命と引き換えの水

 予定通り次の日、俺とイヴは出かける準備をしてた。


 作ってもらったシャツとズボン、革製のショートブーツを着せてもらった。


 彼女は裁縫技術のみならず靴まで作れるらしい。


 表面は皮だけど裏面には柔らかくて厚手の布が張られてて、靴底には多分木製の板が仕込んであるっぽくて、とても歩きやすい。


 大事に使わせてもらおう。


 もともと身に着けてた靴や服も、ボロボロだったのを修復してくれたらしい。


 俺は居候の身ながら、結構な衣装持ちになってるようだ。


「どれくらい距離があるの?」


「果実の生る所は、あの先の川の岸です」


「ああ、風向きによって水音が聞こえることあるよね。川だったのか。そう遠くなさそう。果物は荷物になるから帰りに行く方がいいのかな」


「アベルを見つけた場所は、それより少し右の方向です。明日には着くと思います」


「ええっ!?そんな遠いの?」


「遠いですか?」


 距離感バグってるよイヴ。そんなに遠いとは予想外だった。


「すごい遠いよそれ!野宿するの?」


「はい」


「だって獣がいるよね?」


「分かりません」


 あの獣は5歳児の俺は当然として、イヴよりもはるかに大きかった。


 あの牙と目を思い出すと今でも身震いする。イヴを危険にさらしたくない。


 この安全な小屋にもっと近い場所だと思ってたんだ。


 そんなに遠いならすぐ避難も出来ない。


「……危ない場所に君を案内させるわけにはいかないよ」


「大丈夫です」


「……武器とかは、必要じゃない?」


「アベルは武器を扱えるんですか?」


「…扱ったことはないけど」


 魔法がある世界ってことは、剣とかがあると思う。


 勿論扱ったことはない。


 こちとら現代の日本で生きてた、普通のおっさんだし。


「でも丸腰はちょっと不安だよ」


「行くのをやめますか?」


 イヴ的には、行かないか、丸腰で行くか、の二択らしい。


「……いや、行きたい」


 どうしても行きたいから、そう答えるしかない。


 イヴの言葉を信じるしかない。



 最後におそろいの外套──俺のも作ってくれたらしい──を羽織って、俺たちは森へ入った。


 踏み込んでから、獣とは違う理由でこの森の厳しさを知った。


 地面が平らじゃない。


 あちこちに風雨によって地表にせり出した岩や木の根があって、でこぼこだ。まさに原生林。


 そのどれもが巨大で、森の散策というよりロッククライミングだ。手と足を最大限に使って昇ったり降りたりを繰り返す。


 しばらく雨は降っていないはずだけど、どこもかしこも水気を多く含んで滑るし、木々の枝葉に遮られて日が差さない。



 小屋が見えなくなるころには、俺は肩で息をしてる有様だった。



「こ、こういう時こそ…魔法を使うべきなんじゃ…ないの…」


 息切れの合間に、そう言うのがやっとだ。


「子供にみだりに魔法を使わせるのは、肉体の育成に良くないそうです」


 なにそれ…。


 ビデオゲームばっかやって外で遊ばない子供は不健康みたいな理屈…。


 子供時代は、もう経験済みだから復習はいらないよ。



 五歳児の体が憎いッ…!歩幅が!


 本当は、五歳児を言い訳に出来ないのは分かってる。阿部陽一35歳だったとしても、同じように疲弊したと思う。


 むしろ5歳児の今は、イヴが手を引いたり押し上げたりしてくれてる分、まだ楽してる。


「運びますか?」


「…いや、大丈夫…」


 抱っこかおんぶで運ばれたら、俺のプライドがズタズタになる。


 そう思って断ったけど、すぐ後悔することになる。


 そこからはもう喋る元気もなくて、黙々とイヴに助けられながら進んだ。


 彼女はロングスカートなのに身軽に、岩から岩、木の根から根へひょいひょいと進む。


 自分は魔法使ってない?


