その5
僕たち三人が、左手にあった部屋の重い扉を押して開けると、そこには、ろうそくに照らされた長い廊下が見えた。壁には、一面中写真や絵が飾られている。
「ここは…?」
僕が尋ねると、モス夫人が一番手前の写真を手で指し示す。
「ここは、人間に命を奪われてしまった、私の子供たちの写真が飾ってある部屋なの。」
「おい、マジか…。何匹、いや何十匹もいるぞ…。」
レイブンも僕も、モス夫人の言葉を信じたくなかった。そのことを僕から聞いた橘さんは下を向いて、レイブンの服のすそを思わずぎゅっと掴んだ。
「私達人間が、命を奪ったの…?こんなに、たくさん?」
「もう昔のことなのだけれどね。私は、あの時のことを絶対に忘れたりしないわ。私の幼い子供たちは、虫を追い払う薬をまかれて、あっという間に、あの子たちは命を落としてしまった。」
モス夫人は、時々涙を流しながら、僕たちに子供達の話をしてくれた。亡くなった子供たちが今側にいればどんなに嬉しいか、と何度も言った。
「モス夫人、あなたは、私達人間のことが嫌い?」
橘さんがそう聞くと、モス夫人は僕たちを一人ひとり、少しの間見つめて少し微笑んだ。
「最初は大嫌いだったわ。だけどね、人が子供を思う気持ちは、皆同じだってことに気づいたの。私達の子供を追い払ったのは、子供を守るため。私だって、自分の子供を守るためなら、なんだってするもの。」
モス夫人は大きな悲しみを乗り越えて、今一人でここに暮らしているのだと思うと、僕たちはいたたまれない気持ちになった。モス夫人は、こうやって、いつまでも子供達のことを大切に思っているんだ。
「晴香(はるか)ちゃん、私からあなたに伝えたいことがあるの。母親は一度母親になったら、ずっとその子の母親であり続けるわ。あなたが嫌になって、逃げたとしても、晴香(はるか)ちゃんのお母さんは、あなたを気にかけるのを止めることはないのよ。」
その言葉は、橘さんの心にしっかりと伝わったみたいだった。橘さんは、その場でわっと泣き崩れると、何度も「ごめんなさい」と言った。
「私、本当は分かっていたの。お母さんもお父さんも、全部私のために考えて、厳しくしているんだって。私も、自分の言葉が伝わらないって信じ込んで、本当の気持ちを伝えるのを諦めてた。だけど、お母さんが本当に私を思っているなら、絶対伝わるわ。そうでしょう?」
モス夫人は、橘さんの言葉を聞いて、にっこりと微笑んだ。
「さあ、あなたは、まだ私達の「家族」になりたいかしら?」
「ううん。もういいの。私、家に帰る決心がついたわ。私の家族に、本当の気持ちを伝えるまで、やってみたいの。」
僕とレイブンは、「やったね」って、顔を見合わせて強く頷いた。
「モス夫人、ありがとう。あなたのおかげで、私、自分の家族にとっても会いたくなったわ。このゲームの中で、この素敵な街で、あなたに出会えたこと、決して忘れない。」
橘さんがモス夫人に気持ちを伝えると、モス夫人は安心したように頷いた。次の瞬間、また無数の蛾の姿に戻って、どこかへ行ってしまった。
「モス夫人の蛾の姿は、もしかしたら、夫人の子供達と一緒に飛んでいる姿かもしれないわね。」
橘さんの言葉に、レイブンが「そういえば」と思い出したように顔を上げた。
「「ヒューマノ」から元の姿に戻ったりすること…。あれ、俺も出来たりしてな。ま、いいや。ところで真琴、どうやって橘さんを家に帰すんだ?」
「それなんだけど…。」
僕は、こっそり考えていた計画を二人に話した。この街は、間違いなく僕たちの暮らす街の商店街をモデルに作られている。それなら、僕たちがこのゲームに吸い込まれた場所、「はみ出し者のアジト」をモデルにしている場所もあるはずだ。だったら、その場所には、必ず「人間の世界(ぼくら せかい)」へと通じるヒントが隠されている。だけどこの作戦を試すには、必ず「人間の世界(ぼくら せかい)」の協力者が必要になる。
「アジトを探すって言ったって、全く同じお店があるわけじゃないだろう?どうやって見つけるんだ?」
「確かに、そうじゃない。だけど、一番予想していなかったところに、ヒントは必ずあるんだ。例えば、二つのお店の特徴を思い浮かべてみるとか。」
レイブンは少し考えるような仕草をして、あっ、と声を上げた。
「お花屋さんとぼろいたばこ屋…。もしかして、「シャッターで閉まっているお店」と、「俺たちの見覚えのある花が咲いている場所」を探せばいいのか?」
「うん、レイブン!僕もそうだと思うんだ。」
僕たちの会話を聞いていた橘さんが、僕たちの予想の答え合わせをしてくれた。
「私、警察署に行くときに、不思議な色の花が飾ってあるお菓子屋さんを見たわ。」
橘さんは、そう言って、僕たちをその場所へ案内した。そこには、僕とレイブンがティナの屋敷の庭に落ちてきたときに見た、紫と黄色が混ざった不思議な色の花が、お店の外の花瓶に飾られていた。隣のお店を見ると、たばこ屋さんではなかったけど、古びた床屋さんの看板があって、シャッターで閉まっていた。間違いない。このお店の間が、「人間の世界(ぼくら せかい)」の「はみ出し者のアジト」だったところだ。
「さあ、行こう。この奥が、僕たちがこのゲームに入ったところに通じてるはずだ!」
僕たちが進んでいくと、「はみ出し者のアジト」と同じ、がれきの山になっている場所にたどり着いた。ここで、僕が試すことはただ一つだ。このゲームに入ってきた時と、逆のことをして、「人間の世界(ぼくら せかい)」への扉を開ける。僕は、左の袖をまくって、スマートウォッチを出した。僕が良く知っている、彼にメッセージを送る。
「無事に、橘さんを連れてきたよ。今、僕たちは「エスケープ・ワールド」の中のステージ1、「ファミリア・タウン」にいる。届いたら、返事をして。」
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