春Ⅳ:流行りの舞台




「ゼアマッセルにそういう芝居があるらしいな」


 その話がリラトゥアスの口から出たのは二人が次に顔を合わせた時だった。


 花束のお礼にお茶を、と誘ったものの、春の社交シーズンのはじまりである春始の夜会が近づき、フィアもリラトゥアスも時間を取ることが難しかった。結局、お茶会の約束は流れ、二人が次に顔を合わせたのは夜会に向けての準備のためだった。


 瑠璃宮の一室に夜会で着る衣装や招待客リストなどの資料が用意されていた。やわらかな絨毯に長椅子とローテーブル、壁には本棚と暖炉がある。日当たりはあまりよくなく窓もそれほど大きくないが、陽が落ちてからのひと時をのんびりと読書でもして過ごすのにはちょうどいい部屋だ。


 ローテーブルを挟んで置かれた二つの長椅子にそれぞれ座って、フィアはリラトゥアスから招待客リストの貴族たちのことを教えてもらっていた。リラトゥアスからしてみれば自分のするべきことではないのだが、少しでも交流の機会を増やすようにと彼の母である王妃に指名されてこの場を設けたのだ。


「ナインディア大使夫妻が夜会の前に一度会いたいと言っているらしい。こちらで予定を決めてしまって大丈夫だろうか?」


 招待客の一人であるナインディア大使の名前を見て、リラトゥアスが告げた。


「はい。わたくし個人の予定は特にありませんので」

「そうか――前日までには会えるようにしようと思っている。その時はナインディア風の衣装を身につけていた方がいいかもしれないな……」


 夜会で着る予定の衣装はフォルトマジアの流行を押さえたものだ。フォルトマジアの貴族令嬢としてはじめて社交界に顔を出す場だからその方がいいだろうと、王妃のアドバイスを受けて一緒に選んでもらった。

 一方で、ナインディア大使夫妻は婚約のお祝いを直接言いたいという理由で面会を希望している。フィアはあくまでナインディア皇室の血筋であるため婚約者となったので身につけるものもふるまいも、それを踏まえなければならないだろう。


「王都に来る前に用意していただいた物でまだ着ていない物がありますから、その中から選ぶようにします」

「そうか――君が衣装を選んだら、私もそれに合わせて着るものを選ぼう」

「早めに決めるようにしますね」

「ああ、よろしく頼む」


 一応婚約者であるのだから、並んだ時に違和感のある衣装ではまずいだろう。用意してもらったナインディアの衣装はシンプルな物が多いがそれでもきちんとしておきたい。


「ナインディア大使夫人は君の従姉だったな」

「はい。でも、誕生日にお祝いのメッセージはいただいていたのですが、直接お会いしたことはありません」


 大使として赴任する際に親戚だからということもありゼアマッセルに立ち寄ったらしいが、離れで過ごしていたフィアが本邸に呼ばれることはなかった。王宮に来る前に大使館へ立ち寄った時も大使とはあいさつをしたが、持ち物を色々と用意してくれた夫人とは顔を合わせる機会がなく、会わずじまいだ。

 それを考えると、大使夫人である従姉がフィアのことをどう思っているか多少なりとも不安を覚えてしまう……この婚約のことで――家庭教師もしてくれていた子爵夫人の話によれば――ナインディアはフィアのことを気にかけてくれていたと思うが、国としてはそういう態度でも個人の思いは別だ。


「フィア嬢?」


 いぶかしげな声に、フィアは思考の海からハッと浮かび上がった。


「どうかしたのか?」

「いえ――大使夫人はわたくしのことを個人的にはどう思っているのだろうと思って……」

「もしいい感情を抱いていなかったとして、私が共にいる場でそれを表に出すようなことはしないだろう」


 招待客リストに落とされたリラトゥアスの瑠璃色の視線をフィアはそっと見つめた。


「それにゼアマッセルと王都で辺境伯夫妻の結婚について意見が違うように、ナインディアでも違う可能性はある。その意見に、周りの人間が感化されることもあるだろう」


 ゼアマッセルと王都の人々の、自分の評価が違うことをフィアは思い出した。“悪魔の子”と“お花畑の娘”――どちらもフィアのことだが、意味合いは全く違う。でも、そういえば……


