人は吸血鬼になれるか

空殻

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 放課後の教室で、マキナさんが僕に問いかける。

「ねえ、黒須くろすくん。人間は、吸血鬼になれると思う?」


 羽咲はねさきマキナ、それが彼女の名前。

 彼女は僕のクラスメイトで、少し人目を引く外見をしている。

 烏の羽根のように黒い髪と、不健康なまでにひどく白い肌。唇だけが紅でもきれいに引いたように赤い。

 僕には彼女の姿が、とても作り物めいて見えて、現実と馴染まないように見えた。

 もっとも、今の彼女の問いかけは、突拍子もなくて、もっと現実離れしているようだったけれど。



「なんで吸血鬼?」

 とりあえず聞いてみる。

「だって、いいと思わない?吸血鬼って」

「いや、思わないけど」

「ええ、そうかなぁ」

 彼女はほんの少しだけ首を傾げた。その仕草も、精巧な作り物のようだった。

「じゃあ、マキナさんはどうして、吸血鬼がいいと思うわけ?」

「空も飛べるし、超能力も使えるし、力だって強いし、死なないし」

「うんうん」

 軽く相槌を打っておく。感情はこもっていない。

「それに、霧になることもできるんだよ」

「うん、知ってる」

 僕は昔、吸血鬼を題材にした有名なゴシックホラー小説を読んだことがあった。父さんの本棚から借りて読んだ文庫本だったが、読んだ感想としては、怖いというよりも、不可思議な現象の面白さに惹かれたのだった。

「霧になれて、どうなるの」

「いや、きっと色々便利だよ。移動とか」

「空飛べるんだから、移動方法は困らないんじゃない?」

「でも、手段は多いに越したことがないでしょう?」

 相変わらず、よく分からないことを言う人だな、と思う。

 彼女はその外見同様に、発言も周囲から浮いていた。いわゆる『電波的』というものなのだろうか。

なので、クラスの他の人間は彼女とは一歩距離を置いていたのだが、僕なんかはそれを少し面白がっていたので、彼女の話によく付き合った。

 結果として、僕はマキナさんとそこそこ親しくなったのだ。


「で、吸血鬼のデメリットは?」

「えっ?」

「いや、吸血鬼のメリットばかりじゃなくて、デメリットもちゃんと考えたいな、と」

 自分から聞いておいてなんだが、彼女が前のめり気味に『吸血鬼になりたい理由』なんて話すので、ちゃんと不自由な部分も聞いてみたいと思ったのだ。

 マキナさんは困ったように、人差し指を顎に軽く添え、考え込む。

「そうだね、鏡に映らない、とか?」

「ああ、なるほど。それは困りそうだね」

 鏡に映らない、というのは、フィクションでも吸血鬼を看破する方法として度々出てくる特徴だ。それが本当なら、日常生活にも支障がありそうだが、何よりも人間社会に馴染むのに苦労するだろう。