 原住民だから道に慣れてるってのもあるんだろうけど、ずるいよ。


「ああーもうだめだ」


 俺はどさりと腰を下ろしてしまう。寝そべっても余りあるほどでかい根っこの上だ。


「ハードすぎる…。こんなじめじめしてるのに、喉もカラカラだ」


「どうぞ」


 イヴが変なものを差し出してきた。


 紐がらせん状に巻かれた透明な筒みたいなやつ。


「なにこれ?」


「お茶を持ってきました」


 受け取ってよく見てみると、上の方の紐が少しほつれて、そこから中身を飲めた。


「ぷはー、うまい」


 俺が飲むと、紐の形状が少し変わって高さが減った。


「これも魔法?」


「魔力を通した紐です」


「いつも腰から下げてた紐だよね?へぇ」


 ただの飾りだと思ってた。


 紐と紐の間には何もないみたいだけど、中の液体には触れない。水を紐だけで留めてる。


 内容量によって形状が変化して、少なくなるとよりコンパクトになるっぽい。


 中身がなくなったらただの紐に戻るのか。


 これすごいなぁ。容器っていう概念を覆すものだよ。


「でもお茶を運ぶより、水鏡みたいに現地で水を魔法で作り出す方がいいんじゃないの?」


 俺の悪い癖だ。より効率を求めて、プロフェッショナルに意見してしまう。


「魔法の水は飲むのに向きません」


「飲めないの?」


「いいえ。純粋すぎて美味しくないだけです」


「ははっ。なるほどね」


 地球でも同じだ。精製した水は不味い。


 水を飲んで美味いって感じるのは、ミネラルだの不純物だのの味だ。


 山の水がうまいのもそのせい。


「魔法ってすごい便利なのに、イヴはあまり使わないんだね」


「分かりません」


「必要に応じてなら使うって感じ?この暑さどうにかならない?」


 小屋を出る時は、なんとものどかな陽気だったのに、激しい運動してると暑くて仕方ない。


 そのうえ湿度が高くて汗が蒸発しないから、熱が籠りまくる。



 イヴが静かに手を横に差し伸べる。


 光が現れると同時に、その手から水がばしゃばしゃと流れ落ちた。


「これが水を生み出す魔法?」


「この水は、周囲から集めたものです」


「へぇ便利だなぁ」


 俺はその小さな滝から水を掬い、頭や首にぱしゃぱしゃかけてしばらく楽しんだ。


 ちょっと口に入ったけど、やっぱり美味しくない。


「かなり涼しくなった」


 イヴが、すっと手を下ろす。


 手から流れ落ちていた小さな滝も同時に止まる。下には小さな水たまりが出来てた。


「今この森で、沢山の命が消えました」


「はい?」


「周囲の小さな者たちが、私の魔法によって水を奪われ死にました」


「小さな者…?」


 周囲を見回すけど、生き物の気配のないさっきまでと同じ薄暗い森の中だ。


 小さなってことは小動物とかか?


「水滴の中に住まう者、木々の合間でしずくを吸う者、この森には数多の命があります」


「あー…微生物とか?」


「はい」


 "微生物"って言葉が通じるかは謎だったけど、通じたようだ。


「殺すのが可哀想だから、あんまり魔法使いたくないってこと?」


 微生物の存在を気にするって、俺にとっては変な感じだ。


 むしろ日本では雑菌微生物殺す為に躍起になってた節がある。


「いいえ」


 え?じゃあ今の話はなんだったの?


 命を奪っちゃうからみだりに魔法は使わないよーって話じゃなかったの?


「水鏡の水は消えたよね?あれは周りに水を戻したってこと?」


「水鏡を構成する水は、私の体内から取り出したものなので戻しました」


 少量なら自分の水分使えるんだな。


「もう歩けますか?」


「え、あ、うん。進もうか」


 イヴ的にはもう話は終わったらしい。


 俺はイヴの意図がさっぱりだ。




 もうちょっと詳しく話を聞こうと思ったけど、進み始めたらまたロッククライミングなわけで、喋りながら進むとか不可能なわけで、俺は息を切らしてイヴを追いかけるので精いっぱいだった。

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