「この王都でも、わたしのことを“悪魔の子”と呼ぶ人がいました……」


 あのかわいそうな花弁を持った感触が、指先によみがえったような気がした。


「……ゼアマッセルにそういう芝居があるらしいな。辺境伯夫妻をモデルにした、まるで君が悪役のような芝居が」

「……わたくしのせいで母が亡くなったのは事実ですから、仕方ないのです」

「そうだろうか?」


 リラトゥアスの声には苛立ちが混ざっているように聞こえて、フィアは不思議そうに彼を見上げた。


「出産で亡くなる女性は少なくない。逆に赤ん坊が死ぬことも、どちらも死ぬことだってある。遺った方が自分のせいだと言うのはおかしいと私は思う」

「そう、でしょうか?」

「そうだ」


 はっきりと、リラトゥアスは言った。それ以上に言いたいことがあるように見えた。


「ゼアマッセルの舞台は、ずっと上演されつづけているのか?」

「はい――いつから上演されているものかは知らないのですが、物心ついた時には“悪魔の子”と呼ばれるようになっていました」

「王都でも今、大衆演劇のようだが似たような内容の舞台が上演されているらしい」

「それで、あの女中が――」

「女中?」


 余計なことを言ってしまった。フィアは口をつぐんだ。


「白銀宮の女中か? 女中が君を“悪魔の子”と言ったのか?」


 眉根を寄せるリラトゥアスにどう返していいかわからない。彼は招待客のリストからはもう完全に意識を離し、厳しさを滲ませた表情で姿勢を正した。


「突然言ってきたのか?」


 まるで尋問だ。しかも、彼の真実の目を前にして嘘をつくことは不可能だった。


「……わたくしが、彼女のふるまいを……その、問題があるように思えたので問いただそうとしたのです……」

「君が?」

「はい……」


 庭でトマス・ローラントと一緒にいたリラトゥアスに会った時に言われたことを自分なりに実行しようとした。うまくいかなかったが……。


「そうか」


 先ほどまでとは違う、やさしい声だった。


「あの、殿下」

「なんだ?」

「先日は、お花をありがとうございました」

「あ、ああ。君は花が好きなようだったから」

「好き……」

「興味はあるだろう?」


 少し考えて、フィアはうなずいた。彼がフィアを見る瞳には、穏やかな光を帯びていた。


 胸の奥底に、何かやわらかなものがそっと降りつもったような気がした。リラトゥアスのそのやさしい声も穏やかな光を帯びた瑠璃色の瞳も、そう見えたのは一瞬だけで、瞬きをしている間に彼はいつもの冷静でどこか近寄りがたい雰囲気をまとった彼に戻っていた。


「白銀宮で君についてもらっている使用人たちだが……今まで何度も入れ替えているが、今度は君にも立ち会ってもらって選びなおそうと思う」

「えっ、ですが……」


 フィアは扱いとしてはリラトゥアスの客人なので、使用人をどうこうする権限は当然持ち合わせていないし、客人の前で使用人を選ぶということも普通ならあまり考えられない。


「母上から許可はいただいている。今までも一応、私や母上が口を出してはきたが……君にいつまでも迷惑はかけられない。その場にいてくれるだけでかまわないから、協力してほしい」

「迷惑だなんて……わたくしは、殿下の望むとおりにいたします」

「君の好きにしてくれてかまわないのだが……それから、夜会の時はフランカ・グリン子爵夫人に君の傍にいてもらおうと思っている。母上が子爵夫人を呼び出したと言っていたから、近々王宮に来るだろう」

「わたくしも会えるのですか?」

「君が望むなら――ただ、個人的な面会は夜会の後になってしまうだろう。それでもかまわないか?」


 フィアはうなずいた。


「子爵夫人と会う時にでも、舞台のことをもう少し教えて欲しいのだが」

「それはかまいませんが、わたくしは詳しい内容はよく知りませんし、子爵夫人も観たことはないと言っていました。従姉はあるようでしたが……」

「ではその従姉も呼ぼう」

「いいのですか?」

「ああ」


 うなずいたリラトゥアスの瑠璃色の瞳に、また先ほどの穏やかな光を見つけ、フィアの胸の奥に降りつづける何かがまたしんしんとつもっていった。




 叔母と従姉に会えると知った時、フィアはうれしそうだった。

 彼女は基本的に表情の変化が乏しいが、少しずつその変化がリラトゥアスにもわかるようになっていた。ほんの少し明るくなった雰囲気を見ると、いつだってなんだか落ち着かないような気持ちになる。

 フィアに付ける使用人や護衛は改めて選び直し――その場にフィアがいたおかげで今度こそまともな者を選べたと思う。元々の評判と、リラトゥアスの真実の目でフィアに対して悪意があるかないかを判断したし、今まで以上にこまめに様子を見に行くことにもした。


 春始の夜会まであとわずかだ。


「ゼアマッセル辺境伯家は当主も嫡男もどちらも出席するのですか? 兄上」


 学院から帰ってすぐにリラトゥアスの元を訪れたエデュアルトが明らかに不機嫌そうな兄にそうたずねた。


「さっき見かけましたよ」

「ああ、おそらくは――フィア嬢ははじめての夜会だからな」


 答えたリラトゥアスは明らかに棒読みだった。


 十六歳で成人を迎えた最初の春か秋、貴族の子どもたちははじめて夜会に参加する。と言っても、この国のほとんどの貴族が通う学院が十八歳で卒業なので二年間は準成人という暗黙の決まりはあったが。

