第3話 面会

 貴族の囚人に、平民である使用人が面会に来る事は、これまでも何度かあった。しかし、獄に繋がれた主人を慕って、などという殊勝な理由ではない。虐げられていた使用人が、地位も権力も失った主人を嘲笑い、溜飲を下げる為だった。おそらく、このメイドも同様だろう。


 しかし、収監された当日にとは。あの女、よっぽど恨みを買ってたんだな――


 メイドを連れて牢の前まで来た男は、鉄格子の向こうのエーデルに声をかける。


「おい、面会だ」


 そしてメイドに「面会時間は十分間だ」と告げると、看守用の椅子にどっかと腰掛けた。


「マリアじゃない! どうしたの、わざわざこんな所に」


 予期せぬ来客に、エーデルは目を輝かせる。しかしマリアと呼ばれたメイドは、はあ、とため息を吐いた。


「何かしでかすと思っておりましたが、まさか貴族の身分を剥奪されるとは……お嬢様に仕えていると、心臓がいくつあっても持ちません」


「あら。それならもう大丈夫よ。わたくしはもう、貴女の主人ではなくなったのだから」


 悪戯っぽく笑うエーデルに、マリアは肩をすくめた。


「まったく、牢の中でも減らず口は相変わらずですね。でも、お変わりないようで安心致しました」


 二人の会話を聞きながら、看守の男は顔をしかめる。何だ、この会話は。主人の没落を嘲り、罵るのではないのか……?


「お父様とお母様の様子はどう?」


「……お嬢様の想像通りかと。特に旦那様は、もう手の付けられない程の荒れ様です」


「まあ、そうよね。17年間手塩にかけて育てた大事な『道具』が、あと少しのところで壊れてしまったのですもの」


 もちろん『道具』とは、他ならぬエーデル自身の事だった。


「――では、時間も無いので手短に。お嬢様のお荷物は、私の方で保管しております。新たなお住まいが決まり次第、密かにお送りさせて頂きます」


「ありがとう、助かるわ。どうせ既に、私の部屋は片付けられているのでしょう? 私が、最初からいなかったかのように」


「……ええ。家具も衣服も、一つ残らず処分が決まっております」


 王子との婚約を破棄され、更には平民に落とされる――家名を汚しに汚した娘を、エーデルの両親が許さないのは貴族としては当然だった。しかしそれにしても、娘が平民になったその日のうちにとは。その素早い行動力に、エーデルは舌を巻いた。


「それと、お嬢様よりお預かりしておりました紹介状も、使用人全員に手渡しました。無論これも、旦那様と奥様には内緒で」


「さすがマリアね。貴女にお願いして良かったわ」


 ぐっ、と親指を立てるエーデル。マリアは呆れたように頭を振った。


「二百人を下らない使用人、全員に紹介状を手書きなさるとは……随分とお手間だったでしょうに」


「だって、貴族を辞めるのはわたくしのわがままですもの。それによってサンドライト家が傾く可能性を考えれば、使用人の皆に再就職先の世話ぐらいしておかないと。お父様の名で書いてあるから安心よ。筆跡も、出来る限り真似ておいたから」


 事も無げに言うエーデルだったが、紹介状というものはそう簡単に書けるものではない。それを全員分用意したという事はつまり、エーデルは二百人を超える使用人、その一人ひとりの働きぶりを熟知している事を意味していた。


「ご配慮に感謝します――ですが、あの紹介状を使う者は、おそらく一人もおりませんよ」


「どうして?」


 首をかしげるエーデルに、マリアは少しだけ口元を緩めた。


「受け取った皆が、宝物にすると申しておりましたから」


「えぇ……そんな御大層な物ではないでしょう?」


 この方はいつもこうだ――マリアは胸中で、過去に思いを馳せる。


 あの貴族第一主義に染まったサンドライト家の中で、使用人達がどれだけ、この破天荒な少女に救われていたか。


 願わくばまだ、その傍に仕え、成長を見守っていたかった――


 マリアは咳払いを一つして、再び口を開いた。


「それに、サンドライト家の使用人は全て、私がしっかりと教育してきました。紹介状など無くとも、再就職先には困りません」


「なるほど……それもそうね。マリアの厳しさは折り紙付きだもの」


 と、そこに看守の男が近寄って来て、言った。


「十分経過した。面会は以上だ」


 しかし、マリアは看守をじろりと睨み付けた。


「面会開始よりまだ八分二十秒しか経っておりません。あと一分四十秒、時間は残っております」


「な……」


 呆気に取られる看守に、エーデルは笑った。


「ごめんなさい、看守さん。マリアは時間に厳格な事で有名なの。使用人の間では、『大きなノッポの古時計』なんて呼ばれて――」


「……そう呼んだ者には例外なく、罰を与えてきましたが」


 マリアの鋭い口調に、エーデルは口の端を吊り上げて笑う。


「お生憎様。残念ながら、今のわたくしは格子の向こうよ」


「本当に、憎たらしいといったら」


 悪態をつきながらも、マリアの口元はほころんでいた。


「……さて、そろそろ時間ですね」


 言って、マリアは深々と頭を下げた。


「お嬢様の幸せを、心よりお祈り申し上げます。十七年間、お嬢様にお仕え出来た事は、このマリアの誇りです」


「ええ、私も楽しかったわ、マリア」


 そして、二人は互いに笑い合った。


 看守と共に牢から去っていくマリアを、エーデルは牢の中から見つめている。その時ふと、マリアの足が止まった。


「……明日からは、お忙しくなるかと」


 こちらを振り向かず、それだけ言うと、今度こそマリアは扉の向こうへと去っていった。




 守衛室まで来たところで、看守の男はマリアに尋ねた。


「忙しくなるとは、どういう意味だ?」


 牢の中の囚人が忙しくなるという理由が、男には見当もつかなかった。


「ああ、貴方にも申し上げねばなりませんでしたね。明日から、きっとご苦労なさる事でしょう」


 言われて、男はますます訳が分からない。


「どういう意味だ?」


 すると、マリアはその厳格な風貌には似つかわしくない、悪戯っぽい笑みで返した。


「お嬢様をお慕いしているのは、私だけではないという意味です」

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