冬Ⅱ:三通の手紙




 フォルトマジア王国の王都メルヘア、その中心にある真白ましろの王宮はこの国の中枢であり王族が住まう場所だ。いくつかの堀や壁に囲まれた中には騎士団の演習場や魔術師団の研究施設、美しい庭園、温室、王宮の名のとおり眩い白色の大小さまざまな石造りの建物がある。


 その中ほどの区画にある常盤宮は、他の建物と同じく眩い白色の石造りの建物ではあったが、外壁にはよく手入れされた蔦植物が装飾のように這い、扉や柱などの要所要所にはその宮の名を表す色が使われていた。

 穏やかで落ち着いた雰囲気のその建物は、実際のところこの国の行政を一手に担う場所だった。宰相をはじめとする大臣たちを長とした各部署が日々国のために働き、議会を開く――もっとも、このフォルトマジアの冬はほとんどの国民がそれぞれの領地で過ごすことがならわしであるため、春になるまでは静かなものだった。


 ただし、常盤宮にある王太子の執務室を除いては。


「ふざけているのか?」


 目の前に三通の手紙を広げて、王太子リラトゥアス・デュアエル゠フォルトマジアは今にも舌打ちをしそうな口調でそう言った。

 広い執務室、扉の正面には広い窓があるものの、重たい雲で覆われた空のせいでカーテンを開けていても部屋の中はどこか薄暗く感じられた。その手前にあるリラトゥアスの広い執務机の上には、三通の手紙の他に最近起きた崖崩れによる被害についてまとめられた報告書があった。

 入って左手のスペースには数名の文官が詰めており、崖崩れの被害に必要な対応について話し合っていたが、リラトゥアスのいら立った声に思わず手を止めて顔を上げていた。


「何か問題でも起きたのですか?」


 何でもないようにたずねたのは、リラトゥアスの侍従であるローガン・モルナだった。


「ナインディア大使館が何か?」


 三通の手紙を主に渡したのは他でもない彼だった。当然、送り主が誰かもきちんと知っている。ナインディア大使館、フランカ・グリン夫人、そしてゼアマッセル辺境伯だ。もっとも、この三通の手紙は国王夫妻に宛てられたもので、二人が確認をした後、王太子であるリラトゥアスにも見せるようにとローガンが命じられたのだ。


「用件はどれも同じだが――問題なのはゼアマッセル辺境伯だ」


 はあ、と大きなため息を落とす。


「婚約者殿がこちらに向かっているらしい」

「は?――あ、いえ、失礼しました。婚約者殿というと……ゼアマッセル辺境伯家のご令嬢ですか?」

「他にいないだろう」

「……念のため確認ですが、王宮側からの要請ではなく?」

「辺境伯が勝手にしたことだ」


 リラトゥアスの眉間のしわがますます深くなった。


「彼女は先月で成人――十六歳になった。だからと言って……あの男が娘をどう扱っているかは知っていたが、非常識にもほどがある」

「どうするのですか?」

「どうするも何も、手紙の日付を見るに彼女は近く王都に到着するだろう。迎える準備は母上が指示をしてくれるが、この件は私に一任されているんだ。幸い、大使館が迎えに行くと言っているから彼女自身については到着を待てばいい。こちらはこちらで他の主家に連絡を取らなければ」


 近隣国から“八王の国”とも呼ばれるフォルトマジア王国は、かつてこの地にあった八つの国が一つになってできた王国だった。現王家であるデュアエルと七つの公侯爵家がその八つの国、それぞれの王家の血筋であり、爵位などの差はあれど同等の立場であると定められていた。

 基本的に他の主家は普段、王家を敬い臣下としてふるまってくれているが、フォルトマジア王国にとって重要なことはたとえ王家でも他の主家を無視して決めることはできない。リラトゥアスが王太子となったのだって、主家の当主全員の承諾が必要だった。


「またゼアマッセルかと言われるな」


 手紙を目にしてから何度目かのため息を落とす。


「そうでしょうね」

「早馬を出す準備を。それから――崖崩れの件だが、現地に向かった者たちから連絡があり次第、状況を精査して必要な対応をまとめてくれ」


 前半はローガンに、後半は耳をそばだてていた文官たちに向けて告げると、リラトゥアスは三通の手紙を手に執務室を後にしたのだった。




***




 正式に王太子と名乗るには年に二回行われる主家の当主たちによる主家会議で認められなければならなかったとはいえ、リラトゥアスは生まれた時からいずれこの国の王位を継ぐ者として育てられてきた。眩い金色の髪と不思議な光を帯びた瑠璃色の瞳は現王家であるデュアエルの特徴で、特にその瑠璃色は国王である父よりも濃く、美しい色合いだったことから彼以上にデュアエルの跡継ぎにふさわしい者はいないと周囲は考えていた。


 瞳には、その者の持つ魔力が現れることがある。魔力量が多い者であればなおさらだ。


 より鮮やかで濃い色の瞳を持つ者ほど魔力が強く、リラトゥアスもまたそれに当てはまった。


 彼が婚約者の存在を知ったのは“婚約者”という言葉の意味もわからないような子どもの頃だったが、遠く辺境の地に住んでいる彼女がどんな顔をしているのかはずっと知らないままだった。一年に一度でも姿絵が送られて来たらよかったのだが、姿絵はおろか、手紙すらなかったのだ。

 そんな婚約者の存在を感じたのは十一歳の時。ある日、母である王妃に呼ばれた彼が王妃の私室を訪ねると、一通の手紙を渡された。ナインディアの国章が入った便箋に幼いながらも丁寧な文字で書かれたそれは、婚約者からのはじめての手紙だった。


