手術したことについて

きさ

手術前と手術直後、それから少し後のことについて

私は自分の健康を過信しているところがあって、入院するのは死ぬ時だと思っていたし、手術も点滴も無理だと思っていた。


それが内臓に疾患があることがわかって切ることになって、どうしてなのか理解できなかった。

それでも切除しなければいけないことは理解できて、事前の検査とか手続きとかをしていた。

無関係だと思っていたことが自分のことになったわりには妙に冷静だったのだけれど、全身麻酔の説明を聞いた時に、これはもしかして死ぬのでは…?って思って急に怖くなった。

どちらかといえば、生きていたくない人で、細く短くひっそりと死んでいきたいと思ったのに、怖がっているのは不可解だなとどこかで思いながら、わーっと号泣した。


手術が決まった時後天性のものだと思った母が言った、健康に産んであげたのにという言葉は忘れられないと思う。

結局、先天的なものだったので余計にかもしれない。

余談だが、統計学的に私の生まれた日は虚弱な人が産まれやすいらしい。

星占術だったかな?

何か事情があって、予定日より早く産まれるように処置をした結果、その日に産まれたらしい。

この二つを知った時は、いつか病になるようにと誰かが仕込みをしたように感じられてぞわっとした。



術後、目が覚めた時は自分にたくさんの管が刺さっていた。

麻酔で痛くはないけれどなんとなく違和感に包まれていて、でもお腹を裂いて内臓を取ったのに何で生きているんだろうっということが不思議だった。

血栓ができないようにだったか、足にはマッサージ器のようなものも巻かれていて傍から見ると重症にしか見えなかったのだろうけれど、動けないけれど痛くないし生きているし、軽症の気分だった。

それでも発熱が酷く氷枕は何度も変えてもらった。

氷枕をずっと当てていた箇所は今は白髪が増殖していて、色素細胞が死んだのかなと思っている。

発熱中にも早く日常に戻れるようにと対応されて、お腹裂いたのにこんなに早く固形物食べていいの?とか、お腹裂いたのにこんなに早く歩くように言われるの?とか想像していた手術後の入院とは違っていて驚いた。

出されたご飯はすべて食べなくてはならないだろうとせっせと間食した結果、予定より一日早く退院することとなった。

残すことが前提の多めのメニューだと後で知り、驚いた。


退院後はしばらくお散歩というリハビリをして過ごした。

やはり予想していたより、ずっと楽だった。

切った個所は痛いのだが、ちゃんと生きて動いていた。


今では食事に気を付けることと、できないスポーツがあるぐらいしか影響はない。

それでも、二つある器官の疾患だったため、もう片方が駄目になったらと思うことは多い。

その時は、もう日常生活は送れなくなる。

自分とは縁遠いと思っていた病、考えるようになるとしてもずっと先だと思っていた病。

術前と比べると、変わってしまったこと、変わるしかなかったことは多いと思う。

なにより、大きな病をしていない多くの人と肩を並べることはもうできない。

例えば転職するとして、まったく同じ条件の病歴ない人と比べられると、私が選ばれる可能性は低いだろう。

いくら普通に暮らしていても、私は「リスクを持った人間」になったのだと思う。

たださえ先行きが見えない時代に、暗雲の要素を持っていることの不安は大きい。


だが、少しだけよかったこともあったりする。

今の私は、できるだけ早めに死にたい私ではなく、できるだけ苦労せずに生きたい私なのだ。

後ろ向きな思考回路から少しだけ前向きになった。

やる気はあまりないことは変わらないのだが、生き物としては前進と言っていいだろう。

健康に生きている、ということが「普通」のことではない。

身をもって味わいつつ、生きている。

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