元特務機関、現る。

亜未田久志

第1話


 ペトリコールが香る路地裏、俺は影のように座り込んでいた。手にはが握られていた。だが今はそれで遊ぶ気にもなれない。ただ雨に濡れるだけ濡れていた。過去に浸る暇も無く追手が迫る。足音は数人、追い払えない数じゃない。だがやる気が起きない。仕方なく路地裏からそっと離れた。奇異の目で見られないようにすぐ近くのコンビニに入ってビニール傘を買う。びしょ濡れな上、革で揃えた衣服に靴には拍車、それも輪拍を付けた格好はさぞ目立っただろうが、気にしない。そのまま買ったビニール傘を手にして、店の外で開いて、その付近を後にする。「ありがとうございましたー」店員の定型文が背中に当たる。


「俺なんかにお礼を言うなよ」


 店員にも聞こえないように呟いた。その時だった。乾いた破裂音がした。雨音に混ざっててもはっきり耳に聞こえた。一瞬、撃たれたのかと思った。拳銃が規制されている日本に生まれたが、俺には撃たれるような心当たりがあった。だけど違った。それは発砲音でも、車のパンクした音でもなかった。誰かが誰かを平手打ちした音でもない。それは、それは。俺の意識が暗転する音だったのだ。

 真っ暗闇の中に俺はいた。目が慣れてくるとそこが薄暗い石造りの部屋だという事が分かる。地面には赤い紋様が描かれており、その中心に俺はいた。目の前の銀髪碧眼に真っ赤なローブ姿の少女が目に入る。


「成功よ! 長老たち! 勇者の証も持ってる!」


 影に隠れていた老人たちがこちらの、手元に視線を向ける、ビニール傘ではない、オモチャの方だ。追手の一味かと身構えたが、どうにも雰囲気が違う。


「あーあー、翻訳の魔法エルゴリズムは効いているかしら? 勇者さま? 聞こえている? 私はアスラストフィア=エーデンコール。ここの祭司長です。貴方を魔獣群エルゴリーから世界を救ってもらうためにお呼びしました」

「……呼んだ?」

「はい、此処、エルストリアへ」


 理解に苦しんだ。しばらく考え込んで思考停止しかけた。彼らの言葉の意味が分かってしまうのが少し不気味だった。これでも数各国語を話せるのだが、そのどれにも該当しない単語であるはずなのに理解出来てしまうのが困惑の原因だ。それに此処はどこだ。エルストリア? 俺はさっきまで歌舞伎町にいたはずだ。


「いくつか質問いいか」

「あっ! 良かった! 言葉は無事に通じているようですね、なんなりとお聞きください」

「エルストリアってなんだ」

「なんだ、ですか、そうですね。端的に言い表すなら貴方が元いた世界とは『異なる世界』です」


 一呼吸置く。


「どうしてその『異なる世界』に俺はいる?」

「私が呼んだからです。魔法エルゴリズムで」

「そのエルゴリズムってなんだ」

「貴方のいた世界とは異なる技術体系と思っていただければ」


 その説明で思った。目の前の少女は見た目より大人で賢い。人が理解出来る範囲というものを分かっている。困惑は落ち着きに変わる。俺だってと戦ってきた者だ。多少なりの『想定外』には慣れている。


「こちらからもいいですか?」

「……ああ」

「あなたは太陽進たいようすすむで合っていますか?」

「今、なんて言った!?」


 俺は『あの男』の名前を出されてコンマで怒気を孕んだ言葉を返した。少女が驚き肩を揺らし、周りの老人たちが騒めく。


「あ、あなたは太陽進ではないのですか?」

「……俺は影野仁かげのじん、太陽進に陥れられた負け犬だよ」

「そんな!? だってあなたはソレを、勇者の証を持っているじゃないですか!?」

「勇者の証……? ああ、コレか、コレは量産型バトルジャケットだよ。あいつが持ってるワンオフとは違う……俺に相応しい末路さ」


 バトルジャケット。それは日本を襲った脅威『壊人』から人々を守るために開発された特務機関の装備だった。そこで俺は前線で戦っていた。しかしある日、ワンオフのバトルジャケットを持った男、太陽進が壊人の巣を破壊し、人類と壊人との戦いに決着をつけた。それで特務機関はお役御免となった。俺は納得いかず量産型バトルジャケットを特務機関から強奪し太陽進を探した。しかしどこにもおらず、ヤツは姿をくらました。俺はバトルジャケットを盗んだ指名手配犯として追われる身となり、今に至る。その経緯を全て、目の前の長ったらしい名前の少女に話してやった。少女は顔を青ざめて震えている。


「なんてこと……あと百年は儀式を行えないのに……」

「……エルゴリーって言ったな、それは壊人みたいなものなのか」

「……はい、その認識で合っています」

「だったら」


 俺がやってやるよ。そう言いかけて止めた。どうせ俺なんかが出しゃばったところで、そんな思考が巡る。そこで名前の長ったらしい少女が俺に駆け寄り服の裾を掴む。


「お願いです! もうあなたしかいないんです!」


 縋るような瞳。潤んだ涙は今にもこぼれそうで、俺はその訴えを無下にする事が出来なかった。だけど昔より捻くれた俺は一つ条件を付ける事にした。


「条件、ですか?」

「俺の妹になれ。今日から俺達は兄妹だ」

「……えっと、それはなぜ?」

「アイツにも妹がいた。妹がいれば強くなれるんじゃないかと思った。それだけだ」


 名前の長い少女はしばらく考えこんだ後、決心したように承諾した。


「分かりました……えっと、お兄様?」

「兄貴でいい」

「わ、分かりました。兄貴」

「いくぜ相棒。エルゴリーってやつらを潰して今度こそ俺は本懐を成す」

「は、はい兄貴!」


 石造りの部屋に早足で駆けこんでくる者が一人現れた。


「大変です! 街の城壁に一体の魔獣が!」

「早速、出番か」

「行きましょう兄貴!」

「応」


 街は西洋の古い石造りの街並みを思わせた、しかし、エルゴリズムとやらで発展しているのだろう、夜なのに明かりが強く、星空も見えない。観光は後回しにして、騒ぎの方へと向かう。

 街は壁に囲われており、門の一つから外へ出る。そこで見たのは壁をよじ登ろうとする四つ足の獣。


「あれがエルゴリーか」

「はい、倒せますか?」

「任せろ」


 俺はオモチャ――バトルジャケット――を腕のリストバンドにセットしてパスコードを打ち込む。


『revolution』


 進化を表す合成音声と共に俺の身体が特殊合金で包まれる。しかし身体は着る前より軽い。俺は一足飛びにエリゴリーの元へと飛ぶと蹴りを一発喰らわせる。


『GYAAAAA!?』

「雑魚が」


 空中で腕のコマンド入力装置に技のコードを打ち込む。


『PowerKick』


 足元のジャッキが空気を蹴る。肩のブースターが点火する。俺は亜音速まで加速する。エルゴリーのどてっぱらに突っ込み突き抜ける。エルゴリーは臓腑をぶちまけ絶命し落下しぐちゃりと音を立てて肉塊と化した。俺はその身についた血を払ってバトルジャケットを解除した。すると相棒が近寄ってくる。


「すごいです! 兄貴! あなたならきっと魔獣全滅も夢じゃないかも……!」

「……かも、か」

「あっ、いや、今のは言葉の綾で!?」

「どうせ俺なんか……」

 

 俺はもう素直に賞賛を受け入れられない。この栄光も僅かな間のものと考えてしまう。そんな幸先がいいのか悪いのか分からない。俺の異世界での旅が始まった。

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