「まあでも、色んな作品を見る限りだと、必ず鏡に映らない、ってわけでもなさそうだよね」

 僕はそんな風にフォローめいた発言をすると、マキナさんも頷いた。

「そうそう。たぶんだけど、意識していれば鏡に姿を映すこともできるんじゃないかと思うんだよね。魔力とか、霊力とかで誤魔化してるのかもしれないよ」

「なるほど」

 確かにそれは、納得できる解釈かもしれない。

「じゃあ、ニンニクとか、十字架とかも?」

「それも個人差がありそうかなぁ」

 人間の好き嫌いみたいなものか。

「ああ、そうだ」

 彼女は思い出したように手を叩いて、それから告げた。

「杭で心臓を貫かれれば、死んでしまうよ」

 それを聞いて、僕は笑ってしまう。

「それは、人間も同じだよ」



 さて。

「じゃあ、肝心の本題だけど」

 この話の最初の問いに戻る。

「吸血鬼が実在するなら、僕は、人間も吸血鬼になれると思うよ」

「うん」

 マキナさんは我が意を得たり、という表情で同意した。

「黒須くんが考えているのは、『吸血鬼に血を吸われた者も、吸血鬼になる』って話でしょ」

「そう、それ」

 それは、吸血鬼についての、一番有名なルールの一つだ。

 吸血鬼に血を吸われれば、吸血鬼に。

 ゾンビに噛まれれば、ゾンビに。

 ミイラ取りは、ミイラに、は違うけれど。

 多くの怪物が持つルール、つまり『怪物は感染する』のだ。

「吸血鬼になりたいのなら、吸血鬼に血を吸われればいい。僕はそう思うよ」

「そう、そうだよね」

 彼女は本当に嬉しそうに笑った。相変わらず、彼女の精巧な見た目は現実から浮いていたけれど、その表情は、今日見た中で一番人間っぽいと思った。

「じゃあさ、黒須くんは、吸血鬼になれる方法があったとして、吸血鬼になりたい?」

 僕は、相変わらずよく分からないことを言う人だな、と思う。

「その質問は、意味が無いよ。だって、吸血鬼は実在しないんだから」

 自分のことながら、少し冷たい答えだったかもしれないと、少し後悔した。




 学校の玄関口から、僕とマキナさんは並んで外へ出た。

 外は雨が降っていて、僕も彼女も傘を広げる。もちろん、各々が自分の傘を。

 放課後の吸血鬼談義はもうひと段落ついていて、その話題で話すことはなかった。

 並んで歩いているけれど、僕らは特に話すこともなく、校門へと向かう。

 右横のマキナさんをちらりと見ると、黒い髪、白い肌、赤い唇で、雨模様の背景もあって、ずいぶんと画になる横顔だった。画になる、というのは言い換えればやっぱり、現実から浮いているということなのだろうけれど。

 僕らの歩く先に大きな水溜まりがあった。それを避けようと僕も彼女も歩調を遅くした。

 特に意識するでもなく視界に入った水溜まりには、雨粒の波紋でずいぶん歪んではいたが、傘を差した自分の姿が映っていて。



 僕は足を止めた。

 それに気づいて、マキナさんも立ち止まる。

「どうしたの、黒須くん?」

 僕の顔を覗き込んでくる。

「あのさ、マキナさん」

「うん」

「さっきの、吸血鬼の話だけど」

 マキナさんが少しだけ怪訝な顔をした。

 僕は構わず続ける。

「もしも、僕が吸血鬼になりたいと思ったら、その時は、マキナさんに頼むことにするよ」




 僕は、傘を持っていない方の手で、目の前の水溜まりを指で指し示す。

 そこには、波紋で歪んだ僕の姿。

 そう、それだけ。そこに、マキナさんの姿は映っていない。

 『吸血鬼は鏡に映らない』、マキナさんの言葉を借りるなら『意識しなければ鏡に映らない』。

 直接的な鏡ではないから、油断していたのかもしれない。

 でも、どんなに歪んでいても、水溜まりの水面も、姿を映す鏡に違いなかった。


 僕が指摘しても、マキナさんは、しばらく黙っていた。

 数秒、いや数十秒。

 沈黙。僕も何も言わない。

 それから。

「あはは」

 彼女は笑った。

「ばれちゃったね」

 ひどく可笑しそうに。

 彼女のその笑顔は、これまで見た中で一番、嬉しそうで。

 一番、人間離れしていて。

 そして、一番綺麗だった。


「じゃあ、私からもう一度、さっきの質問」

 彼女は本当に楽しそうに、もう一度問いかける。

「吸血鬼が今、目の前にいるとして、黒須くんは吸血鬼になりたい?」


 僕は今度こそ、真剣に考える。

 別に吸血鬼になりたいわけじゃないけれど、かといって人間であることを特別重視したいわけでもなくて。

 そして何よりも、もう一つ、吸血鬼作品によく出てくる特徴を思い出したのだ。

 吸血鬼は、血を吸う相手を選ぶ。好ましいと思う人間を、吸血する。

 また、その血を吸われる人間も、吸血鬼に惹かれることが多い。

 だとしたら、マキナさんは僕のことを好ましく思ってくれているのだろうか。

 そして、僕は明白に、彼女に惹かれている。

 とっくに、僕も現実から乖離して、狂っていたんだろう。

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