勇者の娘に尊敬され、魔王の孫娘に買い被られる~俺はただ、音楽が好きなだけなのに~

@yayuS

第1話 メイシロウ

 茂みに身を潜めた少年は、気を紛らわすように空を見上げた。 


 天に向かって幾重にも枝分れした木々が空を覆う。葉と葉の隙間から漏れる光。地面には、木漏れ日を少しでも吸収しようと葉を大きく広げる植物があった。


 夜中の内に雨が降ったとは思えない晴天だった。植物の葉を伝う雨粒と、僅かに湿る土だけが、雨の事実を告げる案内人として、身を潜める青年――メイシロウに訴えていた。

 樹木から垂れた雨粒がメイシロウの頬を伝う。


 黒のTシャツに、黒のジーンズ。腰には鉄製のチェーンが、何を付けるでもなくぶら下がっていた。艶やかな黒髪は、優しい瞳の右側だけが金色に染まる。

 金という派手な色相が似合わぬあどけなさ。幼子のような無邪気な表情を、メイシロウは厳しく強張らせた。


「よし……。来たぞ!」


 メイシロウが視線を向ける先には、一匹の魔物がいた。

 緑のトサカと羽先が特徴的な魔物――回復鶏キュアトリ。薬草を好んで食べることから、そう名付けられた。


 回復鶏キュアトリは、茂みに隠れたメイシロウに気付いていないのか、餌を探して一歩、二歩と近付いてくる。魔物は人の気配に敏感だ。呼吸すらも感じ取られぬようにと、息を止める。

 回復鶏キュアトリとの距離が、数メートルとなったところで、


「今だ!!」


 メイシロウはそれぞれの手に握っていた物体を、自分の身体の前で打ち付ける。平たい円形同士がぶるかると、「バァアン」と、森の中に轟音と呼ぶに相応しい破裂音が響いた。


 突如として響く音に驚いたのか、回復鶏キュアトリは、臀部でんぶから小さな卵を落とし、森の奥へと逃げ去った。


 薄い緑色をした卵をメイシロウは拾う。卵の殻には、表面に細かな凹凸があるのか、ザラリとした感触と、産み落とされたばかりの暖かさとぬめりがあった。


「よし! 今日も回復鶏キュアトリの卵ゲット。これがあれば、美味しいお菓子が作れるみたいだからね」


 メイシロウは目的の素材を手に入れたことに対し満足して頷いた。


回復鶏キュアトリが、シンバルの音が苦手だってしれて良かったよ。僕はいい音だと思うんだけどな」


 メイシロウは脇に抱えたシンバルに視線を落とす。どこまでも反響するような深みのある音がメイシロウは好きだった。


 目的である回復鶏キュアトリの卵を手に入れたメイシロウは、森の中を引き返していく。徐々に樹木の数は少なくなり、太陽の光が強くなる。

 森の入口に作られた建築物が、生き生きと照らされていた。

 横に倒れた正八角柱。均等に伸びた辺の一つが地面に触れていた。正面に回ると大きな扉が設置されていた。まるで、クッキーを張り合わせたような扉。その上には【菓子屋 Re:過去】と書かれた看板が掲げられていた。


「ただいま!」


 メイシロウはクッキー模様の扉を潜って中に入る。扉に吊るされた風鈴の穢れない涼し気な音が「カラン」と響いた。

 同時に香ばしいバターと砂糖を焦がしたカラメルの匂いが、胃を誘惑するように鼻孔をくすぐる。朝食は食べたばかりのはずなのに、匂いに刺激されたメイシロウの胃が「グルル」と動く。


「お帰り!! 今日は卵取れた! ねぇ、取れた!?」


 メイシロウを待ってましたとばかりに、ケーキを陳列するショーケースから、ぴょこりと空色と桃色の交じり合った髪が除いた。

 ショーケースに隠れた人物は、跳ねた髪を揺らしながら移動する。ぴょこりと通路口から顔を覗かせたのは、天真爛漫な笑顔だった。

 白を基調としたコック服を、桃色と空色でマーブルカラーに染色しており、耳に掛けた眼鏡も桃色と空色に分かれていた。

 桃と空色の二色が自分のテーマカラーだと強く主張する少女。

 彼女の名は、リカコ=ギャラティ。

【菓子屋 Re:過去】の店主だった。


「おお、その手に握ってるのは、念願の回復鶏キュアトリの卵じゃない! 頂戴!!」


「勿論です。一個しか取れなかったんですけど……」


 メイシロウは握っていた卵を手渡した。


「おお!! まだ暖かいよ! 温もりを感じるよ!」


「……それは、そうですよ。だって、僕がずっと握ってたんですから」


 生まれたては回復鶏キュアトリの熱だったが、森を出るまでにその大半はメイシロウの熱と混ざり消えていた。


「ま、そんなことはどうでもいいよ! 最近は魔物たちが姿を見せなくなったからさ~。見掛けることすら稀になってきたよね。本当、メイシロウがどうやって卵を手に入れてるのか知りたいよ」


 リカコはメイシロウが抱えるシンバルを見つめる。その目は、「どうやったら、それで卵が手に入るんだろう?」と訴えていたが、口にすることはなかった。疑問を投げかけるよりも、一刻も早く新鮮な卵を使ってお菓子を作りたい思いが勝ったようだ。両手で卵を綿毛のように優しく包み厨房へ戻っていった。


「ふん、ふん、ふ~ん」


 鼻歌交じりに作業を始めるリカコ。ここまで喜んでもらえるのならば、卵を取ってきた甲斐があるというものだ。

 もっとも、メイシロウがリカコにお菓子の材料を提供するのは善意からじゃない。そわそわと身体を動かすメイシロウが、視界に入ったのかリカコは厨房の床を指差した。


「もう。そんなに身体をクネクネされると気になるじゃんか~! メイシロウも早く楽器を奏でたいんでしょ? 今日も好きに使っていいよ!」


 リカコは握っていた泡だて器を楽器に見立てて弦を弾く仕草をする。メイシロウは待ち望んだ言葉に、自然と頬が緩むのを感じた。


「ありがとうございます!」


「うんうん。そこまで喜んで貰えるなんて、旅に出た父親も喜んでいるよ」


 メイシロウはリカコの言葉ごと飛び越えるように、厨房の奥へ駆けだした。

 早く、早く楽器に触れたい。

 厨房の奥には居住スペースに繋がる階段があり、二階は生活用、地下は防音室となっていた。階段を駆けおり、厚みのある防音扉に手を伸ばした瞬間、


「はい、どーも!!」


 風鈴の清らかな音を壊すような乱暴な声が聞こえてきた。

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