第52話 拒み、絶やすまで

 翠川みどりがわ双笑ふたえの副人格である隻夢ひとむは、いつ生まれたのかもはっきりと覚えてはいない。だが初めて『表』に出て来た日の事は、今でも鮮明に思い出せる。


 ある日の小学校からの帰り道。双笑が不審者に腕を掴まれた時だった。

 強く感じたのだ。彼女を守らねば、と。隻夢は彼女の意思の奥深くから目覚め、双笑と入れ替わった。


 隻夢は双笑と正反対のように攻撃的で、不審者を追い返した。隻夢から意識を戻された双笑は何が起こったのか分かっていなかったが、いつの間にか芽生えていた副人格の存在を、彼女はその一件を通して後に知る事となった。


 それからというもの、双笑に危険が迫る度に隻夢は表に出て、危険を退けてきた。いじめっ子がちょっかいをかけて来たら殴り飛ばし、怖い先輩たちが絡んで来たら蹴り飛ばした。


 いつも誰にでも優しい双笑が時折恐ろしいまでに豹変するものだから、彼女を気味悪がって離れて行く者も多かった。だが双笑は、それでも自分の中にいるもう一人の自分に感謝していた。『隻夢』という名前も、彼女がつけたものだ。


 隻夢はどんな時でも双笑を守ってきた。それが生まれた意味であると、存在意義なのだと確信しているのだ。

 そしてそれは、世界中にゾンビがあふれるようになっても変わらない。あらゆるモノを斥力で弾き飛ばす異能力はまさに、そんな隻夢の意思の表れであると言っても良いだろう。


 大切な人を守るために、あらゆる外敵を拒絶する。


 それが、隻夢の異能力なのだ。



「喰らいやがれ!!」


 斥力をまとった拳を叩き込み、襲撃者のアーマースーツの一部にヒビが走った。しかし追撃しようと踏み込んだ段階で、そのヒビは自然に塞がっていた。彼らの纏うアーマースーツは自動修復機能までついているらしい。


「簡単には壊れねぇなら……」


 剣状に鋭く尖った右腕による斬撃を身を引いて躱し、そのまま両手で襲撃者の右手を掴んだ。腕力で振りほどかれる前に、異能力を発動させる。


「そのアーマー、引き剝がしてやる!!」


 両手のひらから放たれる膨大な斥力によって、襲撃者の右腕を包むアーマーからビキバキと悲鳴が聞こえた。火花を散らして亀裂が広がっていき、ついに右腕のアーマーの大部分が破壊された。アーマーの下から見えたのは、肌に密着する黒いライダースーツのような衣服と、破けたそれの中から覗く人の肌だった。


 てっきり機械部品でも詰まっているのかと予想していた隻夢は驚いたが、攻撃の手は緩めなかった。異能力でアーマーを破壊できると確認できればこっちのものだ。

 右腕を修復している隙に今度は腹部のアーマーを剝がそうと、隻夢は別の襲撃者による攻撃をかいくぐりながら先ほどの襲撃者へと詰め寄る。


「――っ!」


 背後から、空気が弾けるような音がした。反射的に回避行動を取ったが間に合わず、振り向いた頃にはプラズマの塊はすぐそこまで来ていた。焼けるような熱が押し寄せる。


「オッ、ラァァァァ!!」


 隻夢は直撃を悟った直前に、全ての意識を左腕に集中させていた。一か所に集まった斥力は迫るプラズマと左腕の間にあるありったけの空気を弾き飛ばし、プラズマの塊を分散させた。

 しかし全てを消す事は出来なかったようで、プラズマの残滓がパーカーの袖を焼き切って肌に触れた。


「がぁ……!!」


 感じた事のない痛みに顔を歪ませる隻夢。意識の内側にいる双笑にこの痛覚が行かないようにだけ気を付けながら、隻夢は周囲を囲む襲撃者たちを睨みつけた。左腕はまだ動くが、かなり不自由だ。身を包む斥力も弱まっているかもしれない。


 襲撃者たちは腕を剣状に伸ばしたり盾のように広げたりと各々変形させながら、あるいはプラズマガンを構えながら、隻夢と距離を保っている。不完全だがプラズマすらを弾き飛ばした隻夢の異能力を警戒しているのだろう。ほんの数秒だが、膠着状態が続いた。


『…………』


 不意に、襲撃者たちの動きが止まった。

 三人で顔を見合わせたかと思うと、その内の一人がいきなり剣状の右腕で壁を斬り割いた。当然何が起きると言うこともなく、壁に引っ搔き傷のような溝が走っただけ。しかしそれは、隻夢の意識をよそに向けさせるのが目的だったらしい。


