ダブルアサシン:エンドワールド

ゆにろく

ダブルアサシン:エンドワールド

「――ユキ。来たよ」


 2階から小春が降りてきた。

 18歳だがそうは見えない。その年齢の平均身長を大きく下回るほどに小柄で、不愛想な少女だ。顔立ちは整っているのでもったいない。


「ねぇ、ユキってば。……聞こえないフリしてる?」


「……あれ、次の『当番』どっちだっけ?」


 雪乃はソファに座ったままのけぞって、後ろにいる小春を見た。

 雪乃は小春とは対照的に、身長もあるしスタイルも良い。そして美少女だ。毎朝、鏡を見る度思うのだから間違いない。


「次はユキ」 


「えー。そうだっけ?」


「ユキ」


「うーん、覚えてないなぁ。……じゃん負けでどう?」


「ユキ」


「……はーいはい。私ですよー。やればいいんでしょ、やれば」


 雪乃は諦めてソファーから立ち上がる。次いで、机に置いてあるハンドガンに手を掛け――


それ使わないで。一匹だけだから」


「えー」


「弾がもったいない」


こんな時代・・・・・なんだよ? いつ死ぬかわかんないだし、もっと豪快に行こうよー」


 小春は眉一つ動かさない。


「バットで」


 ぶれぬ女だ。


「けちくさー。そんなんだから春ちゃんはちびっこいんだよ。びんぼーしょー」


 ハンドガンをピンと指先で弾いて、柱に立てかけてあるバットを手に取った。


「貧しいのは、ユキの頭」


 カチンと来たが、冷静に考えれば雪乃のすっとぼけが発端だ。大目にみてやろうじゃないか。

 手首や肩を回しつつ、玄関へ向かう。靴を履いて、扉を開けた。


 外は、非常に爽やかな青空が広がっていた。5月という暑くもなく寒くもない気温も素晴らしい。昨日から一変、今日は良い日だ。

 地面に目を向けると、道路はひび割れ、標識は無惨にも倒され、そこら中に血がこびりついていた。これは何にも変わらない。


「ウァアアアア」


 拠点としている一軒家の敷地を出ると、唸り声の発生源が立っていた。20m先、こちらを見て道路の真ん中を走ってくる。人の形をしているけど、あれはもう人じゃない。

 小春と共にいろんな呼び方を考えたものの、結局あれ・・を雪乃達はこう呼んでいる。


「よし、『ゾンビ』君いらっしゃい!」




 ――2025年。歩く死体、ゾンビが世界を埋め尽くしていた。



 

「ウアァァァアア!」


 ゾンビは普段、ちんたらと街中を放浪している。そのくせに、獲物を見つけ、走り出すと結構足が速い。現に、5秒程度で雪乃との距離は詰まった。

 みたところ成人男性の成れ果てだ。身長は、雪乃よりちょっと高い。


「おっと」


 飛び掛かってきたところを、左に身を引いて避けた。バットを握る手に力が入る。

 だがここで、フルスイングするのはナンセンス。

 なぜなら、ゾンビには忘れちゃいけない特性があるからだ。


 ゾンビの血液を身体に取り込むと感染する。

 ゾンビは頭部を破壊されない限り、その動きを止めない。

 

 バットをこの距離で大振りすると返り血を浴びる羽目になる。加えて、このゾンビは身長が高い。頭部を破壊しようと思うとアッパースイング気味になり一発KOの難度はあがる。


 故に雪乃は突いた。


「ガゥ……」


 攻撃を外した直後に、胸部を思い切り突かれ、ゾンビはバランスを崩した。後方に身体がよろける。更に追い打ちで、前蹴りを喰らわしてやればもうこっちの物。

 ゾンビはぐらりと体勢を崩し、地面に膝をついた。

 

 ――ここ。


 バットを、斜め下方向に向かってスイング。

 芯は、ゾンビの頭部を捉える。ぐちゃっという音がして頭が潰れた。頭を失った元人間は、ばたりと道路に倒れ伏す。

 血は、地面に向かって飛び散ったので、雪乃は一切の返り血を浴びなかった。重力に逆らわず、スイングするのも理に適っている。完璧だ。


「はいおしまーい」


 雪乃は軽く振って、バットの血を落とした。

 この手際の良さは、世界がまともだった頃の職業のおかげだ。

 もちろん、野球選手ではない。


 ――雪乃と小春は、泣く子も、鳴く大人も、法律も黙る凄腕美少女殺し屋だった。



 2023年2月。一人目のゾンビがアメリカに現れた。

 その原因となった細菌は自然発生したのかもしれないし、どこかの国が作った生物兵器なのかもしれない。

 

 人間をゾンビにしてしまう細菌。

 それは、当時生きていた科学者によって『ユーリアス001』と名付けられた。


 この『ユーリアス001』が人間の体内に入ると、細菌は爆発的に増殖し脳を喰らいつくす。そして、細菌は一定数まで増えきると、細菌同士が結合し、なんと疑似脳を生成する。疑似脳は、四肢を蝕む細菌達に命令を出し、人間をゾンビとして操作するのだ。


 ゾンビ化すると、人体を蝕む細菌はいわゆる静止期に入っている状態で、増殖はほとんど行われない。よって増殖するべく、別の人間を襲うよう疑似脳が命令を出す。脳が新鮮な人間に、細菌は飛びつき、再びその人間の中で爆発的に増殖していく――奴らは頭が鈍いのでそのまま、食い散らかすこともままあるが。