 最初の夜会は必ず王族にあいさつするという風習もあるため、よほどのことがない限りは新成人の家族は共に夜会に出席した。あけすけにいえば、我が子が成人したあいさつ――という体で大人同士が交流を広げるためだ。あるいは、婚約者などが決まっていなければ子ども自身の顔を売り込むのも目的だろう。


 しかしゼアマッセル辺境伯家、フィアの父と兄であるバーシアとアーシェアはあくまで形だけ参加するのだというのを隠そうともしていなかった。少なくとも、リラトゥアスにはそう思えた。

 辺境伯は王家であるデュアエルの“旗手”にあたるため、彼らは国王にあいさつをしに来たのだが、当然、その娘を妻にもらうリラトゥアスもその場にいた。彼らはそつなくあいさつをし、しかしフィアのことは決して話題には出さなかった。早々にそのことに気づき、リラトゥアスも彼の父である国王もあえてフィアのことには触れなかったが、内心は辺境伯家の二人とは真逆だっただろう。


「当日、フィア嬢をエスコートするつもりもないだろうな」

「兄上がエスコートするのでしょう?」

「私たちは婚約しているがまだ主家会議を通していない。他の貴族なら婚約者がエスコートするかもしれないが、我々は主家なのだから主家会議を飛ばして公の場で婚約者としてエスコートするのはあまりよくはない。事情が事情だけに多少は目をつむってくれるだろうが……それにどちらにしろ夜会の間ずっと彼女についていられない」

「僕が成人していたらフィア嬢のエスコートをするのに」


 リラトゥアスは笑った。


「彼女のエスコートのことはナインディア大使と相談しようと思っている。それに彼女の叔母にも傍についているよう頼んである――それで、そんな話をしに来たのではないだろう?」

「もちろん」


 エデュアルトは姿勢を正した。


「舞台に関連する噂のことなんですが、平民だけではなく一部の貴族にも流行が広がりはじめているみたいですね。男爵家とか、旗手ではない伯爵家とか――あと、子爵家のご令嬢が話しているのを聞いた者もいました」

「子爵家? どこの子爵家だ?」


 この国の子爵家は“旗下”子爵家と呼ばれ、“旗手”伯爵家のように主家の臣下の家系あるいは分家がそれにあたるが伯爵が“旗手”以外にも存在するのとは違って子爵は“旗下”しか存在しない。そのため子爵家が何か目に余るようなことをすればそれはその主家の責任になってくる。


「そこまでは――また調べておきます」


 エデュアルトもそれは心得ていて、しっかりとうなずいた。


「それで、ちょっとなご令嬢の中には舞台を真に受けている者もいるようで、今度の春始の会で王太子殿下が真実の愛の相手を探すなんて噂も流れはじめているようです」

「は?」

「劇場によっては悪魔を倒す“真実の愛で結ばれた夫婦の子ども”が女の子で、王子と真実の愛で結ばれてその力で悪魔を倒す――という話になっているらしいんですが、それがご令嬢方の心をつかんだようなんです」


 「そんなに睨まないでよ」とエデュアルトは訴えた。リラトゥアスはしわの寄った眉間をもみほぐし、あきれたため息を大きく吐いた。バカバカしすぎて話にならない。


「ローガンは脚本のことを調べたんですか?」

「ああ」


 今日はローガンが休みのため、リラトゥアスは自分で弟にローガンの調べてきたことを話して聞かせた。


 リラトゥアスはある程度予想していたが、脚本家はゼアマッセル出身の者で、去年の終わり頃に王都のいくつかの劇場に脚本を売り込みに来たらしい。劇場の評価は可もなく不可もなくというところで、大衆向けにはいいだろうとは思ったがまだこれから新作を作るところだったので保留にしようとした。

 ところが、脚本家にはパトロンがいて、上演を条件にかなりの額を出資すると言われ劇場の考えは変わり、こうして春に初演を迎えたのだ。その後も出資はつづいており、その分劇場は宣伝に力を入れ、話題になったことで下級貴族が足を運ぶような劇場も興味を示し上演をはじめ、今に至っているようだ。


「それって……」


 エデュアルトが口にしようとした意見を、リラトゥアスは手を振って遮った。


「確証がないことをあまり口にするな」

「そうですね」


 春始の夜会が思いやられる。どっと疲れを感じ、リラトゥアスは何となくフィアの顔を見に行きたい気持ちになった。



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