第38話
一夜明け、彼らは言葉少なに挨拶をかわしてから、朝食の席に着いた。やはり昨晩の出来事からか、みんなの表情は明るくない。普段ならば空っぽの胃を刺激するであろう焼きたてのパンの香りにも、皆の食欲はまったく上向かない様子である。
思えば、最初の事件からずっとこんな感じが続いているなと、アンリは肩を竦めた。
「まあ、なんていうかさ。どんなときでも、やっぱり朝食ってのは人間にとって大事なモノだと思うんだよね。一日の始まりに摂るエネルギーこそが、その一日を左右するわけだし」
パンにバターを塗りたくりながら、アンリは誰に言うでもなく言葉を零し続けている。それが彼なりの気遣いであることは皆理解していたが、かと言って彼の話に乗れるような元気もなかった。それでも彼はマイペースに続ける。
「こういう時だからこそ、落ち込んでるだけじゃどうにもならないんだよ。何事も前向きにいかなきゃ。ほら、よく言うじゃない、ピンチの時こそチャンスありってさ。まあ、言ってみればさ、〝毒を薬に変える〟ことこそが、僕ら魔法使いの本分なんだろうしね」
そう言って、アンリが千切ったパンを口に運ぼうとしたとき、不意に結羽が口を開いた。
「――それってなんだか、干し柿みたいですよね」
「え?」
そのあまりにも唐突な言葉に、彼は口を半開きにしたまま、思わずパンの切れ端を皿へと落としてしまった。結羽は少しばかり躊躇するも、思い切ってそのまま話を続る。
「あ、えっと……ほら、干し柿って、渋くて食べられない柿の実を、甘く、美味しくさせちゃうじゃないですか? それもなんだか魔法みたいだなって思って……わたし、昔から大好きなんです。今くらいの季節……冬になると田舎のおばあちゃんがいつも作ってくれて」
「なるほど、柿か……それは面白い発想だね」
「『KAKI』? オイスターのことですか?」
なんとなく聞き覚えのあった日本語に、記憶を思い返しながらソフィアが尋ねた。
「あ、ううん、そっちの“カキ”じゃなくて……ええと、柿って英語でなんて言うんだっけ……」
その問いに結羽が言いあぐねていると、
「ああ、柿はパ――」
「パーシモンだろ? でも、それはニュアンス的には柿の木の方だ。果実をのことを言うなら、イスラエル産の品種が流通したことで、シャロンフルーツって名前でも知られてるな」
アンリが口を開こうとしたとき、横から獅宇真がさらりと解説を述べた。
「そうなんだ! 獅宇真って意外と物知りだよね!」
「だから、意外とは余計だ!」
「…………」
すると、何故だか妙に哀愁を漂わせて項垂れているアンリを、結羽が心配そうに見やる。
「どうしたんですか、アンリさん?」
「……う、ううん。なんでもない」
アンリは力なくかぶりを振ってから、すぐに気を取り直し、考え込むように唸った。
「それにしても、干し柿か……」
ドライフルーツは本来、生のままでも食べられる果実を、長く蓄えておくための保存食として発達してきた。
当然、干し柿も保存食としての意味合いはあるだろうが、それでも元々渋みが強すぎて生食に適さない渋柿の実を、〝天日に干す〟ことで食べられるようにしてしまうのは、世界的に見ても珍しい部類と言えるだろう。――なるほど、だからか。
「――ありがとう、結羽ちゃん! キミのおかげで謎が解けた!」
アンリは一気に表情を明るくし、子供のようにはしゃいだ。
「えっ、どういうことですか?」
「事件の真相がわかったのか?」
結羽と獅宇真が声を上げるが、彼の口から出た答えはその期待を大きく外すものだった。
「いや、僕が試作したフォンダン・オ・ショコラに足りないものさ!」
「……お前というやつは」
ジルベールは心底呆れたように額に手を当てた。対して、アンリはさらに告げる。
「まあ、そう言うなって。ある意味、それこそが真相そのものかもしれないよ?」
どういうことだ、とジルベールが聞き返すより先に、彼は続けて獅宇真に問いかけた。