 とまぁ、こうしてゾンビは増えていく。


 ゾンビは2023年3月中旬の段階で世界中どの国でも出現していた。『ユーリアス001』は人の肉体を離れると短時間で死滅するため、感染経路は血液感染が大半を占める。しかし、夏が終わるころには、人類の2/3は自我を失っていた。

 ゾンビは身体能力が高い。力も強く、足も速い。だが、人類の多くがゾンビ化したのはそれが理由ではないだろう。

 

 ゾンビを「殺す」には、頭を潰すしかない。

 そして、感染した人間をゾンビにさせないためには、生きているうちに頭を潰す必要がある。


 これが、普通の人間にはできなかった。

 雪乃と小春は、それができたから生き残れたのだ。

 世界中の倫理観が壊れる前から、倫理観が壊れた世界アングラに身を置いていた。

 

 ゾンビが出てから2年経った今、何人の生存者が残っているかは検討もつかない。ただこれだけは言える。きっと、今生きてるやつらは皆ろくでなしだ。

 どいつもこいつもろくな死に方をしないだろう。

 


「ただいまー」


 靴を脱ぎ散らかして、雪乃はリビングへ戻った。


「おかえり」

 

「それだけー? 春ちゃーん、心配のお言葉はー?」


「ブジデヨカッター」


 小春は、それだけ言うと二階へ戻っていった。今日、小春は見張りだ。

 原理はわからないが、ゾンビは人間を何らかの方法で探してくる。音はもちろん、人の気配にも敏感みたいだ。

 とりあえず、ちゃんと見てないとしないといつ襲ってくるかわかったもんじゃない。


 ただ、幸運なことに、奴らは夜にはあんまり動かない。きっと細菌と太陽に何らかの関係があるのだ。まぁ事実はわからないけど。その辺を研究する人間達は多分みんな死んだ。

 無論、雪乃も小春も研究する気は毛頭ない。




 結局その日、襲ってきたゾンビは昼の一体だけだった。


「いやぁ、美味しいねぇ」


 雪乃は小春と共に夕食を取っていた。食事はカップ麺だ。賞味期限はとっくのとうに切れているが全然食べられる。


「在庫はどうよ。カップ麺もそろそろなくなりそ?」


「……あと2週間分くらいはあるけど。そろそろなんか探しに行くか、拠点変えた方がいいかもね」


「結構気に入ってるんだよなぁー、この家」


「ユキは、どこでもそう言ってるよ」


「テキトー言ってるわけじゃないよ? 毎回更新してるんだよ、ベストを」


 住めば都とは本当にその通りだ。

 それに、割れた窓を修復したり、血だらけの壁にペンキで色を塗ってみたりする度、愛着が沸いてくる。


「……前から言おうと思ってたけど、次の拠点では勝手に壁をピンクにするのやめて」


「え、なんで」


「落ち着かないの」


「えー、……わかったよ」


 塗るけど。ペンキも探すけど。


「……」


 小春は目を細めてこっちを睨んでから、麺を啜った。雪乃はほとんど食べ終わっているが、小春はまだまだ残っているようだ。


「というか、なんでピンクなの?」


「あー、それはねぇ。えー、いつだったかな……」


 きっかけを思い出すべく、雪乃は顎あたりに指を当てた。

 ゾンビが出る前の日常を想起する。


「あ、あれだ。『シャンクス』」


「『シャンクス』……? 何それ」


「覚えてない? 目のとこに3本の切り傷があるヤクザ。でっかい奴だよ、それが3本」


 雪乃は自分の片目を引っ搔くようなジェスチャーをする。

 小春は斜め上に視線をやった。


「……あ、川田組の若頭かしらの人?」


「そうそう! 名前までよく覚えてんね! いやぁ、面白いよね。漫画みたいな傷で笑っちゃった」


「……ホントに笑ってたもんね。そのあと、大変だったからよく覚えてる。大変だったから」


 当時は確か16歳。あの頃は若かったのだ。


「まぁ、それはさておきね。そいつの依頼で……誰殺したんだっけ? 覚えてないけど、ともかく標的の愛人家あいじんちに潜り込んだじゃん?」


「そうだね」


「そんで愛人ぶっ殺したあとさ、家の中をさ、散策してたらビビっと来たわけ」


「なんかあった?」


「あったよ! ピンクのベッドにピンクのランプ、ピンク尽くしの部屋が!」


 雪乃は手振りを交えながら語るも、小春は嫌な顔を浮かべていた。


「……あれに触発されたの?」


「そう。いやぁ、なんかねぇ、圧倒されたんだよね」


「あんな変態ルームに」


「違う! 変態なのは人の方で部屋とピンクに罪はないよお!」


 使用者はちゃんと雪乃がぶち殺した。ピンクの部屋=いかがわしいとする印象を増長させるやつは雪乃が許さない。


「なおのこと嫌になった、ピンクは阻止します。以上」


「へぇ、私を止められるかなー?」


 雪乃は不敵に笑った。

 小春はちょうど食べ終わり、使い終わった割りばしをポキンと折る。


「やる気?」


 小春は折った箸を手で弄びながらそう言った。


「……そういえばぁ、まだピンクにしてない壁があったねぇ!」


「乗った」


 小春が机を飛び越して、襲いかかってきたので、そこからなし崩し的に組手が始まる。いつも通り。訓練兼じゃれ合いだ。

 


