第4話 オアシスと常連客
レトロ・アヴェから歩くこと約十五分。
見慣れた看板は見えているものの、未だ目的地は遠い。リュックを背負った背中は、汗がべっとりとシャツに染み込んでいるのを感じる。
全くもって、気持ち悪い。
後ろに歩く男が前に居れば、多少は日陰になっただろうに。
俺は恨めしげにチラリと視線を向ける。長袖のジャケットを着ている天神は、涼しげな顔で、汗一つかいていないよう見えた。
それにしても、似たような道の連続は距離感を狂わせる。
暑さにも負けず、草木は生い茂る。風一つ吹かないまま、ひたすら歩き続け、看板が見えてから
俺はやっとオアシスに足を踏み入れる。
軽快な音が鳴り、透明な自動ドアが開いた。
腰をかがめてスイーツを並べる、オーナーが目に入る。今日も毛髪の一部が涼しそうだ。
「こんにちは」
「あれ、早川くん? 今日、入りだっけ?」
「いえ、違うんですけど……」
品出し中にも関わらず、おっとりとしたオーナーは俺の質問を
勤続三十五年、龍山一筋。
常日頃から口癖のように言っていたが、事実、訪れる客についてもよく見ているようだった。
「小さな女の子といつも一緒に来ている老婦人? ああ、
「昨日、その佐伯さんのお孫さんが一人で来ていたじゃないですか? それがちょっと気になっていて」
「うーん。そう言えば、佐伯さん自身を一昨日から見ていないかもしれないなあ。毎日来ていたのに、突然来なくなるとちょっと心配になるよね」
このオーナーが四六時中コンビニに居るのは知っていた。しかし、佐伯カコという老婦人が毎日来ていたことには驚いた。よく見かける程度ではない。
突如、俺の背後を陣取っていた天神が前に出る。立派な背中で、俺の目前が覆われた。
「突然、失礼。佐伯カコさんの住んでいる場所は、ご存知でしょうか?」
至って常識的な質問の仕方。相変わらず、声は良く通るものの、さほど広くはない店内に適した声量。常にスポットを浴びているような彼の言動しか見ていなかった俺は、
「うーん、それはちょっと分からないなあ。この近所だって話は聞いたことあるけど」
オーナーは申し訳なさそうに眉尻を下げて答えた。
まあ、それもそうだろう。
たとえ知っていたとしても、教えてくれるはずがない。個人情報の取り扱いが厳しい昨今、容易く住所が手に入るわけがないのだ。名前が分かっただけでも御の字と言ったところだろう。
俺の視界を
俺はやれやれと肩を落とし、天神の背中を叩こうとしたときだった。
「あら、あたし知っているわよ? ここから少し行ったところに、オレンジ色の壁のアパートがあるでしょう? あそこの一階にカコさんは住んでいるのよ。彼女がどうかしたの?」
晴れの日も、雨の日も、風の日も、雪の日も。いついかなる時でも、シロクマアイスと期間限定チロルチョコを買っていく。
この人もまたウチの常連客だった。今日も彼女の手には、シロクマアイスとチロルチョコが握られている。
「いえ、少し心配になりまして」
クルリと身体の向きを変えた天神は、絵に描いたような好青年を演じる。態度。口調。表情。
初めて会った人は確実に騙されるだろう。俺も、レトロ・アヴェで彼と話していなければ、騙されていたかもしれない。それ程までに、完璧な
「そう言えば、今日のゴミ出しの時も見かけなかったし、あたしも心配していたのよねえ。ちょっと、見てきましょうか?」
「よろしければ、ぜひご一緒させてください」
「良いわよ。じゃあ、行きましょうか」と、早速出入り口に向かう女性を天神は静止する。
「ああ、申し訳ありません。その前に、ここで買いたいものがあるので、少しだけお待ちいだけますか?」
要望の
彼は返答を聞くことなく、店内の奥へと早足で歩いていく。なんだ。やはり、彼は間違いなく天神一だ。俺は小さく安堵した。
取り残された俺たちはすることもない。店内にある小さなカウンターに座った女性は、無言でシロクマアイスを食べている。どうにも気不味い。
仕方なく、俺は取り留めのない言葉を放った。
「急なお願いをして、すみません」
「良いの、良いの。あたしもカコさんに会いたいなと思ってたから。それよりも彼、良いわね。礼儀正しいし、イケメンだし。お酒は飲めるのかしら?」
「いや、未成年のはずなので、お酒は……」
「あら、そうなの? 残念。飲める歳になったら、是非、ここに来て」
差し出されたカードには、バー・セカンド・ハウスと書いてあった。裏面には、
「美和?」
「あたしの名前。あのイケメンくんと一緒に来てくれるのを待っているわね」
「あ、はい……」
釣られるようにして返事をしてしまったが、しくじった。ご機嫌な美和が気付いていないのは幸か不幸か。あの男とは今後関わるつもりなど毛頭もなかったというのに、変な約束をしてしまった。気まぐれで投げたボールが、とんでもない魔球で返された。
苦々しい気持ちでいると、
「何を買ったの?」
「ん? 氷とポカリ、水、冷えピタだよ。あとはフェイスパウダー。貴殿も欲しいかもしれないけれど、我慢してくれたまえ」
「いや、いい。……フェイスパウダー?」
「必要かもしれないと思ってね」
天神は、声量こそ小さいが口調は変わらず、堂々と言い切る。
親切にもエコバッグを広げて中を見せられた。確かに何本かのペットボトルと氷が入っている。
青と白でコーティングされた大きな箱は、冷えピタか。そうすると、ペットボトル山脈の谷間に引っかかる小さな箱がフェイスパウダーなのだろう。
彼の思考が読めなかった。
わざわざコンビニで高い金を出して定価の飲料を買う意味も。これから歩くのに重い荷物を増やす意味も。そこにある、フェイスパウダーの意味すら分からなかった。
ぐるぐると思考の波に囚われた俺は、いつの間にか出入り口で立ち止まっていたらしい。「行くわよー」という
あっという間のオアシスタイム。別れを告げる時も呆気ない。気の抜けたサイダーのような、「よろしくー」というオーナーの言葉を背に、俺たちは美和の後ろをカルガモよろしく着いていくこととなった。
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