春Ⅶ:春始の会【中編】




「ナインディア帝国のエヴラール・ナインディア殿下だ」


 フィアのエスコートは年の離れた従兄のままだったが、それでもリラトゥアスが傍にいると安心する。リラトゥアスに促されてフィアたちが顔を合わせたのは、先ほどフィアに見極めるような視線を向けていた二組の貴族だった。

 その身につける紋章ですぐにわかったが、彼らはこの夜会に参加している主家の者だ。以前フィアが庭で出会ったトマス・ローラントもいる。彼のとなりにいるのは両親であるトゥーラン侯爵と侯爵夫人だろう。侯爵はトマスと同じ神秘的な紫色の瞳をしていた。


 フィアをエスコートしたままの第二皇子にリラトゥアスが彼らを紹介した。もう一組はアーケア公爵夫妻だった。白髪交じりの濃い金髪と鮮やかな緑色の瞳をした公爵もそのとなりに立つ公爵夫人も凛とした厳格な雰囲気をまとっている。

 第二皇子につづいてフィアもあいさつをした。トゥーラン候とアーケア公は生真面目な顔のままだったが、二人の夫人はフィアのあいさつを満足そうに見てうなずいてくれた。フィアが安心して力を抜いたのと同時にリラトゥアスも安堵の息をついたことに気がついたのは第二皇子だけで、彼は思わず微笑みをこぼした。

 最後に大使夫妻が紹介され、しばし談笑が行われた。夜会はもちろん社交もはじめてのフィアは自分が場違いのように感じ内心は不安でいっぱいだったが、それでも背筋を真っ直ぐ伸ばしてその場に留まっていた。

 王家であるデュアエルを含めた八つの主家の中でもフォルトマジア王国の最初の王家だったトゥーランと最も広大な領地を持つアーケアは一目置かれた存在だ。ちょっとしたことで悪印象を持たれれば、ナインディアにも、それにリラトゥアスにも迷惑がかかってしまう。


「大使夫妻には何度かお会いしたことがありましたが、ナインディアの皇子殿下にこうしてお目にかかれるとは光栄です。ナインディア皇家の方が春始の会にいらっしゃるのは随分と久しぶりのことでは?」

「ええ、同盟のことでお互いに行き来はありましたが、こういう大きな夜会には中々都合がつかずいつも大使に任せることになってしまっています。私個人としても、メルヘアはとても好きな街なのですが――」

