第40話 深淵を覗く時

 そこに書かれていたのは、とある研究者の記録と独白。そして願いだった。

 なにかとんでもない物を見てしまった気がするが、具体的に何がとんでもないのかと聞かれても分からない。だが断片的に読み取れる情報もある。


 俺たちが今いる下部サイト01というこの施設、そしてその大本である『スターゲート』という組織。彼らは何かしらの実験を行っていて、この日記の主である虹枝にじえださんの言う『子供たち』は、その実験に利用されていたのだろう。そして虹枝さんはその子供たちを大切に思っているみたいだった。


 ――人類を貪る最低なウイルスは、私がよく知っているモノだという事実を。


 日記にはそう記されていた。きっとその子供たちを守るためにゾンビについて研究し、何かを見つけたのだ。それが何かまでは書かれてなかったが。


「……俺たちがサバイバルしてた裏では、こんな事をしてた人もいたって事か」


 大切な人達を守るために、命を賭して運命に抗った研究者の記録。俺にはその内容の全てを理解する事はできないが、この人が必死に戦っていたという意思は伝わった。


「この人、今はどうしてるのかな」


 机に広げた日記に優しく触れながら、双笑ふたえは呟いた。質問しているような言葉だが、きっと双笑だって薄々気付いてるだろう。

 この日記の最後に記されていた内容は、まるで読んでいる俺たちに託すような文章だった。そしてそれ以降、日記は更新されていない。つまり、この人はもう……。


「って、待てよ?」


 机の上に開かれている日記の最後のページ。そこには『子供たち』を守ってくれという言葉が残されている。それ以外にも、虹枝さんは『子供たち』のすぐ傍にいるようなニュアンスで語っていた。ということは……。


 虹枝さんの言う『子供たち』は、ここにいる……!?


「お兄ちゃん、双笑さん! 大丈夫!?」

「うおあああああああ!?」

「わっ!」


 急に背後から声が聞こえ、俺は思わず大声を上げて振り向いた。双笑も同じ理由で、というよりは俺の驚く声に驚いた様子で声を上げた。

 俺の背後には、しかめっ面で耳を塞ぐ唯奈ゆいながいた。


「お兄ちゃんうるさい」

「す、スマン……いきなりだったもんだから」


 直前まで見ていた日記の影響もあるだろう。あんなに重大な情報を残されて思考に耽りそうになった所で声をかけられた上に、さっきはゾンビにも出会ったんだ。緊張が高まった所でいきなり声がしたら誰だってビックリする。


「唯奈ちゃんが降りて来たって事は、上の探索は終わったの?」

「まあそれもありますけど、さっき銃声が聞こえたってあおいさんが言ってたから、双笑さんとお兄ちゃんを探して降りて来たんです」


 さっきのゾンビたちにトドメを刺す時、三発撃ったからな。上の階に銃声が響いてても不思議じゃない。


「それで、その銃声は何なのお兄ちゃん。撃ったのお兄ちゃんでしょ?」

「まあそうなんだが、蒼たちが合流してから一度に話すよ。ちょうど話し合いたい所だったし」

「……?」


 ゾンビを研究してた部屋も、虹枝さんの日記も見てない唯奈は不思議そうにしていた。

 それからほどなくして蒼と黒音くおんも研究室に到着し、俺と双笑は研究室までは何も無かった事と、研究室で見た事を全て皆に説明した。


「ゾンビを研究してたって……それも元凶のウイルスをよく知ってるなんて、この人何者なの」


 唯奈はここにはいない研究者に向かって驚愕混じりにそう言った。当たり前だが、俺たち人間はゾンビについて何も知らない。だからこそ、やはり研究者ともなるとパンデミックが始まった時点でやる事も違うんだろうな。


「そ、その人が必死に守っていた子供たちって、ここにいる、んですかね……?」

「いるだろうね。僕たちが今も探しているテレパシーの少女も、もしかしたら虹枝さんに守られていた子供たちの一人かもしれない」


 蒼は遠慮がちな黒音の問いに答えながら、ノートをめくる。


「『あれから本部との通信は途絶え、いつの間にかサイト01からの定期連絡も来なくなった』。この言葉から考えるに、僕達の今いる下部サイト01は、スターゲートの組織図で言うと下の方にある施設なんだろうね。この虹枝さんの言う通り『見捨てられた』んだとしたら、きっとゾンビパンデミックの騒ぎでスターゲートの本部とやらは相当ダメージがあったんだろう。末端施設を切り離すほどには」


 さすが蒼、こんな時でも洞察力は衰えないな。蒼が冷静なおかげで、俺も落ち着いて考えをまとめられるようになってきた。


「虹枝さんは本部に見捨てられた事を悟って、『子供たち』を守るために尽力した。そしてその子供たちは、ここにいる訳だ」


 ノートを閉じた蒼は、続いてこの施設の図面が表示されているタブレット端末の画面を俺たちに見せた。その地図は一か所を大きく表示するために拡大されていた。


「『ローエンド保管区画』って所だな。確かにここだけやたら広いし、中がどうなってるのか全く記載されてない」

「日記を見るだけで伝わるほど虹枝さんが大事に守ってる子供たちの場所だからね。きっとテレパシーの少女もここにいるはずだよ」


 話し合いもそこそこに、俺たちはローエンド保管区画へと足を進めた。ゾンビを研究してしまえるほどの研究者が命を懸けて守っていたのだから、テレパシー少女の身の安全は心配いらなくなっただろう。それでも、俺たちの足は自然と速まっていた。

