愚か者見聞録

藤崎愚淋

第1話 カタツムリ

───これは私が日々を生き抜く中で目にした美しいものや可愛らしいものを書き起こすための、いわば電子化された日記帳のようなものである。



五月三十一日。

 雲はどんよりと重く垂れ込めている。

 灰色の空からびゅうびゅうと強い風がやって来て、入り組んだ城下町の隙間を通り抜けていく。


 私は毘沙門橋びしゃもんばしというしみったれた小さな橋の上を歩いていた。

 顔面に容赦なく迫る強風は雨の気配を孕んでいる。

 ざわざわと木々の葉が擦れる音が胸騒ぎを呼び起こす、そんな不気味な天気だった。私は橋を渡りながら、森見登美彦もりみとみひこの作品の一部を思い出していた。

 

「黒雲が大きな獣のように夏空を走って、乾いた街路が沈んでゆくようにかげると、果実のような甘い匂いがあたりを満たす。最初の一滴はまだ落ちない。そんなときに街中を歩いていると、わくわくと身体が震えるような気がした。」

(きつねのはなし/森見登美彦)


 今はまさに「最初の一滴はまだ落ちない」といった具合の空模様であった。


 昨夜の雨で濡れた欄干には、半透明の殻を背負ったカタツムリがくっついている。カタツムリというのは本当に奇妙な生き物だ。ナメクジと並ぶくらい奇妙でぬらぬらした生き物である。彼らはヤドカリと違い、生まれた時からこのぐるぐると渦巻く殻を持っている。常に隠れみのとなる殻と共に有り、隠れたい時に隠れられるのはなんとも羨ましく感じられた。


 私はいつかの雨上がりの日、カタツムリを誤って踏み潰してしまったことがある。その道は雨が降ると必ずと言っていいほどカタツムリの大群が現れ、それらを全て避けて通るのは至難の技であった。

 その時はひどく落ち込んだものだ。しかし同時に、こうして自分の意志に反して小さな命を奪ってしまった場合に、いろいろと思慮に耽るのは人間だけなのだろうなとも考えた。


 例えばジャングルの虎が小さな虫を踏み潰してしまった場合、それを気に留めるだろうか?アフリカゾウがネズミを踏み潰した場合、気に病むことはあるのだろうか?答えは否だ。彼らは生きることに精一杯で、自分より遥かに小さく弱い者を気にかける余裕もなければ、それを認識し内省する頭脳も持ち合わせていない。私は生き物を殺してしまった時、そう考えることで自分を慰めた。


「虎やライオンだって日々いろんな虫を踏み潰しているだろう。彼らのように堂々と振る舞おう」と。


 阿呆らしい話だが、私は希代の小心者であり臆病者であるので、己のメンタルケアに余念がない。定期的に自身を慰めてやらねば、くたびれたはんぺんのようにぺしゃんこになることは想像に難くない。


 この体験を通して当初私が言いたかったことはもはや私自身覚えていないが、とにかく生き物は沢山の命の上に成り立っているということである。

 今私が立っている足下にも、そしてこれを読んでいるあなたの足下にも、無数の生物の命が積み重なって今がある。そう考えるととても不思議な心地がしませんかね?


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