 翌日、二人はかつて栄えていたであろう市街地へ繰り出した。

 デパートや商業ビルに、迷宮のような駅が広がっている。


「やっぱ、多いね」


 今となってはゾンビだらけのテーマパークだ。小春曰く、ゾンビ細胞の作る疑似脳ってのは生きていた頃の脳をベースに、生成される。だからゾンビは、生きていた頃の記憶ってのに案外影響を受ける。

 だから当然、栄えてた町はゾンビだらけとなるわけだ。

 今、雪乃達がいる荒らされまくったデパート1階ですら徘徊してる死人は少なくない。駅前の広場の方へ行けばもっと大量にいる。

 ちなみに、小春がゾンビに詳しいのは実は研究者で……というわけではない。だいたい1年前くらいの時期はまだまだ生存者がいた。多少は交流があったりするわけで、そこで色々情報を聞いたりしたのだ。

 つまるところ、雪乃も一度聞いてる話だが、全て忘れている。


 後ろを歩く小春が、雪乃の袖を小さく引いた。


「……足音。一匹来てる」


「おっけ、追い付かれそうなら殺っちゃおう」


「うん」


 二人は食糧を探していた。完全に世の中の物流が止まってから既に2年。こういう場所に残っている物も限界が見えている。

 ちゃんとした畑を耕す日も近いかもしれない。


「あっ、待って前からも来たわ」


 全く関係ないことを考えている雪乃だったが、警戒心や危機察知能力は常人のそれではない。殺し屋というのは常に敵だらけだ。それが今、雪乃達を生かしているといって過言ではない。


「……ちょっとめんどう」


「ね」


 不運にも一本道。両サイドはかつて惣菜を売ってた店と、ケーキを売ってた店で、横幅もなければ隠れてやり過ごせるスペースもない。

 小春が雪乃の後ろから前に出てきた。


「とっとと片方を二人で潰そう。後ろのやつが追い付いてきたらそっちも始末する」


 小春はそう言うと、持っていた鉄パイプを掌にパンパンと打ち付けた。


「賛成」


 雪乃はバットを軽く回して、被ってもない帽子を被り直すモーションを取る。

 ホームラン王は既に打席に立っているんだぜ、ゾンビ君。


「……」


 小春は、スッとハンドサインを出した。

 突撃。


 前方、曲がり角まで駆け抜ける。


「アァアアア!!!」


 こちらに気付き、ゾンビは吠える。

 

「げっ」「……話が違うんだけど」


「ヴァアアア 「アァアアアァア!」」


 遠吠えが2つ重なった。

 つまり2体いたのだ。


「流石に3体に挟まれたら厄介」


「じゃ、あたしの殺るわ」


 小春は雪乃の意図を察して、一度小さく頷くと、前方に駆け出した。彼女の鉄パイプは片方の先端が鋭くなっている。

 走ってきた手前のゾンビにぶん投げた。もちろん、尖っている方を。


「ギャッ」


 胸に深々と刺さり眼前の敵は、一度足を止めた。痛覚はないんだろうから、条件反射みたいなものだろう。

 微かな人間らしさが、雪乃達を助けてくれたと考えれば、結構良い話に聞こえる。


 ――顔面ぐっちゃぐちゃにすんだけどね。


「ユキ」

 

 小春がそう言って、背中を軽く丸めた。


 ――呼ばなくても、分かってますとも。


 雪乃はバットを肩に担いで駆ける。そして、馬跳びの要領で小春の背に片手を突き、大きく跳んで前線へ躍り出た。

 飛び越した勢いを丸々全部バットに乗せて、パイプの刺さったゾンビを横合いにぶっ叩く。

 こういった狭い通路での戦闘において、その必勝法は先んじて前方へ殴りこむことだ。その際、勢いがあればあるだけ良い。

 膠着する前に、切り込んでしまえば、こっちのペースに持って行ける。


「あとはよろしくぅ!」


 着地。

 手前のお邪魔虫をどかしたところで、本命の殿しんがりゾンビを仕留めにかかかる。今バットで殴った奴の頭は潰せてない。ただ、ダメージはあるので後は小春に任せる。


「あー重かった……」


 小春が後ろで、ぽつりと言葉を溢した。憎まれ口にも聞こえるが、ガチトーンにも聞こえて嫌な感じだ。


「重くないわ!」


 八つ当たり的に、ゾンビの胴体めがけて、バットを振る。


「うゲェエエエエエエエエ」


 ゾンビ君はひるまず、襲い掛かってくる。

 