「そうだ、獅宇真くん。朝食を食べ終えたら、ちょっとお使いを頼まれてくれないかな? 僕の知り合いがやってる日本食材の専門店でいくつか買ってきて欲しいんだ」
そう言ってアンリから手渡されたメモに一通り目を通し、獅宇真は首を傾げる。
「いいけど……これ、煮物でも作る気か?」
◇◆◇◆◇◆◇
獅宇真に用事を頼んだあと、アンリはもう一度シャルロットに会うため、外出していた。
昨夜は
「――アンリ・フェルメール君だね?」
不意に後ろから呼びかけられた。なんだかつい最近も同じことがあったなと思いつつ振り返ると、そこにはいかにも高級そうなスーツと外套を着た初老の紳士の姿があった。
なんとも厳めしい顔立ちの男で、同じ紳士でも温和なジェームズとはまた違ったタイプと言える。
「失礼ですが、どちらさまでしょう?」
「名乗るほどの者じゃあない。君にひとつ聞きたいことがあってね」
アンリが訝しげに紳士の姿を見定めていると、彼はおもむろに切り出した。
「……君は『エリクシール』というものはご存じだろう?」
「なんですって?」
「エリクシールだよ。すべての魔術師や錬金術師たちが追い求める究極の秘宝の名を、まさか知らないとは言わんだろうね? フランドルの《
あの医師と同じく自分を〝薬屋〟と呼ぶ紳士……どうやら、彼らの中では自分は随分と有名人らしいが、正直ちっとも嬉しくない。アンリはなんとも面倒くさそうに肩を竦める。
「ムッシュー。現代は多様性の時代です。芸術を志す者が皆同じ価値観を持っているわけではないのと同様に、僕は興味のないものには見向きもしない主義なんですよ」
「君はそれでも本当に魔術師なのかね?」
「さて、どういう意味でしょう?」
とぼけるなとでも言いたげに、紳士はアンリを射るような視線で睨んだ。その表情には明らかな苛立ちが浮かんでいる。
「エリクシールを作り出すことができれば、世界の真理を解き明かし、全知全能の力を手にすることができる。まさしくこれは、魔術師すべての悲願ではないか!」
「ですから、僕はそんなものに興味はありません」
「君はそれでも《
なおも冷淡に告げるアンリに痺れを切らしたのか、紳士は声を荒らげる。まったくどうして見ず知らずの他人にわけのわからない説教をされなければならないのかと、アンリは溜め息混じりにかぶりを振った。
「そんな風に呼ばれてたのは僕の祖父母の代までですよ。〝祖父はこれからの時代にそんな古臭いもん流行らねぇよこんちくしょい〟と言って、そういった肩書はすべて捨ててしまいました。ですから、今の僕は一介の菓子職人に過ぎません。お解かり頂けました?」
そのなんとも気の抜けるような話を前に、紳士は顔を真っ赤にして押し黙ってしまった。呆れ果てて物も言えないという心境なのだろう。
「……なるほど。所詮、異端者は何代経とうが異端者だということがよくわかった。やはり《エリクシール》は、この私が自ら完成させよう。あのトーマス・アリシエの娘という、生成の〝カギ〟が判明した以上、君などはもう必要ない」
紳士はもはや話にならないとばかりに、しゃがれた声で言い放った。
彼が合図するようにゆっくりと手を挙げると、どこへ控えていたのか、脇から数人の屈強な男たちがぞろぞろと現れた。彼らは懐のホルスターからそれぞれ拳銃を抜き出し、銃口をアンリへと向ける。
またこのパターンかと、彼はうんざりした様子で項垂れながら、静かに告げた。
「でしたら、先に言っておきますよ。それは貴方には絶対に作れない。何故なら――」
そう言いかけた時、銃を持つ男たちの後方から真っ赤なスポーツカーが轟音を響かせ、颯爽と飛び込んできたかと思うと、アンリの目の前にぴたりと停車した。
そして、スポーツカーの助手席側のドアが開くと、その中から聞き覚えのある女性の甲高い声が響いた。
「――お乗りなさい! さあ、早く!」
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