第20話
その時だった。小塚の背後から誰かが飛び出したかと思うと、一瞬で小塚を羽交い絞めにした。後ろからぎりぎりと締め上げられ、小塚は苦痛の声を上げてナイフを取り落とす。小塚を羽交い絞めにした人物はナイフを足で蹴っ飛ばすと、蒲田に向かって叫んだ。
「蒲田、今だ!」
そこにいたのは竹部だった。先の一瞬、蒲田はケーキ屋の店内にいる竹部の姿を見て取ったのだ。
蒲田は頷くと、大前で小塚の方へ歩いて行った。竹部から逃れようともがいている小塚の眼前で立ち止まり、冷厳な声で告げる。
「小塚来人。暴行及び銃砲刀剣類所持法違反の現行犯で逮捕する」
蒲田はそう言って今度こそ小塚の手首に手錠をかけた。小塚はなおも身を捩って暴れていたが、しばらくすると疲れたのか、やがてぐったりとして動かなくなった。
「ったく、手間かけさせやがって。最初から大人しく捕まってりゃあいいのによ」
竹部が苦々しげに言った。そこへ路地から応援の警官が駆けつけたので、竹部はそのまま小塚の身柄を引き渡した。
「にしても驚いたぜ。何か外が騒がしいと思ったら、若造がナイフ振り回して、さっきまで店にいた和服の姉ちゃんが人質にされてて、しかも向かいにゃあ手錠持ったお前が立ってるじゃねぇか。ったく、俺はケーキ買いに来ただけだってのに、どうしてこんな目に遭うんだか」
竹部が仏頂面で耳の穴をほじくった。竹部は偶然にも久恵と同じケーキ屋にいたらしい。そこで外の騒ぎを聞きつけ、事態を読み取って加勢したというわけだ。
「警部……。ホシ逮捕へのご協力、心から感謝申し上げます」蒲田が両手を身体の横につけて頭を下げた。「あの場に警部がいなければ、どうなっていたかわかりませんでした」
「まったくだ。第一お前は爪が甘ぇんだよ。あいつを逮捕するならさっさとすりゃあよかったんだ。それが逃げられて人質まで取られました、じゃシャレになれねぇぜ」
「ええ……。本当に面目ありません。今後はこのような失態を演じないよう、今以上に気を引き締めて職務に当たってまいります」
蒲田が背筋を伸ばして言った。堅苦しい反省の弁に竹部は苦笑したが、すぐに気を取り直したように蒲田の肩に手を置いた。
「ま、そこまで恥じ入ることもねぇよ。お前が奴の注意を引いてくれたおかげで、俺は奴に気づかれずに近づくことができたんだからな」
「えぇ……。ですが、あのような方法で本当によかったのでしょうか? 奴の注意を引くことには成功しましたが、逆上して人質に危害を加える危険性があったのではないかと反省しているのです」
蒲田が渋面を作って言った。ケーキ屋の店内に竹部の姿を認めた蒲田は、竹部の身振り手振りから、彼が小塚を取り押さえるつもりであることを察した。小塚の注意を引く方法として蒲田が咄嗟に思いついたのが、相手を煽るようなあの言動だったのだ。
「あぁ……。まぁ、危険はあったかもしれねぇが、ある程度は仕方がねぇさ」竹部が頭を掻いた。「お前が奴を挑発したから、奴は頭に血が上って、ドアが開く音にも気づかなかったんだ。ただ話をするだけじゃあ、あそこまで上手くはいかなかっただろうよ」
「そうかもしれませんが……警察官たる私が、一般市民の方を危険に晒してしまったかと思うとやり切れず……」
蒲田が眉間に深い皺を刻んだ。どうあっても反省の姿勢を崩せないらしい。竹部は苦笑して蒲田を見たが、そこでふと、蒲田の背後にある人物が立っていることに気づいた。
「……ところで蒲田、そこの姉ちゃんが、お前に何か言いたいことがあるみたいだぜ」
竹部に言われ、蒲田ははっとして振り返った。2人から少し離れたところで、久恵が伏した目をちらちらと上げて蒲田を見つめている。
「久恵さん……」
蒲田が呟いた。その一言で何かを察したのか、竹部が急に腕時計に視線を落とした。
「あーあ、もうこんな時間かよ。早く帰らねぇと娘に怒られちまうな。じゃ、蒲田、後は頼んだぜ」
竹部はわざとらしい口調で言うと、ケーキの包みを抱えてそそくさと路地の方へ行ってしまった。急に態度を変えた竹部を、蒲田は訝しげに見やる。
「蒲田様……」
久恵に呼びかけられ、蒲田は慌てて振り返った。久恵の顔には心労が滲んでいる。だが無理もない。何せさっきまで人質に取られていたのだ。その原因を作ったのが他ならぬ自分だと思うと、蒲田は久恵の顔をまともに見ることができなかった。
「久恵さん……。この度は本当に申し訳ありませんでした」蒲田が深々と頭を下げた。「私が未熟なばかりに、あなたを危険な目に遭わせてしまい……」
「いいえ、蒲田様のせいではありませんわ」久恵が優しく言った。「それに蒲田様は、私を助けてくださったではありませんか」
「あれはたまたま上司がいたからできたことです。私1人では、あなたを助け出すことは到底できませんでした。
それに……作戦とはいえ、あの男を挑発することにも危険があった。場合によっては、あの男は本当にあなたを傷つけていたかもしれない。もし……あなたが、私のせいで命を落としていたらと思うと……」
握り締めた蒲田の拳に力が籠もる。本当に、自分は何をやっているのだろう。犯罪者から市民を守るために刑事になったはずなのに、一番肝心な時に、大切な人を守ることができなかった。
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