 何か理解のできない物が近くにあるというのは、吊り橋の上を歩くような不安感を抱いてしまう。


「この扉を抜けた先だ」


 複数の部屋で構成されている研究室から抜けた通路の先に、ひときわ頑丈そうな扉が立ちはだかっていた。今まで見た扉と違って両開きの大きな扉で、その中央にカードをかざすためのパネルがある。


 例によって管理者代理権限を持つカードは、この施設内で最も重要な部屋へのロックも解除できた。俺たちを焦らすかのようにゆっくりと開く扉。やがて開いた扉の奥には少し通路が続いており、その奥に『ローエンド保管区画』はある……はずなんだが。


「……行き止まり?」


 通路の奥にあったのは曇っているかのように真っ白いガラスがはめられた壁。その壁は横に長く、テレビか何かで見た、生まれたばかりの赤ん坊が並んで寝かされている新生児室に似ていた。それとは違ってガラスの向こうは見えないけど。


「どうなってるんだろう」


 双笑は一歩前に出て、ガラスに両手を付けて顔を近づけていた。センサーか何かが起動したのだろうか。その直後に、曇っていたガラスが一気に透明になり、その奥が見えるようになった。


「――ッ!!」


 晴れたガラスの向こうに、人がいた。

 全員が手術衣のような簡素な服を着た子供たちだった。全部で八人もいる。


 見たところ俺たちと変わらない年齢の子もいれば、小学生ぐらいの子もいる。共通して言える特徴としては、赤い髪の子だったり黄色い瞳の子だったり、見慣れない目立った容姿の子供ばかりだ。


 そして当然だが、全員俺たちを見て慌てていた。ある子は壁際まで離れ、ある子は俺たちをじっと見ている。五人も知らない人がいきなり現れたら、そりゃ怯えるよな。


「これが、日記に書いてた……」


 パッと見たら閉じ込められているようにも見えなくないが、少し観察してみると、柔らかそうなカーペットが敷かれてあったり、机や棚、本などの小物も見当たる。生活に必要なものは大体揃っている印象だった。

 それに例の日記の通りなら、彼らは閉じ込められているのではなく、守られているのだ。そう考えると、若干の生活感があるのも納得だ。


 そんな中、一人の少女がガラスの壁まで近づいて来た。年下であろう背丈の、黄色い特徴的な瞳をした少女だ。


『あなた達、誰ですか……?』


 この声、そして脳に直接響くこの感じ……!

 間違いない、さっきのテレパシー少女だ!


「双笑!」

「うん、すぐに繋ぐね!」


 テレパシーを聞いた双笑がすぐさま異能力を使い、全員の意識がテレパシー少女と繋がった。


「私たちの声、覚えてる? さっきあなたのテレパシーを受け取った人だよ」

『あっ、さっきの……! どうやってここまで……』

「パスポートみたいなカードを持ってたんだ。ほら」


 俺はシンボルの描かれたネームカードをガラス越しに見せる。


『本当だ、組織のマーク……さっきは違うって言ってましたけど、やっぱり組織の関係者なんですか?』

「いや、僕たちは本当にただの一般人さ。まあ、詳しい話は後にしよう。君は何か伝えたい事があって、テレパシーを撒いていたんじゃないのかい?」

『そ、そうだ! そうなんです!』


 テレパシー少女が俺たちと話をしているからか、他の子供たちも、少しずつ警戒心を薄めたかのように俺たちを観察している。ちょっと落ち着かないけど、今は彼女の話に集中しよう。


『さっきは私の体力不足のせいで途切れちゃいましたけど、助けて欲しい事があるんです』

「ここから出して欲しい、とか?」

『うーんと、それも違うとは言い難いですが……それよりも先にです』


 煮え切らない返事で唯奈の問いに首を横に振った少女は、真剣な眼差しで続けた。


『かいつまんで言いますと、この施設には私たちを守ってくれてた人がいるんです。ここはお世辞にも良い施設とは言えませんけど、その人は私たちをお世話してくれた大切な人なんです。ですが、つい昨日いなくなってしまいまして……』


 ここの子供たちを、世話していた人……? 心当たりしかないぞ。


『出ていく時に私たちに声をかけてくれたんですが、まるですごく危険な場所に行こうとしてるみたいでした。なので誰でもいいからあの人を探してくれないか、お願いしたかったんです』

「なるほど。勇人ゆうと君、これってもしかして」

「ああ。俺たち、多分その人の事――」


 知っている、とテレパシー少女に告げようとした、その時だった。


「そこを動くな」


 ガチリ、と小さな金属音と共に、冷たい声色の警告が背後から投げかけられた。

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