第44話 無計画の絶望

 ゾンビパンデミックが始まったばかりの、まだ『未知の感染症』としか考えられてなかった頃。類を見ないほどに感染が広がった事に対して、ネット上では様々な憶測が飛び交っていた。俺も唯奈ゆいなも真には受けなかったものの、その内のひとつにはこういうのもあった。


『新種の感染症、どっかの国の生物兵器とかじゃね?』


 もともと、誰が書いたかも分からないようなネットの中の意見だ。そんな話を信じる訳もなくすっかり記憶の彼方へと追いやっていたのだが、今更そんな話を思い出した。何故なら、どこの誰が唱えたのかも分からないその意見が、ほとんど当たっていたからである。


「生物、兵器……」


 告げられた真実を理解するために流れた、重い沈黙。それを破ったのは、いつの間にか双笑ふたえと交代していた隻夢ひとむだった。あるいは何か言いたい事があって、無理にでも出て来たのかもしれない。


「……つまり、アンタらのせいで世界はメチャクチャになったって事なのか。アンタら大人が作り出した兵器のせいで、ゾンビどもがあふれる世界になっちまったと」

「厳密に言うとZ-ウイルスの開発プロジェクトに私は関わっていないが、今更責任逃れをするつもりはない。その通りだ」

「ふざけんなよ!!」


 椅子を吹き飛ばすような勢いで立ち上がった隻夢は、物凄い剣幕で虹枝さんを睨んでいた。


「スターゲートだかなんだか知らねぇが、アンタらのせいで双笑の両親は死んだ! それだけじゃねえ、ここにいる兄ちゃんたちも、他の人も、パンデミックのせいで日常が壊されたんだ! そいつらにはどう説明するつもりだよ!!」

「落ち着け隻夢」


 俺は怒りで振るえる隻夢の肩を掴んだ。


「ショックなのは俺も同じだ。だがまずは落ち着け。虹枝さんに怒ってもしょうがないだろ」

「兄ちゃんは悔しくねぇのかよ! どうせ殺人ウイルスなんてロクでもねぇ理由で作り出されたんだろ。そんな知りもしねぇ大人の都合で自分たちが死ぬ思いで苦労しなきゃなんねぇなんて、許せねぇだろ!!」


 こいつの怒りももっともだと思う。俺だって思う所はある。人が人を殺すために生み出した兵器なんて無い方がいいに決まってるし、そのとばっちりで世界そのものを巻き込むなんてどう考えてもおかしい。黒幕がいるならぶん殴ってやりたいさ。


「だけど、ここで怒りを解放したからってゾンビが消えてくれるわけでもないし、無かった事にもならないだろ。お前だってそれぐらいは分かってると思うし、そのうえで怒ってるんだろうけど。とにかく一旦落ち着いてくれ」

「けどよ……」

「隻夢がみんなを代表して怒ってくれたおかげで、俺は随分スッキリしたぜ。ありがとな」

「……ふん」


 落ち着かせるように肩をポンポンと叩くと、隻夢はやや不服そうながらも引き下がり、どかりと椅子に腰を下ろした。そのままテーブルに置かれたマグカップを手に取って、怒りを飲み下すように半分ほど残っていたコーヒーを一気に飲み干した。隻夢の人格になるとコーヒー飲めるんだな。


「何を言ってくれてもいい。クソッタレな同じ組織に所属していた私は、お前達の怒りを受け止める義務がある」


 虹枝さんは眉一つ動かさず、静かに言葉を続けた。


「だがこれは言わせてくれ。組織は好きでこんなパンデミックを引き起こした訳ではないはずだ。スターゲートは秘匿兵器開発機関であって、大量殺人を目的とするテログループでは無い」

「地球全土まで広がってるパンデミックがその証拠、という事ですか」


 テーブル上に表示されていたZ-ウイルスに関する文書を目で追っていたあおいの言葉に、虹枝さんは頷いた。


「そうだな。誰も制御の出来ない兵器など作らない」

「ここに書かれているZ-ウイルスの性能だと、感染力はそこまで高くなく、ウイルス自体の寿命も短いようですね。致死率の高さにはゾッとしますが」

「兵器に必要な条件は、望んだ範囲に望んだ被害を出せる事だ。殺人ウイルスがあっという間に広がってしまえば兵器を使った側までお陀仏だからな。当然、致死率に反比例して効果範囲は狭いはずだった。本来ならな」

「間違いなく予期していない変異のせいで、ゾンビウイルスは生まれてしまったのですね」


 どこまで言っても冷静な蒼。これが大人の余裕ってやつか。蒼はまだハタチになりたてらしいけど。頼もしい。


「ウイルスの進化も拡散も、何もかもが想定外。開発部門は相当の馬鹿揃いだな。どんな杜撰な管理をしたらこんな危険なウイルスが拡散するんだか」


 ここにも怒ってる人いたよ。虹枝さんはため息交じりにそう吐き捨てながら、おもむろにタブレット端末を操作して、テーブルに映し出されていた記事を消した。

 ちょうどその直後に、俺たちの背後にある扉が開かれた。


 扉の前には一人の少女が立っていた。虹枝さんに銃を向けられてた時に助け舟を出してくれた、テレパシー使いの少女だった。


「お風呂空きましたよ、先生。みなさんもどうぞです」

「ありがとうユズハ。先にこいつらを入らせる。皆と広間で待っててくれ」

「分かりました!」


 ユズハと呼ばれた少女は元気の良い返事をして、そのままとてとて走り去っていった。見た事も無いような彼女の黄色い瞳を見ると、彼女たちが組織に作り出された人造人間だという話を思い出してしまう。俺たちと何も変わらないように見えるのに。


「……とりあえず、今日の話し合いはここまでだ」


 立ち上がった虹枝さんは、座っている俺たちを見下ろす形でそう言った。


「着替えは子供たちや警備員の予備があるし、今着てる汚れた服は洗濯に出せば明日には着れる。お前達は先に風呂へ入れ」

「お風呂、いいんですか!?」


 やはりここ数日間、体を洗えなかったのを気にしていたのか、唯奈は一番に食い付いた。今までの重苦しい空気を一気に破壊するほどに。


「駄目な訳ないだろう。こんな世界なんだ、衛生管理は命の次に大事にすべきだ」

「そ、そう言われれば俺たち、たまに水で体を洗ったりしてたけど、ついぞ風呂に入れる事は無かったなぁ」

「汚いな。さっさと入ってこい」


 分からない事があったら私に聞け、と言い残し、虹枝さんは部屋を出て行った。

 部屋に残された俺たちもやがて立ち上がり、ぞろぞろと風呂場へ向かう事にした。


「蒼? どうしたんだ?」

「……いや、何でもないよ。行こう」


 何か考え事をしている様子の蒼が少し気になったが、大した事でもないのかすぐに柔和な笑みを向けた。あんな話を聞かされたらいろいろ考えたくなる気持ちも分かるし、それでなくとも蒼はいつも何かを考えてるような気がする。


 だがとりあえず、俺たちが目的地としていたここに辿り着いたのだし、少しは気を休めて欲しいものだ。頭の使い過ぎで熱でも出したら大変だからな。

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