宛名のない手紙①

「ハワード、ルイスさんの部屋にこれが……!」


 ノックの返事も待たずに支配人室に飛び込んだオリビアは、メモ書きを執務机の上に置いた。

 

 こうしてオリビアが飛び込むのはめずらしくないのだが、ハワードは珍しくぎょっとしていた。ドアを開ける前にぼそぼそと話し声が聞こえたので、独り言を言っていたらしい。マナーのなっていないコンシェルジュで申し訳ないが今はそれどころではない。



 昨日の態度が気になったオリビアは、朝、ルイスの部屋を訪ねた。


 留守だったので出直した。いつものように日課である散歩に出ているのだろうと思ったのだ。しかし、待てどもルイスは帰ってこない。朝食の席にも現れていないようなので再び部屋を訪ねるも留守。


 つい気になってドアノブを回すと開いていたし、いつぞやの時のように鍵を開けっ放しで出かけているのか。不用心だなあと思ったオリビアは、部屋に備え付けの書き物机の上に鍵が置いてあるのが見えた。


 重い真鍮製の鍵は『精霊の間』のものだ。


 そしてその横には、


「世話になった」


 たった一行だけの短い書き置きが残され、ルイスの手荷物もすべてなくなっていた。


 大急ぎでフロント係のトニーに聞くと、早朝、荷物を持って出ていったという。


 ルイスはちょっとそこまで出かけると言った様子だったし、ホテルから引き上げるときは通常チェックアウトの手続きをとる。部屋の鍵を返却し、料金の精算をするのだ。


 もっとも、ルイスは特別扱いなので鍵の返却や料金の支払いなどはないが、それでもここを出ていくというのなら何かしら一言残していくものだろう。……と勝手に思い込んでいた。


「ハワード、何か聞いている?」


「いいえ。……鍵を置いて行かれたということは、もうこちらにはお戻りになられないということでしょうか?」


 そういうことなのだろう。


 ふらりとやってきたときと同様にふらりと去って行ってしまった。


 ぎゅ、と拳を握りしめたオリビアは、「ルイスさんがどこに住んでいるのかを教えて欲しい」と尋ねる。


「顧客台帳に書かれていませんでした?」


「書いてあったけど、あんなの嘘っぱちでしょう? だって、《ウェストレジデンス州、エーデルブルーメの谷、樫の木通り》よ?」


 地図で見る限り、辺り一帯は森になっており、集落などもない。


「それで正しいのでは? 森にお住まいなのでしょう?」


「おじいさまは手紙を出しているのよね? もっと正確な場所の地図か何かがあるはずだわ。手紙を町に留めているにしても、細長い森だもの。北側か南側かによって近い町も違うわ」


「……オリビアの言うとおりですね。この部屋のどこかに前支配人の残したメモなどがあるかもしれません。では探しておきましょう」


「今、必要なの」


 オリビアは食い下がった。


 ハワードの机には山と書類が積まれており、彼の仕事の邪魔をしてしまっているという罪悪感があったが――きっと今ここでルイスと別れたら、オリビアは後悔する気がした。


 住所がわかるのが一か月後、一週間後、いや、明日でも遅いのだ。


「お願い、ハワード。部屋の中を探させて。それから、ルイスさんを追いかけさせてください」


 オリビアの目の端で何かがちかちかと光った。


 書類などがファイリングしてある棚の引き出しで何かが瞬いている。


 ごめんなさい! とハワードに断って開けると、そこには折りたたまれた手書きの地図がしまってあった。


 色褪せた紙に、エーデルブルーメの谷の南側から入り、三番目の小路を左に曲がり、小さな小川を超えた先に、石が四つ積んである目印があると書いてある。オリビアはそれがすんなりルイスの居所だと思えた。


「オリビア。ラインフェルト様を追いかけてどうするのですか? あなたは彼とどうなりたいのです?」


「どうって」


「好きなのですか? 彼が」


 ハワードが聞いているのは、恋愛感情があるかどうかだろう。

 オリビアは首を振る。


「放っておけない人なの、だから、一人にはしたくない」


「それでどうするのですか。犬や猫ではないのです。連れ戻して、あなたが彼の面倒を見るのですか?」


「…………」


「ラインフェルト氏は出ていきたくて出ていったのでしょう」


 出ていきたくて出ていったのだろうか。


 そうは思わない。


 ほんの一月半足らず一緒にいただけのオリビアだが、彼はオリビア以上に孤独を抱えている。

 祖父が亡くなったオリビアには古城ホテルのみんながいたが、ルイスは一人きり。

 彼の側には精霊たちがいるかもしれないが、だって必要だ。


「……ルイスさんにはきっと、居場所が必要なんです。おじいさまがわたしに居場所をくれたように、一人で生きていくのはとても孤独なことだから。だからわたし、放っておけない」


