第39話 立ち向かう

「どう、して……」


 絶句するアンドリアナをよそに、エーデルはこちらに歩み寄ってくる。


「エーデル! その姿は……!?」


 サーシャが驚くのも無理は無い。彼女の服は、あちこちが焼け焦げていた。


「貴女程度の魔力では、あの扉を開けられないはず、なのに……」


 アンドリアナの呟きに、オルフェリオスが眉を寄せる。


「アンドリアナ、どういう事だ? エーデルは婚姻の為、とある貴族の元に向かったと言っていただろう?」


「あら。そんなお話になっておりましたの。なるほど、悪くない筋書きですわね。……でも残念ながら、わたくしにそんな浮いた話はありませんわ。わたくしはただ、学院の書庫に閉じ込められていただけですもの」


 エーデルに真実を明らかにされ、アンドリアナは、ぎりりと歯を噛み締める。


「……どうやって、あの部屋から脱出を?」


 問われたエーデルは、得意気に笑って答えた。


「普通に、手で押し開けましたわ。……その前に、鍵には『溶けて』もらいましたけど」


「鍵を……溶かした? でも貴女の魔力では、そんな高温の炎を発生させられる訳が――」


「仰る通り、炎では無理ですわね。ですがわたくしは、ある種の魔術においては多少の心得がありますの。幸運にも、素材は大量にありましたし」


「大量に……? あそこには本があるだけで――」


 そこで、アンドリアナは気付いた。


「まさか――本を?」


 エーデルは、こくりと頷いた。


「製本に使われる紙は、その製造において漂白という工程を踏む――その際に使われる薬品に、微量ながら金属を溶かす成分も含まれております。さすがに錠前を溶かすだけの量を抽出するのには骨が折れましたし、薬品が跳ねて服がボロボロになってしまいましたが……こうして無事、書庫からの脱出に成功致しましたわ。それと、書庫の本はあらかた駄目になってしまったので、後で弁償してくださいませ」


 エーデルの機転に、アンドリアナは苦々しい表情を浮かべる。


 施錠の魔術はあくまで鍵を通さなくするもの。錠前自体の破損に対抗するものではないのだ。


「……さて、アンドリアナ様。わたくしは貴女の『何故』にお答えしましたわ。次は、わたくしの『何故』にご回答頂けますか? すなわち、『何故』貴女が、このような手段を選ばれたのか」


 逆に問われたアンドリアナは、ちらとセレンに目をやり、答えた。


「……私は、私はただ、セレン様と一緒に迷宮探索を……」


 突然名を呼ばれ、セレンは「えっ」と声を上げる。


「自分と……何故?」


「それは、私が……あの……」


 顔を覆い、黙ってしまうアンドリアナ。困惑するセレンに、エーデルは面倒とばかりに指を突き付けた。


「アンドリアナ様はね、貴女をお慕いなさっておいでなのですよ」


「は――はぁ!?」


「まあ、そんな事は置いておきまして――」


「いや置いておくなよ!?」


 セレンの叫びに耳を貸さず、エーデルは改めてアンドリアナに問うた。


「――わたくしが知りたいのは、貴女の『動機』ではなく、この手段を採った『理由』です。セレンへの恋情を示すなら、他に機会はありましょう。選ぶなら、より穏便な手段もありましょう。しかし貴女が選んだ一手は、セレンと結ばれるという目的からすれば完全な下策――まるで、わたくしを『迷宮探索に参加させない』かのような手段を、どうして聡明な貴女が選んだのです?」