「とうっ」


 カウンターでハイキック。噛まれないよう靴は鉄芯仕込みだ。

 雪乃のターンは終わらない。身体を半回転させて、腹部にソバット―—後ろ回し蹴り――を決める。

 ゾンビは非常にしぶといが、ある程度ボコせば動きは鈍るし、足腰も弱まる。雪乃は姿勢を低くして足払いを掛けた。

 足を払われ、されるがままに倒れるゾンビ。雪乃はバットを無慈悲に振り下ろす。頭はトマトみたいにブッ潰れた。


「春ちゃん、生きてるー?」


 小春の方を振り返ると、頭の潰れた奴が一体倒れていて、後ろから追いついた奴と絶賛戦闘中であった。


 ――助けてやるかな。


 ポケットから、折り畳みナイフを取り出す。ブレードを開いて、目をすがめ、狙いを定めた。

 そして、何の躊躇いもなくぶん投げる。

 小春は、背中に目があるかのように、パッと身を引いた。ゾンビの汚い顔面にナイフがクリーンヒットする。小春は、すかさず突き刺さったままのナイフを蹴り上げた。ナイフは脳天を切り裂く。続けて、小春は鉄パイプを打ち下ろし、止めを刺した。

 動く死体はばたんと倒れ、動かなくなった。


「……」


 小春は残像が見えるくらいの速さで足を振り、靴についた血を落とした。そして、雪乃の方を向き、睨みつけてくる。


「ん? 何?」


 なんだ助けてやったのに。


「……あっ」


 雪乃は腰に手を当てる。腰にはベルが付いていた。

 自転車のハンドル部についてるようなアレだ。


「へへ」


 雪乃はへらへらしながら、チリンチリンと鳴らした。


「……巻き添えにする危険があるときは鳴らしてね……って何回も言ってるけど。ナイフ、普通に危ないけど」


「当たんないじゃん。春ちゃん避けれるじゃん」


「当たったら困るでしょ」


「ちっちゃいし」


「関係ない。とにかく、鳴らす」


「えー、めんどく――」


「わかった?」


 チリンチリン。


「それで返事しない」


 ちりん……。


 その後、ゾンビとの戦闘を何度も挟みつつ、一日中市街を駆け回った。




「結局、こんだけかぁ」


 1日中探し回ったが、食べられそうなのは、缶詰3つとビスケットの缶が1つだけだった。あとは、植物の種があったくらいだ。

 二人は日が暮れる前に拠点へと戻った。夜は真っ暗だ。ゾンビ自体は昼に比べるとおとなしいのだが、それを差し引いても夜の探索はリスクが高い。


「……」


 小春は、戦利品を黙ってみていた。


「まぁ、見つかっただけいい方だね。切り替えてこー」


 雪乃はそう言って笑った。


「……そうだね」


「何? 春ちゃん不服? 貪欲ぅー」


 雪乃は茶化すが、反応はない。どうにも様子がおかしかった。


「……いつまで続くのかな」


 小春がポツリと溢した。


「何が?」


「この生活」


「えー、うーん……」


「もう半年も人見てないよ。仮にゾンビを殺し尽くしても、人間が残ってなきゃ人類はきっと終わり」


 小春にしてはわかりやすく弱音を吐いた。最近だと結構珍しい。サバイバル生活初期はこんな日は珍しくなかったけど。

 めんどくさいっちゃあ、めんどくさいけど、別に大した事でもない。


「案外、私たちが最後の二人なのかもねぇ」


「じゃあ、なお終わり」


「いいじゃん、ろまんちっくで。最後の人類って響きがいいよね」


 小春はため息を付いた。多分このため息は自分達の置かれた状況に対してというより、雪乃の楽観さに対してだ。


「私達二人じゃ人類の増えようがない」


「……試してみるー? 増えるかもよー」


 雪乃が指先をうねうね動かしながら、小春に近づくと、恐ろしい早さで手をひっぱたかれた。


「……バカなの?」


 雪乃ははたかれた手をヒラヒラさせた。


「まー実際、食料探しながら色んなとこを回って、イチャイチャする生活はそろそろ厳しいかもねぇ」


「イチャイチャはしてない」


「……あ、そうだ。あれ、農業やってみる? 今やってるような、ちょっとしたのじゃなくて、もっとガッツリ」


「……ユキ、サボるでしょ」


「絶対やるやる」


「……アンディの時もそう言ってた」


 アンディとは、世の中がまともだった頃二人で飼っていた犬だ。


「えー、私、結構散歩とか連れていってた気がするけどなぁ」


「ユキ、7分の2は何%かわかる?」


「何いきなり」


 7の半分は3くらいだから、50%より小さい。40%くらいか。


「正解は28%強。ユキが一週間のうちアンディを散歩させた日の割合」


 雪乃は腕を組んで「そうかそうか」と言わんばかりに首を縦に二回振った。


「28パーね……。確かに少ない。でもでもー、アルコールで考えたらぁ?」


「酒瓶でぶん殴るよ」


 小春はため息を再びついてから、呆れて笑った。

 最後は、二人へらへら笑いながら、ベットに入るまでダラダラとしゃべり続けた。



