とりま住所確保
「君の名前聞いてもいい?」
「イヴです」
イヴ……。
和名じゃない。やっぱりここは日本じゃないのか。この世界で初めて会った相手が"イヴ"だなんて、なんて奇遇だ。
名を尋ねたからには俺も言わなきゃな。阿部陽一って名乗るのは、この世界にそぐわないかもしれない。
阿部…アベ……。
「俺はアベル。よろしくイヴ」
イヴという名が普通なら、同じ世界観のアベルも通用するだろうという安直な考え。
「はい」
相変わらず反応薄いけど、特に訝しがられることもなく受け入れられた。
この体の元の持ち主の名前が分かれば、そう名乗ったんだけどそれは叶わない。
「ここってどこ?」
やっとこれを問いかけられる相手が見つかった。
「ガルナです」
地名だろうか。やっぱり聞いたことがない名前だ。でも全然情報足りない。
「それは国の名前?土地の名前?」
「この場所の名前です」
……うーん。分からん。
どこか聞かれて地球だと答えるのも変だから、多分地名だ。
日本だったら新宿ですーみたいな感じなのか?それとも日本ですーとか東アジアですーとか?
規模が全然分からない。
「地図ある?」
「地図とはなんですか?」
はい!?この子はひどく無知みたいだ。
だったら他の奴に聞けばいい。
「あーえっと、君以外の人はどこにいるかな?」
すっとイヴが壁を指出した。
部屋の向こうってこと?
「向こうの方にいたはずです」
"向こうの方"やら"いたはず"やら、なんとも曖昧な答えだ。
「会える?」
「アベルの今の体力では難しいと思います」
「遠いってこと?」
「森の向こうです」
「深そうな森だったもんな…。遠いんだね。君は一人で、ここに?」
「はい」
深い森の中で一人。コミュ障っぽいのはそのせいか。
人里離れて暮らしてるけど、見も知らぬ俺を助けてくれるくらいだ。人嫌いってわけじゃないんだろう。
とりあえず、この世界のことをまず知りたい。
確かに俺は今、立ち上がる事すら難しいほど体力が落ちてる。少し回復したら、他の人に会いにいけるはずだ。
この体の持ち主だって幼いけど、ここらにまでたどり着いていた。
ってことは、そこまで厳しい旅じゃないと思う。
「あ!あの獣は!?」
幼女を貪っていた、大きな獣を思い出す。
あれも改めて考えると地球にいるような動物じゃなかった。
「分かりません」
「ここは安全なの?」
「はい」
ほっとした。
少なくとも、イヴはヤツに危害を加えられなかったようだし。そして俺も。
それはイヴがあの場から俺を運んでくれたお陰だろう。
俺の質問攻めが途切れると、イヴは立ち上がって部屋を出て行った。
何の予告も言葉もなく、静かに。
きっと人里に行けば、もっと情報が得られるはずだ。それには、ここに置いてもらって、体力を回復することが前提だ。
弱ってる子供を追い出したりしないだろうけど、一応お願いしておいた方がいいと思う。
中身がおっさんなだけに、他人の厚意を当たり前のように享受するのは気が引ける。
出会ったばかりだし、女性だし、あまり本人のことを聞くのも躊躇してしまう。
なぜこんな森の中に一人で住んでるのかとか、ライフラインどうしてるのかとか、独身かとか。
イヴが戻ってきた。
その手にはトレーに乗せられたポットとカップらしきものがある。サイドテーブルの上でカップに湯気の上がる液体を注ぐと俺に差し出す。
魔法がある世界なのに、アナログ──魔法の対義語として使っていいのか分からんが──な淹れ方をするんだな。
礼を言ってカップを受け取ると、一口すすった。
そのお茶はほとんど水みたいな薄さだったけど不思議な香りがして、予想していたほど熱くはなく、続けざまにごくごくと飲んでしまう。
体が水分を欲してたんだな。お茶の熱が胃に落ちていくのを感じて体も冷えていたことに気付く。
ぐぐぅぎゅるぅ~
いつの間にか嵐は止んでて、俺の腹の音は静かな部屋に大きく響いた。
「……」
恥ずかしい。
お茶を飲んだことで胃が活動を思い出したらしい。
「お腹が空いていますか?」
「あっ…はい…」
思わず敬語。健康な児童の当たり前の生理現象だ。
恥ずかしがることはない。
イヴは再び部屋を出て行った。ごはんくれるのかな。
腹が鳴ったことで、この体は俺のものだという意識が芽生えたことに気付く。
水鏡で自分の姿を見てから、着ぐるみを着ているかのような感覚があったんだ。
でもこの体の空腹の欲求を感じるのは俺だし、それを満たそうと行動するのも、もう俺しかいないんだな。
持ち主の精神はもうここにはない…。俺はこの体で"今"生きている。奇妙な感覚だ。
この少年は、あの幼女と兄妹だったんだろうか。
あの森で自分の手の小ささに気付かなかったのは、握っていた手が更に小さかったからだ。
小さな小さな女の子。この少年とよく似た金の髪の子。目の色も似てたんだろうか。
まだ温かかった手のあのぬくもりを俺は忘れられない。
あの凍える雨の中、体温を失わない程度の短い時間の間に、あの子は死んだんだ……。
イヴが果物を持ってきてくれた。
彼女に見つめられながら、俺は次から次へと食べた。正直全然足りなくて3回もおかわりしてしまった。
自然の甘さと酸味が染み渡る。
空腹は最高のスパイスっていうけど、まさにそれ。
「俺、これからどうすればいいかな?」
ずるい聞き方だけど、しょうがない。
自分から「回復するまで世話してください」っていうのは気が引ける。
いくら子供でも。
「空腹が収まったなら、体を休めた方がいいです」
いや、そうじゃなく…。
「近くに病院も自治体もないなら、行く当てがなくて……。俺は身内もいないから迎えに来てもらうこともできないんだ」
嘘は言ってないはず。
でも言い訳しすぎて自分でも卑怯な聞き方だと思う。
「ここにいればいいのではないですか?」
「いいの?」
「はい」
望み通りの言葉が聞けた。期間も条件も示されなかったけど、それはまぁ、おいおい。
逆に何も聞いてこないのが不思議だ。
俺もイヴのこと知りたいけど、向こうだって俺が森で何してたのかとかどこから来たのかとか、知りたくならないのかな。
「そう言ってもらえると、助かる」
「はい」
でも今はこれで充分だ。
意味不明な世界に放り出された5歳児(中身35歳)に、とりあえずの居場所が出来た。
俺を助けてくれた女性、イヴ。
真っ黒なロングワンピースを着ていて、肌が見えてるのは顔と手くらいだ。
腰にはいくつかの細い紐と短剣らしきものを下げてる。短剣を下げてるファッションなんてのも、地球ではありえないと思う。
女性にしては背は高く見えるけど、俺が今5歳児だから、なおのこと高く見えるのかもしれない。
こんな場所に住んでるにしては、髪も肌も滑らかでそぐわない。
名前を知っただけで、お互いのことはまだ全然知らないけど、俺とイヴは一緒に住むことになった。
少なくともしばらくは。
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