悲しいゾンビは青い色、嬉しいゾンビはピンク色
白柳テア
てんさい。
ギリシャからインド北西にまたがる大帝国を築き上げたアレクサンダー大王。
冠位十二階の制を導入して才能による雇用を行った、聖徳太子。
ヨーロッパの大部分を掌握したナポレオン・ボナパルト。
カッ、カッ、カッ、と黒板に3人の世界史登場人物の名前が書きつけられる。
開始5分の、世界史の先生の小話コーナーが始まった。
「歴史的な偉人にも、昨今の起業家達にも共通してあるもの。それは、信念と行動です。それがあったから、支持者が現れ、素直に助言を意見を聞き入れ、自分も勉強を続け、前代未聞のことをやってのけた。この世の中を変えて行くには、まず社会に対して「問題意識」を持つ人間にならないといけないんです。その上で、どう変えたいかを「主張」して、「直ぐに行動に起こせる」人が社会を変えていく人なんですよ。社会を変えるのに、沢山のお金も元からの才能もいりません。信念と行動です。わかりましたか」
高校2年の夏休み前、世界史の先生の声に、熱がこもった。
声が上ずり、いきなりキャラが変わったのがおかしくて、あたしはその時、同意を求めようと右斜め3つ後ろの席のマサ君を振り返った。
「ねえ…」
その時、マサ君は、毎日のようにこっそり持ち込んでいた漫画の週刊誌「チャンプ」から目を上げていた。まるで死ぬ思いをして洞窟の真髄にたどり着いた考古学者が、心に穴が開きそうなほど透明な水晶体を発見した時のような顔で、先生を見ていたのを覚えている。
「ああそうか…!僕は…!」
マサ君は熱にうなされたように何かをつぶやいた。
その日を堺に、あたしの彼氏は変わってしまった。
あたし達の高校は、地元でも定員割れをするような底辺高校だ。
マサ君の本名は、
それまで静かに授業中に漫画を読んでいた控えめのマサ君は、その日から秀才に「変わった」。
マサ君は、「社会起業家になる」と言い出して秀才になる為の実績づくりを始めた。
あの日から、みっちりと2年間勉強をして、学生団体を立ち上げて海外の支部を作って社会へ働きかける人になった。それでもマサ君の全国模試の結果はいつも上位0.1%だった。
あたしは隣で、本当に呆れていた。
『男子、三日会わざれば
それから日本で一番偏差値が高い「東西大学」略称「東大」に独学で入学して、2年が経った。今はすっかり馴染んで、結構真面目に学生をやっている。
***
2023年、春。あたしは今、東大に忍び込んで、併設されているカフェテリアで彼氏と向き合いながらオレンジジュースをすすっている。
「マサくん、そういえば3年になったら、進路どうするの?」
この時期になると、みんなそろそろ卒業後の進路を決定する頃だ。
マサくんは近頃だいぶ悩んでたから、あたしは気になって聞いた。
「ああ、レナちゃんには言ってなかったっけ。僕、就職も、独立も、留学もしないことにした」
「え、そうなんだ。じゃあ、どうするの?」
「僕、ゾンビになることにしたよ。」
あたしはオレンジジュースを吹き出した。
「わ、わわわっ?何言ってるの?俳優とかスタントマンになるってこと…?」
「違うよ。本気でゾンビになるんだよ」
「ちょと、本当に本当に、あの、人間を襲う獰猛なゾンビになるってこと…?」
「うーん、そこは違うかな。僕は人を襲ったりしない。ただゾンビになるだけ」
「ごめん、ぜんっぜんわかんないだけど。なんでそんな意味不明なことを言うの…?」
「レナちゃん。僕がゾンビになるのは、生存戦略なんだよ」
「生存戦略……?」
「そう。僕、人間としてこの世界を生きていくのに、向いていないってわかっちゃったんだ。ゾンビって、凄くコスパがいいんだよ。まず、体が腐敗しているから細胞を衛生に保つ為の食料も水もいらない。体内を侵す菌が細胞を適度に休息させて、養分を与えて体を動かし続けるから睡眠による休息もいらない。だけど僕の脳だけは動きつづけて、意思はそこにある。そのうち、社会は、周りの人は、ただそこにいる僕に対して、何も期待しなくなる。それって、最高なんだよ。ね、僕、現実世界を人間として生きることがストレスになっちゃったんだよ」
それからマサくんは、学内の院生が開発に成功したという「ゾンビーノ・メディシン」の第一被験者になることで、本気で実行しようとしていると、あたしに伝えた。ことによると、5日間の投薬で、そのプロセスは完了するらしい。でも、なぜそれに参加するのか、全くわからない。
「何それ。何それ!?ねえ、それ、働かないし税もおさめないし勉強もやめるってこと?ねえ、人間やめちゃうの?」
ゾンビになるって、人間として「死ぬ」っていうことだよね?いくらマサくんが天才でも、こんな発言、あり得ない。5年も付き合ってきた、あたしについて全く眼中に無い言い方だ。
「それに、私はどうなるの?あたしのこと、本当にどうでもいいのね?あたしに相談しないでそんなの決めて。生きていくことが辛いコトもあたしに話してくれなかったじゃない。高校の時から頑張ったんじゃないの?どうして今更諦めちゃうの?」
「レナちゃんには、これ以上迷惑かけたくなかったんだよ。僕がゾンビになるのが嫌なら、もう君とは一緒にいられない」
はあ…。
そこまで聞いて、私は一度ため息をつき、俯いてマサ君にバレないように口角を上げた。
「いつかはこうなる時が来るって、わかってたんだよね……無理しちゃってさあ」
私は、一度オレンジジュースを側にスライドさせると、両手を組んだ。
マサ君は、残念ながら、本当のことを言っていない。
これは、ちょっとしたエイプリルフールの嘘みたいなものだ。マサ君のあたしを跳ね返すようなIQの低い言い方に、その2倍くらいのIQでしか理解できない事実が隠されていることを、知っている。嘘をつくのなら、もうヒステリックな弱い女を演じる茶番は終わりにしよう。
底辺高校に入学したあたしの名前は、
あたしは、地元の神童だった。小学3年生の時のIQは、170。
だけどさ…あたしがわざわざ底辺高校に入った理由…。それはちょっとした、地域からの要望からだった。その理由は、後で話すつもりだ。今はマサ君の問題が先だから。
人には、エネルギーの流れというものがある。ずっと生産性を維持する為のエネルギーを使い続けることは、人間には無理だ。だから私はここぞ、と言う時にエネルギーが発揮できるように、普段は省エネで生きて、物凄くエネルギーを使う時の為に、取っておいた。また、あたしのエネルギーを使う時が、来たようだ。
「あのさ。疲れて人間降りたいから投与する、その理由って、ほんっとうに小さい理由の一つだよね。本当の原因は、どこにあるの?」
マサ君は、一体何を隠しているんだろう。「頭が良くない」はずのあたしには、感情に訴えかければすんなりと受け入れて、諦めるとでも思っていたのか。
「え、ちょっと何を言ってるの、レナちゃん」
マサ君はあたしが初めて、発言に歯向かったことに明らかにどぎまぎしている。
「まずあなたにその薬を試そうとしている研究員について教えて」
マサ君は、まだ薬は投与していないはずだ。なのに、その冷や汗から何故か腐敗臭がした。
悲しいゾンビは青い色、嬉しいゾンビはピンク色 白柳テア @shiroyanagi
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