世界で一番残酷な夢(7)

 昨日の夜のこと、です。

 わたしは兄さん達と、お母さんを待っていました。お母さん、お仕事で遅い日だったから、夜はわたし達だけだったんです。


 そこへやって来たのが、あのひとでした。


 さっきここにいたひとに、よく似てて。でも、きっと違うひとだと、思います。昨日うちに来たあのひとはもっとずっと、とっても、怖かったんです。


 あのひとがうちを訪ねてきたとき、最初はきれいなひとだなって、思いました。甘い声に、白くて細い手足で、まるでお姫様みたいで。

 寒そうで、かわいそうだったから、兄さん達はあのひとに、あったかい毛布とか、お茶とか、いろいろ渡してあげてました。


 わたし達とは違う、ヒトなのに、兄さん達はあのひとに、夢中で。どうせ亜人なんて相手にされないのに、兄さん達はあのひとと仲良しになろうって、ちやほやしてて。わたし、ほったらかしにされて、つまらなくって。

 それで、ひとりで時計の中にいたんです。兄さん達には入れない、お気に入りの場所。けんかとかしたら、いつもそこにいたから。


 お母さんのとっておきのハーブティーの香りがしていました。優しい香りに包まれて、わたし、知らない間に寝ちゃってて。

 でも、悲鳴が、きこえてきて。兄さんの中の誰かのものだったから、怖くて。

 時計の中からそっとのぞいたら、あのひとが。あのひとが兄さん達と、それから、帰ってきた、お母さんを……。


   ◎


 ナナはまた泣きじゃくり始め、そこから先は言葉になってはいなかった。アンは心配そうに寄り添う。内容はよく理解できてはいないが、ナナが怖い思いをしたことは分かる。

 ロックは二人を連れ、妃が向かったのとは逆の方向にある大木のうろの中にそっと匿った。今は休んだ方がいい。


 Aは話を聞き終え、Qに視線を送った。何を言わんとしているか、その瞳が物語っている。

「Qちゃん、今の話……」

 先刻Qが口にした童話のタイトル、『狼と七匹の仔やぎ』。ナナの語る内容はまるでそれをなぞったかのようだった。


 同時にQは、惨状を目にしたAが最初に呟いた言葉について考える。森で迷った白雪姫を迎えた住人、とくればまず連想するものだ。


「七匹の……いや、『七人の小人』……」


 この符合は偶然か。それにしてはまるでおとぎ話そのままだ。小さな家の住人達。突然の来客。七という数。

 そして、妃の言葉を思い出す。彼女は言った。白雪姫はただの獣である、と。


 Qは己の仮説を確かめるべく、傍に立っていたポリッシュに声を掛けた。

「ちょっといいか」

「はい。いかがなさいましたか?」

「さっき、あんたの主人が言っていた話について確かめたいことがある」

「と、言いますと?」

「——白雪姫。あの子は元々、なのか?」


 白雪姫が獣だというのなら。

 具体的には、もし彼女がとイコールであれば。それはすなわち二つの童話を繋ぐことにならないだろうか。

 そう、Qは考えた。


 ポリッシュはその指摘に僅かに眉を上げて言う。

「……おや、お気付きでしたか」

「ってことはやっぱりそうなんだな」

「ええ。そちらの赤いお召し物の狩人様もお察しのようですが、いやはや皆様の慧眼には感服いたします」

 拍手こそしないが、ポリッシュは大げさに褒め称えてみせる。

「白雪姫様のあの姿は、魔法使いに与えられた仮りそめのもの。我々と同じく擬人なのです」


 ポリッシュの話を横で聞いていた赤ずきんは頷く。やはり、ただの少女ではなかったのだ。ヒトのようでいて、纏う気配はまるで彼のよく知る獣そのもの。

 オオカミやイヌの亜人、あるいはそれに類する何か。そんなものではない。これまでに知る亜人達は、特殊な境遇の者を含めても人に属するものだった。とは違う。


「しかしながら、それがどうかしましたでしょうか?」

 訊ねるポリッシュに対しQは言い淀んだ。気になったから聞いてみただけだ、とはなんとなく言いづらい。それが分かったところでこの事態を収拾することが出来るわけではない、が。


