第7話 共生

 空はよく晴れ、風もほどよく通りを流れる。ピクニックにでも出かければ最高の日になるであろう、そんな気持ちの良い春の昼過ぎ。

 しかし今日という日を『気持ちの良い日』などと言い切れる人間は、残念ながらこの世に誰一人としていないだろう。それはゴーストタウンと化した街をとぼとぼと歩くこの少女も当てはまる。


「はぁ……ここにも誰もいないね」


 明らかにサイズの大きすぎるウインドブレーカーの袖に手を隠して歩いている彼女は、その下に来ているパーカーのフードを少し持ち上げながら街並みを見渡す。

 ゾンビの大量発生によって近所の人達は皆ゾンビと化し、ここ最近で生きてる人間を見る事もなくなった。住宅街を抜けて大通りに出れば人もいそうなものだが、その分ゾンビも多そうだ。そう考えるとどうにも足が進まない。


『落ち着いて来たか、双笑ふたえ


 彼女の頭の中から声が響く。彼女のものとほとんど同じような声だ。ただ口調が若干荒っぽいが、双笑と呼ばれた少女からすると力強く頼もしい声だった。


「ありがと、今はもう大丈夫。心配させてごめんね」

『気にすんなよ。誰だって実の両親がゾンビになってんの見たら気分も悪くなる』

「……うん」

『それに、お前を守るのがオレの役目だしな』

「さっきもそう言ってくれたけど、そんなに張り切らなくてもいいんだよ?」


 双笑は頭の中の『声』にそう笑いかける。


「あんまり気を張り続けてたら疲れちゃうよ。たまには休まないと」

『言いたい事は分かるが……こんな状況だぞ?』

「こんな状況だからこそだよ」


 頭の中の声と話しながら、空っぽのスポーツバッグを肩にかけた双笑は歩く。


 ゾンビがはびこる世界で人類はサバイバル生活を余儀なくされた。世界中かどうかは双笑には分からないが、報道やネットが生きていた頃の情報では少なくとも日本全国にゾンビは現れたようだ。今や『国家』と呼べるような組織が機能しているかも怪しい。


「そんな生活で必要なのは、辛くならない事! 嫌な事もあるけど、楽しい事も考えないと」

『楽しい事ねぇ……。今んとこ、お前と話せるようになったのが一番楽しいっつか嬉しい事だな。ま、ゾンビとは関係ねぇけど時期的にはピッタリだろ』

「確かに、ゾンビを見るようになったのと同じ頃だったね」


 双笑は自分の手のひらを眺め、ぽつりと呟いた。


「この異能力が使えるようになったのって」


 彼女自身、それが何なのかは分からなかった。だが今まではどう頑張っても出来なかった事が、ある日あっさりと出来てしまったのだ。


「この力のおかげで私たちは話せるんだよね」

『今まで必死にいろいろ試しても出来なかったもんな』

「えっ! 見てたの!?」

『オレからは見えたんだよ。何でか知らねぇけどな』

「えぇーズルいよー。そっちが動いてる時私には見えないのにぃー」

『イイじゃねぇかよ。今はお前の能力のおかげでどっちも見えるんだし』


 頬を膨らませて不満をあらわにする双笑と、それを笑う『声』。傍から見れば双笑が独り言を喋ってるだけにしか見えないが、本人たちは楽しそうに会話をしていた。


『そういや能力と言えば、オレにも目覚めたんだよな。双笑とはまた違うチカラが』

「うん、そのおかげで私は助かったんだよ」

『この能力がなけりゃお終いだったな。パンデミックちょうどに都合よく異能力が目覚めるなんて、不幸中の幸いだな』

「ほんとにねー。何なんだろう、この力」


 世界を覆い尽くしたパンデミックと、ゾンビに対抗できる異能の力。まさに渡りに船だった。


「この力って、私たちだけの物なのかな?」

『さあな。でも能力持ちが他にいるんなら、今日まで一人も生存者と出会わなかったことはねぇだろ』

「それは確かに……」


 能力を持っているのは自分達だけなのか、他にもいるのか。それを確かめるためにも、まずは生存者と会わなければ話もそこまでだ。


「あ、ここだよ」


 目的地に辿り着き、会話を切り上げて双笑は立ち止まる。そこは交差点を渡った先にある小さなコンビニだった。


「食料あるといいね。歩き続けてお腹空いちゃった」

『先に住んでるヤツもいるかもしれねぇし、ゾンビだって潜んでるかもしれねぇ。気を付けろよ』

「分かってるって」


 頭の中の『声』は警戒しているが、双笑は何の武器も持たずに店内へ入る。それほど信頼されているという証でもあるが、『彼』としてはもう少しサバイバル意識を持って欲しい所であった。


「……うん、大丈夫そうだよ」


 一通り店内を見回り、バックヤードも確認した。他の生存者もゾンビも誰もいなかった。店に並んでいる食料の残り具合から察するに一時期は拠点として使われていたようで、これといった食料はほとんど残っていなかった。僅かに残っているものも腐りかけており、食べる気にはなれない。


「駄目だったねー」

『早い者勝ちの世界になっちまった以上しょうがねぇな』

「次の食料ポイントまで我慢かぁ……」


 双笑はスカスカのスポーツバッグから折りたたまれた地図を取り出し、現在位置と照らし合わせた。ここから一番近い食料がありそうなポイントは、二キロほど離れた所にあるスーパーマーケットだ。


「徒歩で一時間くらい? 遠いねぇ」

『オレの異能力使うか?』

「いいよ、それはもしもの為にとっておかないと。いい運動と思ってレッツゴーだよ!」


 地図を仕舞い、明るく言い放つ双笑。この殺伐とした世界において、彼女のようなポジティブさは心を健康に保つためにも重要だろう。彼女自身、意識してやっている訳ではないようだが。

 用のないコンビニからは早々に立ち去ろうと出口へ歩き出した、その時だった。


「グが、ガぁァ……」


 人間の存在に気が付いたのか、二体のゾンビがこちらに歩みを進めていた。


「うわっ、来た……」

『双笑、「交代」したら視覚の共有切っとけ。また気持ち悪くなるぞ』

「……ううん、大丈夫」


 頭の中で響く『声』には双笑を案ずるような色が込められていたが、彼女は小さく震える手をぐっと握って首を振った。


「ずっと任せっぱなしじゃ良くないって思うの。戦いは任せるしかないけど、せめて見届けないと」

『……分かった。だが無理はするなよ』

「うん、ありがと」


 短く礼を告げると、双笑はぶかぶかのウインドブレーカーの袖を握って、両目を瞑って深呼吸をした。そしてその直後、ふらっ……と双笑の体が傾く。体は意識が途切れたように前へと倒れ、


「お願いね、隻夢ひとむ


 その言葉を引き金にしたかのように。

 床へ倒れるより速く、地面を踏みしめた右足によって体は支えられた。


『ああ。任せろ、


 危うく倒れそうな所から持ち直した彼女の口から、そんな言葉が出て来る。

 その身にまとう雰囲気は見る者をピリピリと焦がすような緊張感に満ち、迫るゾンビを見据えるその瞳は攻撃的な光を宿していた。


 そのどちらもが、『双笑』には無いものだった。


「こっからはオレの仕事だ……!!」


 先ほどまでは、迫るゾンビへと言い放った。

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