 そう問われ、アンドリアナは叫んだ。


「そ、そんなの決まっています! 貴女がいなければ、貴女がいなければ――あれ?」


 そこで、彼女の思考が止まる。


「え……あれ? 私、どうして? 何でエーデルさんを監禁しなくてはと……セレン様と、迷宮探索に……いや、だって――」


 アンドリアナは震えながら自問を続けている。焦点の合わない目、血の気の引いた顔には大粒の汗が浮かび、その様子は明らかに尋常ではなかった。


「アンドリアナ様! 落ち着いてくださいませ!」


 エーデルが彼女の肩を掴んで呼びかけるも、彼女はぶつぶつと呟き続ける。


「わ、分からない……どうして私、エーデルさんを閉じ込めなければいけなかったの……? でも、でもそうしないと……私、私――」


 ふと、アンドリアナの身体が、がくりと力を失った。


「……っ!?」


 エーデルは彼女を抱えたまま、ゆっくりと床に寝かせる。


「……気を失っているだけのようですわ」


 サーシャもセレンも、そしてオルフェリオスも、その表情は青ざめていた。




 アンドリアナが倒れてから数刻後。


 エーデルとサーシャは、再びあの『会議室』にいた。


 互いに無言のまま、重い空気が流れている。


 不意に、部屋の扉が開かれる。入室してきた二人は、オルフェリオスとセレンだった。


 オルフェリオスは羽織っていたマントを脱ぐなり、エーデルとサーシャに告げる。


「……アンドリアナは、大丈夫そうだ。今はまだ意識が戻っていないが、眠っているだけで、命に別状は無いとの診断だった」


 エーデルもサーシャも、ふう、と胸を撫で下ろす。


 そこに、重々しい声で、セレンが口を開いた。


「ただ……魔術が使われた痕跡があると。恐らく、催眠系の魔術だ」


「……催眠の魔術? そんなものが存在するのですか?」


 眉をひそめるサーシャに、エーデルは言う。


「存在はすると、聞いた事がありますわ。ただ、他者を思い通りに操れるような、そんな都合のいい魔術ではなかったと思いますが……」


 エーデルの言葉に、オルフェリオスが頷きながら席に着いた。


「エーデルの言う通り、催眠の魔術は存在する。が、実際に使われる事は滅多に無い。精々が感情の増減――悲しみや喜びといった心情を一時的に動かすだけだからな。彼女がどういった感情を操られたのかは分からないが……」


 セレンもまた椅子に腰掛けると、苦々しく言葉を吐き出す。


「それより重要なのは、魔術を使用した『何者か』が、何故そのような真似をしたのか――だ」


 それは、問いではない。その場の誰もが理解していた事の、確認に過ぎなかった。


「……迷宮探索で、サーシャの命を狙う為、ですわね」


 エーデルの発言に、全員が首肯した。他に理由は考えられなかった。


「ここにまた集まってもらったのは他でもない、サーシャの今後について話し合う為だ。……私は正直、もうサーシャを学院に通わせるのは限界だと考えている」


 暗い調子のオルフェリオスに、セレンも苦々しく賛同した。


「……自分も同意見です。上級貴族の子息に魔術をかけられるような者がサーシャ様のお命を狙っているとしたら、我々だけでお守り出来る相手ではありません。しかもアンドリアナは、エーデルがサーシャ様の護衛である事まで知っていた」


 サーシャは悲しそうな表情を見せたが、二人に抗議する事はなかった。彼女も、事態の重さをよく理解していた。


「……ですが」


 しかしそれでも、エーデルは言った。


「これを逆に、好機と捉えてみては?」


「……どういう意味だ?」


「ここまであからさまに向こうが仕掛けてくるなら、あえてそれに乗り、尻尾を捕まえるのはいかがでしょうか」


「……サーシャが狙われているのを知ってなお、彼女を危険に晒すつもりか?」


 オルフェリオスの眉に、深い皺が刻まれる。


「無論、サーシャの危険は承知の上ですわ。しかし、サーシャにとって安全な場所とは何処ですの? お忘れですか、彼女は王宮の中で、何者かに毒を盛られたのですよ」


「……っ!」


 エーデルの発言に、オルフェリオスは言葉を詰まらせた。


 確かにエーデルの言う通り、王宮が完璧に安全という訳ではなかった。今は王宮にいる間、セレンが護衛として常にその隣にいるが、彼女とて不眠不休でサーシャを守っている訳ではない。どこかで隙を突かれる可能性は十分にある。


「……危険を恐れて閉じこもるより、犯人を捕らえる方がずっと安全だと、わたくしは考えますわ」


「……サーシャ。君はどう思う?」


 オルフェリオスに水を向けられ、サーシャはその手を強く握って答えた。


「私も、エーデルに賛成です。このまま怯えて暮らすより、私も覚悟を決めて戦います!」


 サーシャの意気に、オルフェリオスの表情が僅かに緩む。


「……まったく。我が未来の妻は勇猛な事だ。なあ、セレン」


「ええ。サーシャ様が王妃になられれば、我が国も安泰ですね」


 オルフェリオスとセレンは、共に苦笑を漏らした。


「――ではサーシャはこれまで通り学院に通い、二日後の迷宮探索にも参加せよ。ただし当日、我々四人は一組で行動し、単独行動は厳禁とする。我々のペアが続けて迷宮へ入れるよう、手を回しておこう」


 オルフェリオスの言葉に、場の全員が頷きを返した。

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