「白雪姫を止めるヒントが見つかる……かもしれない」

 明言していいものなのか。そう悩みつつもQは思い付くことがあり、赤ずきんに声をかけた。


「さっき、最初にあんたと会った時に白雪姫は妙に荒ぶっていた。怒っているというより、苦しんでいるような。森で俺が見かけた時はあんな様子じゃなかったのに」

「だから何だよ」

「詳しく状況が聞きたいんだ。どうしてあんな風になったのか心当たりはあるか」

「分からねえな。あいつ、俺が酒飲んでたら突然襲ってきやがったんだ」


 確かにあの時、赤ずきんは手に酒瓶を持っていた。割れていたしあんな状況下ではラベルまでは読めなかったが、赤ずきんの言葉でQにはそれが何だったのか予想がついた。

「酒って、もしかしてシードルか」

「そうだ。それがどうした?」

「だと思っただけだ。やっぱりな」


 一人で勝手に納得している様子のQの袖を引き、Aはその顔を見上げる。

「シードルって何なの」

「ああ、聞いたらおまえも納得するぞ。シードルっていうのはの酒だ」


 Aもそれを聞き、Qが何を言いたいのかを理解する。まるで物語と同じ。白雪姫と林檎という要素が揃った。

「じゃあ、白雪姫があの時暴れていたのは林檎のせいだっていうの?」

「だとしたら納得がいかないか。さっきのナナの話にもハーブティーが出てきた。この辺りには林檎の果樹園があったし、ハーブティーに林檎が使われていた可能性はある」

「でも、なんで? お話の中の『白雪姫』は確かに林檎を食べて、ああなっちゃう……けど。でも今回は違うよ。だってそのシードルってものにもハーブティーにも、別に悪いものなんて入っていないんでしょう?」


 童話における『白雪姫』、その中で林檎が果たす役割を知らぬ者は少ないだろう。当然Aも、毒林檎を食べた白雪姫がどうなったか知っている。

 だからこそ、誰も毒を盛ったと思えない状況で林檎そのものが彼女の身体に害をなしたとは考えにくかった。


「もし物語のとおりなら、悪いことをした人は決まってる。でも……あの人はとっても白雪姫を心配してるんだよ?」

 近くにポリッシュがいる手前、AはQにだけ聞こえるようにこっそりと言った。名を出さずとも妃のことを言っているのだと分かる。

 確かにQも同様に、妃のことを残酷な人間だとは思えなかった。また仮にそれが偽りの姿であったとしても、やはりどうやって赤ずきんの酒瓶等に毒を盛ったのかは謎のままだ。


 しかし林檎が何かの理由で攻撃衝動の引き金になったのでは、と考えると辻褄は合う。Qはその説を補強する材料を探すべく、ポリッシュの方に向き直った。

「白雪姫が過去、林檎を食べて何かしらの反応を示したことはあるか?」

「さて、林檎はお召し上がりになったことがありませんので分かりかねます。ただ、お妃様が以前に林檎を勧めた際は見向きもしないどころか部屋を出て行かれたので、お嫌いだったかと言われましたらそうなのかもしれません」

「他に苦手だったものは?」

「ありますよ」

 ない、との答えを期待していたQを裏切り、ポリッシュは続けた。


「白雪姫様は好き嫌いが激しいお方でして、苦手なものでしたら多々ございます」

「……具体的には」

「まず、お妃様の義母上様が愛されていた薔薇園。それから庭師達が戯れに育てております菜園もお好きではないようで、決してお近付きになりませんね」

「菜園? そこには林檎は?」

「ございません。現状はあくまで小さな菜園でして、樹木を栽培できるほどの規模ではありませんから。それにお妃様は林檎に関してはこだわりのあるお方ですからね、それ専門の者が育てた品しかお口になさいません」

「そうか。ちなみに菜園には何があるんだ」

「今は寒いのでほとんど何も。ですが暖かくなれば、秋に植えた果実や野菜が芽吹くかと。たとえば苺ですとか」

「苺……」


 白雪姫の苦手なもの。林檎、薔薇、苺。

 それらを聞いてはっとする。無関係に見えて、それらに共通する事項。それをQは知っていた。


「全部バラ科だ」

「えっ?」

「林檎や苺は分類上バラ科に属する。見た目は違うが仲間ってことだ」

「そう……なの?」

「ああ。バラ科植物のアレルギーってやつがあってな、実際に知り合いもいる。勤め先のカフェの常連とか、友人の身内もそうだったし」


 Qは言いながら気付いた。

 彼の知る人間達と同じ症状が出ているわけではないが、もしこの白雪姫にもバラ科アレルギーのようなものがあったなら。それであれば何もせずとも、林檎を摂取しただけでそれが毒となるのも分かる。

 物語には悪役となる悪い義母がいたが、ここには白雪姫を殺そうとする者はいなかったのではないか——いや、現状の被害を考えれば、むしろ白雪姫こそが悪役だとすら言える。


 この場合、誰に味方をすればいい?


