からの着地
女神の言葉を遥かに聞きながら、俺は落ちて行った。
すげー落ち続けてる。
まだ落ち続けてる。
落下する夢見て、びくってなって目が覚めるのを予想してたんだけど、全然目が覚めない上に、いつまでも落ち続けてる。
スカイダイビングの経験はないけど、大気圏近い高度から飛び降りても、既に地面に激突してるであろう時間を落ち続けてると思う。
もしかして、俺はこのまま目覚めないのか?ベッドの上で昏睡状態で、終わらない落下の夢を見続けるのか?
すげぇやだな。それ。
さっさと目覚めたい。
まず警察に話さないと。目撃者もいなかったなら事故と思われてるかもしれない。
殺人未遂だということをちゃんと伝えねば。きっと姉ちゃんにも連絡がいってるだろうから、心配かけちゃったな。
子供生まれたばっかだから、迷惑かけたくないのに。
落ち続けてるだけで何も出来ないし、とりとめのないことを考えていたら、何かを通り抜ける感覚がした。
通り抜けるというより空気が変わった感じ?
例えるなら冷房効きすぎの部屋から炎天下に踏み出した時のような。
でも気温は変わってない。
俺が感じた変化は温度じゃない何かの変化だ。それが何なのかは分からない。
次に下に緑色が見えた。
ぐんぐん近づいてくるそれは、木々が織りなす緑だと分かった。
森だ。すごい広大な森が眼下に広がってる。
雲とすれ違いながら、少なくともこれからどうなるか予想が付く状態になった。
多分このまま落下してあの森に激突──からの目覚めだな。
夢と分かっててもちょっと怖いから、下から目を逸らしておこう。
視線を上げると、はるか遠くの地平線の彼方に何かが見えた。
なんだあれ?…黒い…点?
その点はあっという間に大きくなって、俺に絡みついた。
「ぐえっ」
直撃を受けて肺から空気が一気に押し出されて変な声になった。
点に見えてたのは、俺に一直線に向かってきてた鎖だった。
その太い鎖──大人の腕くらいの──に俺は巻きつかれて、鎖の根元に引き寄せられてるらしい。
がんじがらめにされて身動きが取れない。
なんなんだよ!歩道橋で蹴り落されたあと、人体解剖図を実地体験して頭おかしい自称女神に会って超高度から落下したと思ったら、今度は空飛ぶ鎖に拉致られるって、どんな精神状態だったら見る夢なんだよ!
叫びたいけど風圧で目も開けられないし、息すら───……
ズシンと全身に重さを感じた。
ぬかるんだ土と水と草の匂い、雨としずくの音、そして痛み。
一気に情報が押し寄せてきた。
鎖は?どうなったんだ?
少なくとも今は地面の上にいるようだ。この全身の痛みは落下によるものか?
ああ、そうだ俺は歩道橋から落ちて……。
やっと夢から醒めたのか。
痛みを確認したけど、足と首と頭が特に痛む。完璧な肉体だった夢の中とは大違いだ。
それにしても寒い…というか冷たい。病院のベッドとはとても思えない。
痛みに顔を歪めながら、目を開く。
俺は、雨でぐずぐずになった土の上で、何かに寄りかかってた。
まじか…まだ病院に搬送されてないのか。
おかしいな。歩道橋の下にこんな木が生えてたか?
痛む首を動かして見上げると、そこには歩道橋どころか人工物が一切なく、空が見えないほど茂る枝葉に覆われていた。
葉によって集められた雨粒が、ひときわ大きな雫になってぼとぼとと落ちてくる。
でっけぇ木……。
こんなでかい木見たことない。日本の山々の木はほとんどが原生林じゃない。人の手によって整えられた森だ。
ここの周囲の木々はどれも巨木だ。
表皮をまばらに覆う苔から察するに、とても長い間生きているんだろう。
どこだよここ?
まだ夢の中なのか?息をするのが億劫なほど疲弊していて、思考がのろい。
顔に虫が這っている感覚がする。
反射的に振り落とそうとして俺の手が柔らかいものを握ってることに気付いた。
目を落とすと俺の手は、誰かの手を握ってた。
その小さな手の先は茂み──見慣れない植物だ──に隠れて見えない。
放そうとしたけど、その手の幼さに躊躇う。
明らかに子供の手だ。俺が気を失ってる間、ずっと手を握っててくれたんだろうか。
柔らかくてほのかに温かいそれは、この寒さの中でひときわ存在感があった。
ぴくりとその手が動く。
ふいの動きに俺もびくっとなる。
小さな手は小刻みに震えている。この寒さじゃ無理もない。
「………」
痛む体を傾けて、茂みを押しのける。
茂みの下から金色の髪と小さく白い顔が現れた。外人?可愛らしい幼女だ。そのまつ毛は伏せられてる。
眠ってる?
何故俺と手を繋いでるのかは知らないが、こんな小さな子を雨の中、地面に横たわらせてるわけにいかない。
「…ねぇあの…、君、大丈夫?」
応えるように、つないだ手と金髪が揺れるが、目は閉じたままだ。
その動きになんだか不自然さを感じた。そしてこの子の顔色は色白というより青ざめているように見える。
その時、雨と茂みで遮られていた音と匂いに気付いた。
茂みが揺れる音、雨音とは違う湿った音、生臭い息遣い。
そして──血の匂い。
幼女の顔から横へ視線を動かすと、"それ"と目が合った。
葉の合間から、ぐちゃぐちゃと何かを咀嚼しながら、俺を見ている目。
狼のような熊のような、なんだか分からないが俺よりはるかに大きな獣。
横たわる幼女の腹に鼻面を突っ込み、俺を見ながら低くうなる。
首をもたげたそいつの牙から血と共に垂れさがるのは、でたらめに赤く染めた白いホースのような──。
「あっ…ああ…」
叫ぶつもりが、弱々しい音が口から出ただけだった。
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