「……」


 深夜2時。正確じゃないかもしれないけれど、きっとそんな時間だ。

 小春は寝付けずにいた。ベットの上で片膝を立ててうずくまる。


 本来は一番仕事をしていた時間。仕事をしてなくても、夜更かして映画をみたり、ゲームしたりしてた時間。

 もうその明るさは、この世界には存在しない。

 太陽が沈めば、闇が訪れる。先の見えない真っ暗闇が。


 ――……耐えられない。


 この暗黒が。あまりにも苦痛だった。

 毎晩毎晩、寝付けない。不安と絶望が押し寄せて、独りぼっちになったような気がして。


 昼は平気なのだ。なぜか昼は平気。


 だが、夜になると不安で仕方がない。人格が変わったみたいに弱くなってしまう。心までもじわじわと闇に侵されている気がしてならない。


 生き残ったってどうにもならないのに。この人生も世界もきっともう好転しない。絶望を延々と横ばいで歩み続ける。

 何の意味があるんだろう。抗うことにどんな意味があるんだろう。


「ふぅ……」


 息を一つついた。ベットのシーツをぐしゃっと掴む。

 静寂。

 微かに聞こえるのは、雪乃の小さな寝息だけだ。雪乃は昔から意外と寝相が良い。寝言も言わないし、死んだように眠る女だった。


 ――そこだけは大嫌い。


 きっと小春が今も生きているのは、雪乃がいるからだ。


 キラキラしてて、騒がしいやつがいるから、見たくもないものを視ず、沈黙に怯えずに済んでいる。だから、昼間は強くいられる。

 しかし、彼女が寝静まればすぐに恐怖はやってきて小春を苦しめる。雪乃はこんなに近くにいるのに、孤独という言葉が頭を離れない。


 きっと、太陽の下でしか小春は生きられない。


 ――結局、私の世界はユキ中心に回ってる。


 そう思う。昼間、小春が正常にふるまい、動けているのは雪乃がそばにいて、雪乃の声がするからだ。


 でも、今日は日中ですら漏れ出て・・・・しまった。雪乃を覆い隠すように、内から真っ黒に塗りつぶされていく。

 今回はすぐに消えてくれたけれど。


 ――限界なのかな。


 この先、小春は小春でいられるだろうか。ゾンビになる前に、自分を失うのは嫌だ。でも、旅は続けたい。

 雪乃と居たい。

 

 ――本当に?

 

 疑問が湧く。

 旅を続けたいのか。それとも続いているだけか。

 頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。

 ユキ。ねぇユキ。


 ――……ユキは強いよね。


 もしも、雪乃が死んでしまったらすぐに自分の命を絶つだろう。そんな確信があった。

 じゃあ、雪乃はどうだろう。聞くことはできない。

 でもわかる。きっと、彼女は平気だ。悲しいと感じるけど、生きていける。冷たいとかじゃなくて、根底で小春とは別の生き物なんだと思う。

 だからこそ、他の人を照らす余裕が生まれるんだ。だから小春はその灯りに縋れるのだ。


 気づくと小春を舟をこいでいた。恐怖が眠気に押しつぶされていく。


「……おやすみ」


 小春はもう一度布団を被り、雪乃の手を握った。


「……いつもありがとう、ユキ」


 小さくつぶやき、手を放す。

 手を握ったまま寝たら、明日は一日中、雪乃にからかわれること間違いなしだ。

 睡魔に身を任せる。嫌な気持ちが和らいでいく。

 

 ――明日も楽しく生きれますように。






 その願いは叶わなかった。

 




 小春の心に巣食う闇は既に大きなものになっていた。


「ユキ」


 その闇は深淵に向かって彼女の足を引っ張るかのように。


「おかえり、春ちゃ――」

 



「――噛まれた」




 ただの『当番』だった。何も変わらぬ、何度も繰り返してきた日常。


 小春の動きが一瞬遅れただけだった。その「一瞬」は通常の小春では考えられないミス。

 負の感情がここ一番でせりあがった。死にたかったわけでも、自殺を考えていたわけでもない。ただ、「闇」に足をすくわれた。


 それだけでこの世界は冷酷に死を与える。


「は……?」


「ごめん」


 雪乃は目を丸くさせて、ただ小春の腕に付いた歯型を見ていた。


「バカ……じゃん」


「うん」


「……愚図」


「ごめん」


 小春は、淡々と自分の服のボタンに指を掛けた。上から順に外していく。


「……何脱いでんの? 誰も……期待してないけど? 春ちゃんのヌードとか……へへ……」


 雪乃の笑みは誰がみても無理やり作られたものだった。


「……服、汚したらもったいないでしょ」


「……は」


 雪乃は言葉を詰まらせた様子で何も言わなかった。

 

 この服は小春にはもう必要ない。きっと自分の血・・・・で汚してしまう。

 雪乃のサイズには合わないから、着れないだろうが、きっと使い道はある。

 