 幼いヤギの亜人、つまり仔やぎともとれるナナは童話と同じ方法で狼から逃れた。それならば、白雪姫に林檎を食べさせればどうなるか。自ずと結果は分かる。

 救うのではなく殺す為の方法。それを告げて、どうしようというのか。


 言葉を続けることを躊躇するQを前に、口を開いたのは赤ずきんだった。

「なるほど。つまり林檎だか薔薇だかを食わせりゃ、あの人狼を仕留められるんだな?」


 Qは赤ずきんの発言を否定することができなかった。嘘をつくことはいかなる理由でも良いことではない。そうロックが言っていたことを思い出したからだ。かといって、それを支援するのも憚られる。


 なぜなら。従者の男を伴って、白いドレスの少女が顔を出したからである。


「——話は聞きました。ポリッシュを通して、ディムから何もかも」

 Qはばつが悪そうに妃から目を逸らした。はっきりと彼女の義娘に対しての殺意を口にしたのは赤ずきんだが、Qは決して無関係だとは言えない。


 妃は白雪姫をどうしたいのだろう。さらに言えば、どうするつもりなのだろうか。

 家族として受け入れるのか、はたまたナナの話を聞いて罰する気なのか。それなら、彼女への罰とは何なのか。


 Qは妃の判断を待った。

 それがずるいことだとは理解していたが、同時に部外者の自分が口を挟むべきではないとも思った。Aもおそらく同じように悩んでいるのだろう。やはり沈黙を保っていた。


 その空気に耐えかねたのは赤ずきんだ。見るからに不機嫌に、苛立ちを隠そうともしない。

「オマエら何を悩んでやがる。あの家の中を忘れたのか? 奴には人の心なんてありゃしねえ、ただの獣なんだよ! このまま野放しにしてみろ、死体が増えるだけに決まってる」


 一同に背を向け、森の中へ戻ろうと赤い上着を翻す。その端を掴めるほどに近付いて、妃は問うた。

「どこへ行こうというの」

「決まってる、武器を探すんだよ。今の時期に薔薇なんざ咲いてないだろうが、林檎はあるんだろ。そこの金髪の男の話が正しけりゃな」


「林檎っすか?」


 赤ずきんの台詞に応えたのは、少女達を寝かしつけて輪に戻ってきたロックだった。外套の側部に手を差し込む。

「それなら、一つはここに」

「あ」

 手にした小ぶりな赤色に、Qの記憶が蘇る。

 そうだ。確かロックは果樹園で林檎をポケットにしまっていた。


「一つだけか。心許ないが、何もないよりましだな」

 戦場は森の中、こちらには足手まといばかり。元より個人での狩りが主である赤ずきんにとって、誰かを守りながらの戦闘は不慣れだった。懐に忍ばせた銃の弾には限りがあり、同業者らしき少年は明らかに経験が少ない。

 林檎があったところで使えるのかは分からないが、これで確実に息の根を止められると言うのなら試さぬ手はないだろう。


 赤ずきんは腕を伸ばして林檎を取ろうとした。その手を制し、ロックは林檎を胸に抱える。

「何しやがる」

「すみません、赤ずきんさん。向こうで少し聞いてたんですけど、これはその、誰かを不幸にするかもしれないものっすよね。

 俺、あくまでも雇われ狩人なんです。雇い主であるお妃様が望まない限り、これを渡すことはできません」

 訴えかけるような悲しげな瞳で、ロックは妃を見つめた。Qだけでなく彼もまた、妃の判断を待っているのだ。


 妃は美しい顔を歪め、涙を必死に堪えていた。何を選んでも絶対に後悔する。それを分かった上で、選ばなくてはならない。

「わたくしは——」

 その先は続かなかった。


 薄汚れた白いドレスがもう一つ、暗い森の奥からこちらに向かって近付いて来ていた。

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