「ですが今回は都合がついた」


 トゥーラン候と第二皇子の会話にアーケア公が鋭く切り込んだ。


「幸いなことに。おかげで可愛い従妹のエスコートの役目を任されました」

「エヴラール殿下にエスコートしていただいて、わたくしもとても心強かったです」


 第二皇子の視線が向けられたのを受け、フィアは口を開いた。


「陛下へのあいさつの際も、わたくしの急なお願いを聞き入れてくださいました」

「フィア嬢に兄のように傍で見守って欲しいと言われたら、聞かないわけにはいかないでしょう」


 「なるほど――」とアーケア公は静かにフィアを見つめた。


「フィア様はわたくしたち従兄妹の中でも一番年下ですもの。何かと気にかけてしまうものなのですわ」

「私の父や私たちの祖父ほどではありませんが」


 大使夫人の言葉に第二皇子が付け足すと、アーケア公は満足したようにうなずいた。


「もっとも、一番フィア嬢を気にかけているのは血縁のある我々よりもリラトゥアス殿かもしれません」

「私ですか?」


 突然話題を振られ、リラトゥアスは面食らった顔をした。


「今日も忙しい合間を縫ってフィア嬢に会いに行ったとか――」

「……フィア嬢は白銀宮に滞在する私の客人です。気にかけるのは当然のことでしょう」


 からかわれているのだと気づいて、フィアは気恥ずかしくなってうつむいた。「まあ」と夫人たちが微笑ましそうに笑う軽やかな声がくすぐったい。


「若者たちがいい関係を築いているのは喜ばしいことですね、アーケア公」


 朗らかにトゥーラン候が言った。


「そうかもしれませんが――あまり妻にかまってばかりになるのもどうかと……我が愚息のことですが」

「そういえばノルベルト――フィンケ子爵はどこに?」


 トゥーラン候の嫡男であるトマスはこの場にいるが、アーケア公の嫡男の姿が見えない。彼の妻と共に今日は出席しているはずだ。


「愚息は妻を友人の元へ送り届けるのだと言ってどこかに行きましたよ。戻ってきたらこちらからあいさつにうかがわせます」

「アーケアのノルベルトは私の傍仕えなのです。後で紹介させていただいても?」

「ええ、もちろんです」

「では我々はこれで――今宵は楽しんでくれ」


 春の夜は更けていく。その後もリラトゥアスの紹介で今回参加している主家の一つであるニーアーライヒ公爵――マリアローゼが嫁ぐ予定の家だ――にあいさつをし、それ以外にも主要な貴族と顔を合わせた。大使夫妻は途中でフォルトマジアの外交官と話すことがあるからと分かれたが、第二皇子はその後もフィアのエスコートを快く引き受けてくれた。


「もし私が会うべき人たちがいたとしたら滞在中に会えるよう大使が約束を取り付けてくれるだろう。今日の私の最も優先するべき仕事は従妹殿のエスコートだ」


 フィアとリラトゥアス、フィアをエスコートするエヴラール、それから静かにフィアに付き添ってくれている子爵夫人だけになり、少し休憩しようと大広間を出て軽食が用意されている広間へと移動をしたところだった。空いている席に腰を落ち着け、大使と別行動で大丈夫なのかエヴラールにたずねると彼はそう答えた。

 リラトゥアスの侍従であるローガンが給仕にやってきた。基本的に王宮の使用人が受付や給仕を行っているが、王家を含めた主家は侍従や侍女を連れてきていて、彼らは夜会の間は左右の広間に隣接された控室にいるらしい。


「ですが何かあったらいつでもそうおっしゃってください。わたくしは子爵夫人もついていてくれていますし、大丈夫です」

「そうなれば、リラトゥアス殿が心配するでしょう。私がフィア嬢と共にいることで、リラトゥアス殿がここにいる理由になるのだから」

「先ほどからそうやって私をからかおうとしていますね」


 決まりが悪そうなリラトゥアスにエヴラールは笑った。


「二人がいい関係を築けた方が我が国にとってもいいのです。それに祖父から帰国したらフィア嬢の様子を教えるよう言われていますからね」

「祖父というと――」

「前皇帝です。それから我が父である皇帝陛下にも似たようなことを言われています」

「そうですか……」


 ローガンから受け取ったグラスに口を付けると、リラトゥアスはフィアへと視線を向けた。


「国王陛下へのあいさつの時、エヴラール殿に付き添ってもらったのは皇帝陛下からの婚約祝いのことがあるからか?」

「あの場は家族が付き添うものだと聞いておりました。そうした方が、殿下のお役に立てるのではと……」

「私の?」

「はい……いつも殿下には気にかけていただいていますが、わたくしは殿下に何もしてあげられておりません」

「……驚いた者も多かったが、好意的には受け止められただろう」


 落ち着かない気持ちを押し込めて、リラトゥアスはそれだけ言った。


「もし好意的に受け止められない者がいたら――」


 周囲に視線を走らせたリラトゥアスは言葉を止めた。見慣れた金髪が目に留まったからだ。


「ああ、殿下。こちらにいらっしゃったのですね」

「ノルベルト」


 どこか軽薄にも見える笑みを浮かべて現れたリラトゥアスと同年代の男は、濃い金色の髪と初夏の木々を思わせる明るい緑色の瞳をしていた。雰囲気こそ違っていたが、よく見ればその顔立ちはアーケア公爵夫人の面影がある。


「エヴラール殿、フィア嬢、この男はアーケア公子、ノルベルト・フィンケ子爵です」

「お初にお目にかかります。ナインディア帝国の第二皇子殿下と我が国のゼアマッセル辺境伯家のご令嬢――どうぞ、私のことはノルベルトとお呼びください」


 フィアとエヴラールがあいさつに返す間も、彼はずっと笑顔を浮かべていたが、きちんと向かい合えばその瞳の奥に明るい色合いとは対照的な油断ならない光が湛えられているのがわかった。


