第5話 初めてのお泊まりは
こんな事態を招いたのはホテル側の責任ではないのに、支配人がお詫びとして最高級スイートルームまで用意してくれたことに恐縮して、裕星は「せっかくですが、僕たちとしても予期しなかったことをホテルの責任だとは思っていません。
むしろ、僕たちの責任だと感じています。ですから、こんな申し訳ないことで責任を感じて頂いてサービスを受ける立場にはありません」と頭を下げた。
「いえ、海原さんのことは以前より拝見しておりました。大変有名な方で、日本と海外でもご活躍されていることも存じております。
私どもは、今回のことを抜きにしましても、ぜひ海原さんには当ホテルの自慢の部屋を一度お使いいただきたいのです。
ですから、こちらからのお願いということでご了承願えませんでしょうか?」支配人は一歩も引かなかった。
裕星と美羽は、しばらく顔を見合わせて困っていたが、裕星はせっかくの好意を無にする方が失礼だとして、ありがたく申し出を受けることにしたのだ。
こちらへどうぞと連れられていったエレベーターの場所すら普通とは違っていた。
普通のエレベーターホールより更に奥にある、ドアも壁も一段と重厚な場所に連れられてきた裕星たちは、「どうぞ」と言われるがままに、一台しかない大きなドアに細かいいぶし銀の彫刻が施されたエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの中にはボタンを押す場所がない。これが高級なエレベーターの仕組みだ。
よくゴシップ誌にある、二人で乗り込みエレベーターのボタンを押した、というくだりはデタラメであることにお気づきだろう。
ここのプライバシーは相乗りなど出来ない仕組みなので、エレベーターに乗り込む姿も見られなければ、そのボタンすらないのが、高級ホテルやマンションのエレベーターである。
部屋の中はまた格別だった。
大理石で出来た鏡のように光る床はもちろん、家具調度品は超が付くほどの一級品だった。
いわゆるリビングに当たる場所のテーブルとイスは、海外の王族が食事をするのではないかと思えるほど高価そうだった。
バスルームに至っては、どこに入っていいものか迷うほど綺麗な曇りひとつない鏡に囲まれたバスタブが何個もあった。白い壁と床が手入れの行き届いた証拠に、隅にはひつ粒の砂ほこりさえ見当たらなかった。
ベッドルームには天蓋が施され、白いキングサイズのベッドが、落ち着いたベージュの絨毯と金糸で織ったであろうカーテンとの調和が取れていて、見るからにふかふかの寝心地を想像できた。
とうとう裕星が口を開いた。
「あの…、こんな高価な部屋に俺たちが泊まってもいいんでしょうか? とても気を遣って使いづらい様な気がします」
支配人は少し微笑んで「いえいえ、こちらのお部屋はどうぞ海原さんのお好きなようにお使い下さい。バルコニーにはジャグジー付きの露天浴場もございます。
お客様のお好きなように使っていただくことが、私どものサービスでございますから。どうぞごゆっくりなさってください。何か御用がございましたら、専用の電話にてお承りいたします」
そういうと一礼をしてスっとドアの外に出て行き、とうとう裕星と美羽の二人きりになってしまった。
あまりの豪華さに、美羽は少しも落ち着かない様子で「裕くん、私たち本当にここで今日眠ることができるでしょうか? 私なんて足がすくんで一歩も前に進めないわ。なんだか絨毯を踏むのも怖い」と震えている。
裕星は思い直したように笑顔になり「美羽、支配人がせっかくああいってくれたんだから、俺たちは気を遣わず伸び伸びここを使わせてもらおう!
こんな経験は滅多にないから俺も興奮してるよ。まずは、外のジャグジーにでも浸かろうかな?」
ふふん、と鼻歌を歌ってポイポイ服を脱ぎ捨てた。
そのまま海が見える広いバルコニーに裸で出ていくと、はあ~と大きく伸びまでしている。
誰も見えない場所だからいいけれど、と美羽はハラハラして、両目を手で覆いながら隙間から見える裕星の裸の後姿を見守っていた。
美羽が一つずつ裕星の服を拾いながらベッドの上に畳んでおくと、ついついベッドに飛び込んでみたくなって、エイッとばかりに両手を広げてベッドの上に背中からダイブした。
ふわりと、今まで経験したことも無い柔らかなクッションが身体を包んでくれた。
どこまでも沈むかと思われたが、さすがに最高級ベッドだけあって、身体をしっかり支えて止まってくれた。
うわぁ、もうこのまま眠っちゃいそう…。美羽が目を瞑るとすーっと意識が遠くなりそうになった。
「美羽──」
裕星の声が耳元で聞こえたかと思うと、裕星の大きな強い腕が美羽の体を包んできた。
「裕くん……」美羽が目を開けると、さっき外にいた裕星がいつジャグジーから上がったのか、すっかり素肌にバスローブを着て、ベッドの上の美羽をぎゅっと抱きしめていた。
「ゆ、裕くん、ちょっちょっと待って!」美羽が跳ね起きた。
「はぁ、私眠っちゃってたわ」
「美羽、今日はお疲れさま! 大分疲れたみたいだね。お風呂行ってくる?外も気持ち良かったよ。それとも、バスルームを使う?」
まだ美羽の肩を抱きながら裕星は優しく言った。
「あ、そ、それじゃ、バスルームに行ってくる!」
美羽が裕星を跳ね除けてバスルームに入って行くのを、裕星は笑いながら目で追っていたのだった。
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