 床に固い何かが落ちる音がした。隻夢が気付いた時には、突然下から吹き出した白い煙で通路が満たされていった。いや、煙を吐いているのは床ではなく、そこに転がっている銀色の筒だ。


「目くらましかよ!!」


 隻夢は力を込めるように叫びながら周囲の空気を弾き飛ばし、煙幕を振り払った。しかしその拍子に、左腕の傷が突き刺すような痛みを訴え、隻夢はうめいた。


 視界の端で捉えたのは、三体の黒い人影が立ち去る姿のみ。追いかけようと足に力を込めたが、


『待って隻夢!』


 頭の中で響く双笑の声に止められて、渋々といった顔で追撃を諦めた。


『今深追いしても怪我が増えるだけだよ』

「でも奴らを逃がしたのはマズかったんじゃねぇの? 装備を整えてまた来るだろ」

『だからこそだよ。虹枝さんに連絡すればすぐに返って来てくれるだろうし、それに隻夢も疲れたでしょ?』

「……まあ、さすがに今回は無茶したな」


 警報が解除され、廊下を照らしていた真っ赤な警告灯も収まった。隔壁の瓦礫と銃器の残骸が散らばる通路をぐるりと見渡し、それから背後に続く階段へ視線を向けた。怪我はしたものの、何とか子供たちは死守出来た。


「下のやつらに、終わったって言わねぇとな」


 緊張が解けるとさらに強く痛みを感じる左腕を押さえつけながら、歩き出す隻夢。背後から新たな物音が聞こえたのはその時だった。


「うわっ! 何だコレ!?」

「やっぱりここにも来てたんだ、あいつら……」


 背後から突然、聞き覚えのある声が響いて来た。


「兄ちゃん達!? いつの間に帰って来たんだ!?」


 ほんのりと周囲を漂う煙幕の中で、辺りを見渡していたのは、食料調達に向かっていたはずの勇人ゆうとたちだった。隻夢の声を聞いて、向こうも隻夢を見つけて駆け寄った。


「双笑……! いや隻夢か、大丈夫か!? いや大丈夫じゃねぇ!!」

「左腕、怪我してるよ! お兄ちゃん早く!」

「ああ、じっとしてろよ!」


 弾き切れなかったプラズマが当たった箇所が焼けて赤くなっており、それを見た勇人は慌てた様子で両手をかざした。すると彼の手のひらから淡い光が放たれ、焼けたはずの皮膚がみるみるうちに治っていく。数秒経てば痛みも消え、何事も無かったかのように怪我が完治していた。


「な、なんだコレ!? 兄ちゃん今、何やったんだ!?」


 あれだけ痛んだ左腕も、どれだけ振り回しても痛くも痒くもない。その現象に驚きの声を上げた隻夢だが、勇人が何か言う前に別の声が割り込んで来た。隻夢がバラバラに破壊した銃の残骸を拾い上げている虹枝にじえだだった。


「隻夢。ここにも来たのか、全身が黒いアーマースーツで覆われた奴らが」

「あ、ああ……その言い方だとそっちにも来たみてぇだな。あおいはスターゲートの連中じゃねぇかって言ってたが、やっぱ知り合いか?」

「あの組織の人間を知り合いと言うのも不快だが、確かにスターゲートの一員だ。ここには何人来た」

「三人。全員追い返してやったぜ」


 虹枝は得意げな隻夢の言葉を聞き、それから周囲を見渡して自分達以外には隻夢だけしかいないのを確認して、意外そうに眉をひそめた。


「お前一人でか?」

「まあな。頭ん中には双笑もいるから二人三脚みたいなモンだが」

「そうか。お前の異能力や戦闘センスは凄まじいな。スターゲート最強の機動部隊である『ヤタガラス』のうち三人とたった一人で渡り合えるとは」

「そんな大層なもんでもねぇぜ? あのまま続けてたらもっと怪我してたろうし、実際、双笑にも深追いするなって止められたしな」


 勇人が治した左腕を振りながら、隻夢は苦い顔をする。


「ってか、まずは説明してくれよ。何が起こってるのかオレにはさっぱりだ」

「ああ、そうしよう」


 隻夢は子供たちのもとへ戻ろうと踵を返す。


「隻夢」

「ん?」


 呼び止められた隻夢は、頭に手が乗っている事に気付いた。立ち止まった彼女の頭に手を置いている虹枝は、顔をほころばせていた。


「礼を言わないとな。ありがとう、子供たちを守ってくれて」


 いつも生真面目で表情の硬い虹枝だが、この微笑みがきっと、子供たちに『先生』と呼ばれ慕われている人の顔なのだろう。その笑みに応えるよう、隻夢もまた力強く笑った。


「お安い御用だぜ」

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