「ノルベルトは私の傍仕えでもある――一応は。フィア嬢は今後も顔を合わせる機会が多いだろう」

「傍仕えと言っても私は王都にいる期間はあまり長くないですが……殿下とは学院の頃からの付き合いですからフィア様にも親しくしていただけたらと思います。今度、妻と改めてあいさつにうかがいますね」

「ええ、ぜひ。よろしくお願いします」


 学院の頃から、ということはリラトゥアスの“学友”だったのだろう。王族が学院に入学する場合は事前に“学友”を選ぶというのはフィアも知っていた。


「私以外の者はもう顔合わせはすんだのでしょうか?」


 ノルベルトの問いにフィアはぱちりと目を瞬かせた。


「まだだ」


 代わりに答えたのはリラトゥアスだった。それから彼は少し考えるような顔をしてフィアを見たが、彼女に何かを問いかけることはしなかった。


「ナインディアの皇族の周りにも似たような立場の者はいますが、この国ではきちんと役職として名前を付けているのがおもしろいですね」


 その奇妙な間をつなぐようにエヴラールが言った。


「仕事であるという理由がないと色々と関係を邪推する者もいます。私とノルベルトが親しくするのだって、実際はであっても裏があるのではと警戒される。フィア嬢との婚約もそうだ」

「わたくしが、デュアエルの旗手の家の娘だからですか?」

「ああ。ナインディア帝国との同盟強化のための婚約だとしても、この国でフィア嬢の立場はあくまでゼアマッセル辺境伯家の令嬢……他の主家ならともかく、我がデュアエルが旗手とのつながりを深めるのはあまり歓迎されない」

「他の主家の旗の持ち手はそれぞれの領地内にいますが、デュアエルの旗の持ち手は辺境伯家として国境の領地を任されていますからね。どうしても王都と辺境伯領で他の領地を挟み撃ちにできてしまう。我がアーケアだって警戒しますよ」

「それなら尚のこと、叔母上の結婚のことで気をもんだでしょうね」

「もう過ぎたことですが……だからこそ皇帝陛下からの婚約祝いはフィア嬢だけではなく我々にもありがたかった」

「ナインディア帝国の皇族の、他の方との婚約に変更することは考えなかったのでしょうか?」


 フィアの疑問にリラトゥアスは一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、それはほんのわずかな変化で傍にいたノルベルトだけが気がついた。


「我が国でもその話は出たが、当初の取り決めをむやみに変えるべきではないとかふさわしい令嬢がいないとかでいつの間にか立ち消えていた。従妹殿がフォルトマジア王家に嫁がねば、都合が悪い人間でもいたのだろう」


 エヴラールの淡々とした言葉にリラトゥアスとノルベルトは視線を合わせた。


「それは――」


 リラトゥアスが言葉をつづけようとした時、それまで黙ってフィアの傍に控えていた子爵夫人が何かに気がつきフィアに耳うちをした。そしてそれを聞いたフィアの顔がサッと青ざめた。基本的に表情があまり変わらない彼女があからさまに動揺するのを見て、リラトゥアスはすぐに周囲に視線を走らせた。


 ひと休みをするためにこの場に集まっていた人々の合間を縫って、エスコートした女性と共に真っ直ぐこちらに向かってくる若い貴族がいる――リラトゥアスと同年代の彼は、落ち着いた茶色の髪と澄んだ空色の瞳をしていた。均整の取れた体つきと整った顔立ちは近くにいる令嬢たちから熱い視線を送られている。

 パートナーの女性をリラトゥアスは見たことがなかったが、明るい茶髪の令嬢で、その若い貴族と並んでも遜色ない容姿をしていた。草原色の瞳は活気にあふれ、きらめいて見える。


「ご無沙汰しております、王太子殿下」


 軽やかな声であいさつをした彼――フィアの兄である、ゼアマッセル辺境伯家のアーシェア・グリンはやわらかな笑みを浮かべた。



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