし当然か。


「スーリは味を覚えた。あまい、すっぱい、にがい、これはなんていう?」


 言語としては知っていても、味覚と関連付けはされてなかったんだろう。


 いくつか簡単な"五感による感覚を表す言葉"を、イヴがスーリに教えていたのは見たが、まだまだ学ばせることは多そうだ。


「うーん。多分"しょっぱい"じゃね?あともっと食べたいとか、また食べたいとか思うのは"うまい"だ」


 空いてる椅子に、俺も腰かけて答える。


 イヴは新たな三つ編みを生み出してる。スーリはイヴの膝に座ったままだ。二人が気にしてないから口は出さないけど、行儀悪いぞ。


 そもそも手づかみで食ってるし今更か。


「しょっぱい!うまい!二つ足の体はすごい!」


 予想以上に喜んでいる。食い方は汚いが、小さな女の子が美味そうにしてるのを見るのは嬉しいもんだ。


 スーリは人の姿を模す前は、味覚がなかったんだな。


 匂いには敏感だが、味覚は鈍い生物って意外と多い。持ってても偏ってる。


 ネコですら甘さを感じない。


「だろ。このお塩様のお陰だ。こっちの世界では、死の岩だっけか」


 塩の小瓶をテーブルに置く。使いすぎないようにしたのに、3分の2くらいに減ってしまっている。


「死の岩!」


「お?スーリ、塩のこと知ってんの?」


「スーリ達の天敵だ!」


「おのれはナメクジか。ていうか、お前バクバク食ってたじゃん」


 スーリの目がまんまるになる。え?やばかった?まぁスライムが塩に弱そうっていうのは分かるけど。


「多量ではなかったので、大丈夫です」


 硬直してるスーリに、イヴが言う。


「…し…死の岩を…スーリは…食べた」


 イヴの言葉も聞こえてないんだか、ふるふると震えだす。


「死の岩はうまい!!」


 そしてまた魚をガツガツ食い始めた。なんなんだよ。お前の行動は、振れ幅広すぎて、謎すぎるんだが。


 しかし、塩は通じないのに死の岩だと通じるのも不思議だ。


 この世界では調味料として認識されてないから、俺の翻訳魔法がうまくいってない可能性がある。


「塩分なんて、だいたいの物に含まれてるんだから、直に一気食いとかしない限り問題ないだろ。むしろ一気食いしたら、俺でも死ぬわ」


「…母ちゃん…スーリは死の岩を食べた…でも、うまいだから仕方がなかった…」


 母親に話しかけ始めたぞ。


「こいつも子供だから、こんな食べるの?大人になったら、食べなくなる?」


 話聞かないスーリのことは、とりあえず放っといてイヴに聞いてみる。


「スーリは精霊に近い種族なので、人の法則には当てはまらないと思います」


「えぇ……こんなのが精霊って……」


 ナメクジじゃなくて、盛り塩的な意味で苦手なのか?


「今は人の姿を模しているので、人に近い構成になっているのかもしれません」


「そうだね。味覚なんかも、それで得たみたいだし」


 気付くと皿が空になってた。うわ、こいつ魚全部食い尽くしたよ。俺の明日の飯が……。


「スーリもう死ぬか?」


 口の周りを魚の食いカスと脂で汚したスーリが不安そうに聞く。


 死ぬと思っても食欲に抗えなかったのかよ。マジどんだけだよ、お前。


「だから死なないって。内臓とかも、ちゃんと人間にしてあるんだろ?」


「うん。リマの肉の記憶で、ちゃんと作った」


「だから肉とか言うな」


「リマの骨と血の……」


「そういう意味じゃない」


 リマの肉体は、ひどく損傷してた。見ただけじゃ元の形状を推し量れないほどに。


 ということは、スーリが見た記憶ってのは、遺伝子情報とかを含んでいた可能性もある。


 魔法だの精霊だのいる世界だと、イマイチ"予想する"ことすら難しい。


「とにかく人間の体なら、塩を……死の岩を食べても死なない。沢山じゃなきゃ」


「わかった。しょっぱいうまい魚、ありがとう。アベル」


「えっ…、ああ、うん。どういたしまして」


 唐突に素直なお礼に、ちょっと驚いた。


「うん!」


 微笑んで頷くスーリ。こういう時は、ほんとに可愛らしい幼女にしか見えない。


 また捕ってきてやるか、とスーリの歯に挟まりまくってる魚の骨を見ながら思った。


 ……ヘアブラシより先に歯ブラシだな……。

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