「……あーもう」


 雪乃はやっと口を開いたが、絞り出すような声しか出ていなかった。


「……ほんとバカ」


「だからごめん」


「ごめんじゃないって。マジで。ねぇ。……はぁ? あり得ない、バカじゃん、マジで」


「……ごめん」


 雪乃は顔を歪めた。


「……言い返せよ……」


 雪乃の声にはもういつもの明るさはない。


「言い返してよ……」


 そして、雪乃は頭を抱えて、黙り込んだ。

 小春は、ただ雪乃を見つめた。


 ――何やってんだろうね。……ほんと、私は。


 小春は不思議と冷静だった。噛まれた時も「あっ」と思っただけで、そのままそいつの頭を正確に潰して、帰ってきた。


 きっと、できていたんだ。


「自決する」


 死ぬ準備が。


 それを受け入れる心の準備が。


 きっと、ずっと前から。


 ――私が先で良かった。


 そんなことすら思っている自分がいた。


「……どうやって?」


 雪乃が顔を伏せたまま、重々しく口を開いた。


「屋根まで昇って飛び降りるよ。ちゃんと頭からいけば大丈夫だと思う。あんまり時間もないから」


「……」


 ここから小春の自我は消えていく一方だ。雪乃に迷惑をかけられない。雪乃のことがわかるうちに命を絶ちたかった。

 2階の窓から出れば、屋根まできっと早いだろう。

 小春は二階へ続く階段へ足を伸ばす。


「……いいよ」


 雪乃が顔をあげた。




「――私がやる」




 雪乃の目には涙が浮かんでいた。声もいつも通りを維持しようとしているんだろうが、震えているのがわかる。

 小春と雪乃の間に沈黙が流れ、小春はやがて口を開いた。


「……ユキに……できるの?」


「……できるよ」


 小春は雪乃を見続ける。


「……だって殺し屋でしょ? 私達」


 雪乃の目と小春の目がピタリと合った。

 

「……そうだね」


「それに……きっと、飛び降りだと痛いよ」


 ――優しいんだよ、ユキは。


 雪乃とって、それはきっと辛いことだ。それでも、彼女はやると言った。

 静かに雪乃は立ち上がり、机に置いてあるハンドガンを手に取った。


「ありがとう」


「……いいよ」


 小春は、なぜか。

 なぜか不思議と安心感を覚えた。

 死ぬのに。殺されてしまうのに。


 ――ユキ。


 なぜだろうか。


「外……出よっか」

 

 小春がそう言う。しかし、


「いいよ。ここで」


 雪乃はそう言うと、銃の安全装置を外し、その場で静かに構えた。


「いいの? 汚しちゃうよ?」


「いいよ。……拠点、変えるつもりだから」


「そっか」


 小春は、雪乃に背を向けた。


「……あとで、頭も潰すんだよ?」


「わかってるって」


 これ以上、雪乃の顔はみたくなかったからだ。「見れない」が正しいかもしれない。


 もう6年近くになる。出会ってから。どこの誰よりも一緒にいた人。

 雪乃。小春の大切な人だ。


「……弾。もったいなくない?」


「……春ちゃんは、……貧乏性だなぁ。……ほんと……」



 小春は手を、頭の上にあげる。



「じゃあね、ユキ」


「……バイバイ、春ちゃん」


 銃声が鳴り響き、その後、嗚咽だけが世界に響いていた。 



 雪乃は、靴ひもを結び、荷物を背負った。リュックには、無造作に鉄パイプが刺さっていて、尖った先端がリュックの先から飛びている。

 雪乃はハンドガンを後ろで、スカートと腰の間に挟んだ。一個だけあった手榴弾も腰につけた。

 そして、バットを手にする。


「……」


 雪乃はぐちゃぐちゃになった・・・・・・・・・・拠点を後にした。


 目指すは昨日行った市街地だ。

 この拠点へ帰るつもりはもうない。


「いってくるよ、春ちゃん」


 ――市街地にいるゾンビを皆殺しにする。


 一匹足りとも残さない。

 全部殺す。一辺残さず殺し尽くす。

 何匹相手にしようと構わない。全て、全て、全て。


 そこに意味はない。

 小春を噛んだゾンビは、本人によって既に殺されていた。鉄パイプの殴打により破壊された頭部から、それはわかる。

 故に、今から雪乃が行うことは復讐ではない。

 小春の死を受けて、不特定多数のゾンビを殺して、報いるとかそういう意図もない。一人になった今、世界を変えるため、ゾンビを全て倒すとかそういうのもない。


 小春が死んだ今、全ては無意味だ。

 目的や、目標や、生への執着は失われた。

 雪乃の行動に意味は必要ない。


 雪乃の性格は、自死を選ばせない。よぎりはせども、選択肢には入らない。小春のように最善を選ぶことなどはできないのだ。

 彼女は、頭が悪い。

 中途半端に諦めが悪かったのだ。


 だから、「諦め」を得るため戦うのだ。

 雪乃の本心は、「諦めざるを得ない状況」を欲していた。


 これは、ただの婉曲的な自殺であるといって過言ではない。

 雪乃はどこかそれをわかっていたが、認めはしない。

 ゾンビを殺すことで何かが変わるような気がした、そういう建前で身を投げる。


 扉を開けた。

 外には終わった世界がどこまでも続いていた。


 歩き、歩き、歩く。バットを引きずる音と、バックの中で鉄パイプが缶詰にぶつかって起こる小さな金属音だけが響いてた。果たして雪乃は、バックの中に入れた食料へ手を出すことはあるのか。それはわからなかった。

 ただ、情動に任せている。


「アァァアァァアアアアァ」


 気づけば、雪乃は市街地へたどり着き、ゾンビは既に彼女を標的に選んでいた。

 ゾンビは、雪乃に走って近づく。30m弱の距離はすぐに詰まり、5mを切った。雪乃は茫然と立ち尽くすのみ。バットの先端は地面を向き、彼女自身は、薄暗い空を見上げる。ゾンビは全くの躊躇なく、迫りくる。


 4m。3m。2.5m。2m。1.8m。1.5m。1.3――


 雪乃は、恐るべき速度でバットを振るった。バットを持ち上げ、上から下に振りぬく。日々の積み重ねにより、身体の芯まで染みついた動作。頭のてっぺんから頭蓋を粉砕し、顔面を陥没させるほどの威力を持った叩き下ろしを受け、ゾンビは倒れる。