「どうして……」


 年下の婚約者からのはじめての手紙に感じたのは、喜びや驚きではなく困惑だった。そんな息子の様子を、王妃はやわらかい表情で見守っていたが、その視線にはある種の鋭さのようなものがあった。


「……彼女はナインディア帝国にいるわけではないのですよね?」

「ええ、ゼアマッセル辺境伯家で暮らしているわ」


 王妃は別の手紙を取り出した。


「その手紙はゼアマッセルのフィッツ゠グリン子爵夫人からの手紙に同封されていたの。いえ、フランカ夫人はもう子爵夫人ではなかったわね――まあ、いいわ」

「今まで彼女からの手紙など来たことがありませんでした。僕は婚約者の顔も知りません」

「母も知りません。この王都であなたの婚約者の顔を知るものはほとんどいないでしょう。ナインディアの大使館の方々はわかりませんが……」


 リラトゥアスは手紙へと視線を落とした。季節のあいさつからはじまり、彼女の近況――主にどんな勉強をしているかだ――とこちらの様子をうかがう文面の、決して長くはない手紙だ。よくも悪くも形式的で、文字の幼ささえなければ誰かが代筆したのではないかと思っただろう。


「あなたはもう十一歳。一度、この婚約や婚約者のことをどう考えているのか確認しておく必要があると陛下と話し合ったのです」


 「はい」とリラトゥアスはうなずいた。来年か再来年にはこの王都にあるアーケアネス王立学院に通うことになる。十三歳から十八歳までの子どもたちが通う六年制の学び舎で、様々な専門分野を学ぶことができるが、貴族や富裕層などの若者たちにとっては大人になる前に交友関係を広げるための社交の場でもあった。

 この国はそれぞれの主家を中心としたつながりがやはり強く、それを越えて関係性を深めるのに学院は有効的な場だった。もっとも、王太子である以上、リラトゥアスが誰それかまわず親しくすることは難しい。王家の子どもが学院に入る時は、一年ほど前に同い年の貴族の中から学友を決めることが普通で、交友関係を広げるのも学友が間に入ることになるだろう。


「学友もそろそろ決めなければなりませんからね。学院に入れば、きっと色々な目的を持ってあなたに近づこうとする者が現れるでしょう。あなた自身が親しくなりたいと思う相手が現れるかもしれません。魅力的な女の子とか」


 フフと王妃は軽やかに笑ったが、リラトゥアスは微妙な表情をした。


「僕は、自分の立場や役割を忘れたりはしません」

「もちろんです、リラトゥアス」

「それにこのナインディアとの婚約を、またダメにするなんてできません」


 そう、ナインディアとの婚約だ。だからこそ、今まで婚約者の存在を感じられなくても彼は気にしなかった。


「この便箋は――彼女もそう考えているということでしょうか?」

「その便箋は子爵夫人がナインディアと連絡を取り、用意した物のようです。二年ほど前だったかしら? 辺境伯の弟君である子爵が亡くなった後、夫人があなたの婚約者の乳母兼教育係になったのは」


 子爵夫人からの手紙からは子どもたちの婚約についてよく理解している様子が察せられた。細かな近況報告や、これから学ばせようと考えていること、もし必要なことがあれば教えて欲しいという旨――辺境伯からはせいぜい一年に一回、健やかに過ごしているという連絡しかなかったことを思えば王妃の子爵夫人への印象がよくなるのは当然だった。


「辺境伯家で、あなたの婚約者であるフィア・グリンは疎まれています」

「どうして疎まれているのですか?」

「辺境伯は愛妻家でしたから、妻の命と引き換えに生まれた娘を受け入れられないのです」


 そう告げた王妃の瞳はますます鋭さを増した。


「おそらくあなたの学友候補になる辺境伯家の長男も、父親の影響を受けています」

「辺境伯は自分がどう見られているのか気づいていないのですか?」


 リラトゥアスは信じられない気持ちだった。この婚約は、辺境伯夫妻が台無しにした婚約の穴埋めのために結ばれたのに。


「どうでしょうね」


 王妃の声は何かを含んでいるようだったが、それが何かはその時のリラトゥアスにはわからなかった。


「ですが、我が国とナインディアで婚姻を結ぶことは同盟の内容に組み込まれてしまっていますし、ナインディアにはあなたの年頃にあう姫君はいません。この婚約を解消したり相手を変更したりすることは今のところありえないでしょう」


 同盟の強化自体がナインディアからの提案だったため、フォルトマジアからナインディアへ誰かが輿入れすることも選択肢としてはあまり考えられていなかった。


「二度も問題が起きては近隣国に隙を見せることになりかねませんし、国内でも――他の主家からどう思われるか」

「わかっています、母上」


 リラトゥアスはしっかりとうなずいた。


「彼女がどんな人でも、彼女が辺境伯家でどう思われていても、ナインディアの国章が入った便箋を使うことが許されているならかまいません。僕もきちんと義務を果たします――彼女の兄を、学友に選ぶ必要はありますか?」

「学友にはあなたが信頼できそうな相手を選びなさい」


 きっぱりと言われ、リラトゥアスはほっと肩の力を抜いた。


「それから、手紙の返事を書いたらわたくしのところへ持って来なさい。子爵夫人への手紙を一緒に送ります」

「はい」

「義務でも親しくなってはいけないわけではないわ」

「……はい」


 鋭さは消え、母の声でそっとそう言った王妃に、リラトゥアスはまた手元の手紙に視線を落とした。その表情に照れくさそうな色が混ざっているのを、王妃だけが気がついていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る