 雪乃は服に付いた返り血をものともせず、バットを持ち上げた。先端にはゾンビの体液がべっとりと付いている。軽く振って、血を落とした。それから、雪乃は躊躇いもなく、倒れたゾンビの後襟を掴んだ。

 雪乃はゾンビを引き摺って歩き始める。雪乃の後ろにはゾンビの血が線となっていた。ざりざりという音を引き連れ、雪乃は更に中心部、駅前の広場を目指す。

 ゾンビはきっと大量にいる。ここの比にならないほどいる。

 奴らのうめき声が徐々に大きく聞こえ始めた。


 広場にはざっと見る限り、8体はいた。地面を引き摺るような不快な音を立てる雪乃に奴らはすぐ気づく。


 雪乃は、先ほど殺したゾンビを投げた。


「掛かって来いよ」


 リュックから小春の鉄パイプを引き抜き、一体の頭へ投げつける。


「一匹残らず殺してやるから」


 ゾンビは大きな声をあげて、駆けだす。この声で、更にゾンビは集まることだろう。

 

「死ぬまで付き合ってやる」


 雪乃は駆けだした。



 2時間18分経過。

 雪乃は汗ばみ、息を切らしながらバットを振り、鉄パイプで切り裂き、殴打し続ける。


「足んねぇよ」


 当たりに転がる頭部を破壊された屍は34体を記録した。

 がむしゃらかつ、後先を考えぬ雪乃の戦い方は、ゾンビの返り血に遠慮する素振りを一切みせなかった。頬にも血が付くありさまで、いつ感染してもおかしくはない。

 汗をぬぐい、唾を吐く。


「殺してみろよ。なぁ? おい」


 バットをガンと地面にたたきつけた。


「一人なんだよなぁ! こっちはさぁ!」


 しかし、その無骨な戦い方がゾンビに反撃の機会を与えなかった。もはや、一方的な殺戮と呼べる。

 時折、笑みすら見せながら、戦い続けた。ゾンビは仲間を呼び続け、いなくなることはない。とうとう35体目を叩き潰す。


 そして、雪乃の視界の端で36体目が生まれた・・・・・・・・・


「……へぇ」


 ワンサイドゲームに、影が差す。

 何者かに食いちぎられたゾンビが雪乃の元に飛んできた。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 投げた主は、驚くほど大きかった。

 身長は3mほど。ガタイも人間の頃のそれじゃない。


 それだけにとどまらず、


「ッ……!」


 その巨体とは思えぬスピード。10mはあった距離が一瞬にして溶け、雪乃に向かって突進してきたのだ。

 バットを盾に、受け――

 雪乃は、跳ね飛ばされた。約1mは身体が浮いて、地面にたたきつけられた。その後、ゴロゴロと転がった。受け身は最低限しか取れず、全身が痛む。


「……へへっ……」


 ヘラヘラ笑いながらバットを杖にして立ち上がる。


「いいね……」


 腕を擦りむいていた。ポケットから小春の服の切れ端を取り、腕に巻いた。なけなしの感染対策だ。


「心折れそうだわ」


 巻いた布で顎についた汗を拭きとる。微かに、小春の匂いがした。


 ――良い気付けになったわ。ありがと春ちゃん。


 今は、もう言い返してくる相棒はいない。


 バットを地面にたたきつけ、口の中の血を吐き捨てる。

 雪乃の諦めは悪い。雪乃の身体はまだ動くし、体力もあるし、感染もしていない。まだ戦える。この強敵に挑む理由はそれだけで十分だ。


 雪乃は巨体のゾンビへ駆けだした。

 ゾンビは大振りで殴りかかった。するりとそれを躱し、バットを膝に叩き込む。


かったっ……!」


 逆に雪乃の手がじーんとなった。巨木を叩いているかのような手ごたえのなさ。

 バットを地面に立て、身体を浮かし両足蹴り。ダメージはないが、蹴った反作用を利用していったん距離を取る。一度、腰につけた手榴弾を触った。


 ――避けられそうだし、この距離じゃ、道連れか。


 選択肢から消す。

 その思考の末、一つの結論にたどり着く。


 次の瞬間、大きな銃声がなった。


「ガァアアアア」


 雪乃はハンドガンを引き抜いていた。炸裂したのはゾンビの右目である。頭に打ち込めば多少動きは鈍るだろうが完全に殺せるわけではない。故に、視界を奪ったのだ。

 続いて、足を撃った。

 ゾンビは軽くよろめくも、雪乃に向かい進んでくる。


「ヴェァアアアアアアアア」


 雪乃は、ゾンビの左側へ踏み込んだ。片目の死角を攻める。ゾンビは消えた雪乃を、がむしゃらに攻撃しようと腕を振った。

 そして。

 あろうことか、雪乃はバットを投げ、跳んだ。


 雪乃ははっきり言って自暴自棄になっている。そんな感情が彼女にそれ・・を選ばせた。ゾンビという、接触が最大のタブーの相手。

 仮にそれが最善だとしても選ぶのは愚策でしかないだろう。


 ゾンビの伸びた片腕に雪乃は飛びつき、体重を掛けた。


 ――関節技サブミッションである。


 片足を撃ち抜かれ、不安定な体は、後方へよろめく。雪乃は腕ごと地面へ向かって倒れ始めた。

 既に、雪乃の腕ひしぎ逆十字は完璧に極まっている。

 重力による負荷が加わり、地面へ倒れた瞬間にゾンビの腕は綺麗に叩き折れた。ゾンビは、足に噛みつこうと藻掻いていたが、鉄芯入りの靴で鼻先をガツンと踏みつけてやる。

 雪乃は後転しつつ、起き上がり、ゾンビから離れ、バットを再び手にした。

 ゾンビも立とうとするものの、片腕はお釈迦、片足に力も入らない。加えて視界に雪乃を捉えることもできていない。雪乃はもう左側へ回っていたからだ。

 死角から雪乃はバットで頭を殴りつけた。血が飛ぶ。一心不乱に頭部を滅多打ちにした。5度目でゾンビはガクンと崩れ、地面に倒れ伏した。


「はぁはぁ……」


 バットを地面に付き、身体を支え呼吸を整える。

 幸いと言うべきか、不幸にもと言うべきか、自身の身体に異常はない。感染初期に感じる悪寒もない。

 雪乃はほぼ無傷だった。

 もちろん、体力は消耗している。ぜえぜえと息を吐いた。


 しかし、今の雪乃は冴えている。

 背後から、気配を感じた。新手だ。


 死線を潜り抜け、感覚が鋭く研ぎ澄まされている。身体は万全な動きをできるコンディション。加えて、未だ感染をしていない運のツキ。

 あの巨体以上。今の雪乃がただのゾンビに殺される可能性は限りなく低い。

 それを雪乃はわかっていた。


 ――ほんとにゾンビ、全部殺せんじゃねぇの? この調子なら。


 日が暮れて、ゾンビが減るまで雪乃は戦い続けるだろう。そして、それができるだろう確信もあった。再びバットを持ち上げる。

 ゾンビは、背後10mってとこにいる。今の雪乃の勘が外れることはまずない。


 振り向き、構える。




「あっ」




 ゾンビをみて、硬直し、距離を詰められ。


「ははっ……」


 乾いた笑いしかでなかった。

 襲われ、肩をわしづかみにされ。


春ちゃん・・・・


 噛まれ。


「あーあ」


 押し倒された。




 ――そのゾンビは小春だった。




 既に自我をなくした小春は、首筋に深く歯を食い込ませる。


 『あとで、頭も潰すんだよ?』


 痛みに襲われる中、小春のそんな言葉を反芻する。

 雪乃は、苦笑いをした。




 ――無理だったんだよ、春ちゃん。




 雪乃は、小春の頭を潰さなかった。


 ――どうしても、無理だったんだ。


 否、潰せなかった。

 何度も、バットを持ち上げては、止めて、気づけば前が見えないほどに涙があふれて、それを繰り返した。

 そして、雪乃は。


「……諦めちゃった」


 結局小春をそのままにして、拠点を出た。結果がこれだ。


「バカみたいだね、私」


 ゾンビになった小春の頭に触れる。

 

 ――ダメだなぁ。


 雪乃はもう諦めていた・・・・・

 自分を組み伏せる小春は、もう知っている小春ではない。わかっている。


 ――……一生かかっても無理だろうなぁ。春ちゃんの頭を潰すのは。


 無数のゾンビに囲まれて、バカでかい奴と戦って、それでも諦めに到達できなかった雪乃の心が、今ストンと落ちてしまった。

 実に馬鹿馬鹿しい限りだ。小春は雪乃のために死んでくれたのに、せっかく運よく感染を免れ続けたのに、小春ゾンビにいともたやすくやられてしまった。


 どこまで行っても小春、小春、小春。

 いつもそばにいて、雪乃の人生に幕を閉じたのも彼女だ。


 ――私の世界って、案外春ちゃんを中心に回ってたんだなぁ。


 まあ、悪くないか。


 意識が途切れそうだ。

 雪乃がゾンビになれば、また小春とこの世界を彷徨い続けるんだろうか。きっとそうだろう。小春は、人を辞めても雪乃を追っかけてきた。きっとそうだ。死んでも一緒だ。




『あたしは雪乃!』




 小春はガツガツと雪乃に噛みつき続ける。

 

「まったく……こんな下品になっちゃって」





『ユキって呼んで!』

 

『小春です。よろしく、雪乃さん・・・・





 ゾンビになった小春はやっぱり小春じゃない。頭は潰せないけど、やっぱり違う。

 

 ――このまま、ゾンビになって二人仲良く人を放浪するのもちょっといいなって思ったけど、それはなんか違うね。


 微かな意識を手繰り寄せ、手榴弾に手を伸ばす。


「……今までありがとね、春ちゃん」


 もう片方の手で、冷たくなった小春の手を握った。




『うん、よろしく! 春ちゃん!』


『……春ちゃんってなんですか? やめてください』




 ピンを抜く。




『えーいいじゃん、かわいくて』


『子供扱いしないで……ください。同い年です』




 ――春ちゃん。


 雪乃は、目を閉じる。



 ――私達の世界たびはここで終わり。



 変わり果てた小春の頭を撫で、手榴弾を上空へ放った。

 そして、腰のベルを2回鳴らした。


 ――だから、ユキ。いつも、遅いんだって。


 そんな声が聞こえた気がした。

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ダブルアサシン:エンドワールド ゆにろく @shunshun415

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