 ここで別れたら、きっとこのまま一生ルイスには会えない気がした。


「お願い、ハワード。行かせてください」


 ハワードは呆れたように溜息をついた。


「一週間」


「?」


「一週間以上休んだら減給にしますよ」


「……ありがとう! それから、帰ってきたら――ハワードに話したいことがあるの」


 このホテルを自分が継ぎたいのだと申し出てみよう。

 怒られるかもしれないし、無理だと言われるかもしれない。

 けれど、自分の居場所のために頑張れる自分になりたいと思った。

 

 祖父との思い出が詰まった大好きなホテルも、オリビアを仲間として受け入れてくれる従業員たちとも、ちょっと厄介なお客様や霊たちとも真摯にぶつかれる人になりたい。


 巣立ちを見守る親のような表情でハワードは苦笑した。


「では帰りを待っていますよ。……行ってらっしゃい」


「行ってきます!」









 ホテルを飛び出して、オリビアは自分が古城ホテル周辺の土地を離れるのが初めてだったことに気が付いた。


 お客様の送迎やご用命で街に出たとしてもあくまで近郊だ。


 祖父やハワードとも何度も歩いたことがあり、霊相手に顔見知りという言い方はおかしいかもしれないが――裏路地には女の地縛霊が立っているので通らないようにしようだとか、煙草屋の奥様には霊が憑いているから目を合わせないようにしようだとか――どこにどんな霊がいるかは大方把握していたのでやり過ごせていた。


 まず、駅に着いたオリビアはごちゃごちゃとした人ごみに圧倒され、多くの人の思念や彷徨う霊の数に気分が悪くなった。


『もしもしお嬢さん。大丈夫ですか?』


「あ、はい。大丈――」


 青い顔のオリビアの肩を叩いたのは血まみれの男性だった。


「――っっ‼」


 叫びそうになるのをすんでのところで堪える。


 そんなオリビアの反応に。男性は満足そうにニタニタと笑った。


『へへっ。びっくりさせちまったか? いやー、俺の姿が見える若い娘さんに会えるなんて嬉しいな。驚かれるのも新鮮な感じだぜ』


 深呼吸をひとつ。


『あ? 無視? びっくりして固まっちゃった?』


「……いいえ。とてもびっくりしました。心臓に悪いので他の方にはやらない方がいいですよ」


『ハハッ、どんだけ驚かせても誰も見えないってぇ! 死んでから二十年、だーれにも気づかれないんだから! 俺って、死ぬ前のあだ名も「幽霊」だったくらい存在感無かったんだけど、「幽霊」が幽霊になっちまいました~なんて笑えねえよなあ』


 男は笑った。

 笑いながら泣きそうな顔をしていた。


「わたしにはちゃんと見えていますよ。帰りにもう一度この駅に寄りますけれど、その時に一緒にいる方にもあなたの姿が見えると思います」


『おお? そうなのか。俺の姿が見える奴が、他にも……っ……』


「わたしは急ぎますので、今日のところはこれで失礼させてもらいますね。もしも次にお会いすることがあれば、また」


 男の霊はついては来なかった。


(ルイスさん、古城ホテルまで来るのはきっと大変だっただろうな)


 オリビアよりもたくさんの霊が見えると言っていたし、流れるような人の多さも疲れることだろう。改めて、彼が古城ホテルで冷静に霊と対話していたのはすごいことだったのだと思い知らされる。


 無視していた時の方が遥かに楽だった。


 自分は今、あの霊に真摯な対応を取ることができただろうか?


 その後も霊に話しかけられることはあったが、どうにかこうにかやり過ごした。


 鉄道の中では乗り物酔いが激しく、霊に気を配る余裕はまったくなくなってしまったけれど、ボックス席に乗り合わせた見ず知らずの人たちに心配されながらどうにかこうにか乗換駅の首都リムレスまで辿り着いた。


 構内には大きくポスターが貼ってある。



〝ロヴェレート地方にお越しの際は、ぜひヴォート城にお泊りを。

 内装の異なる十の部屋と十二の庭園で、四季折々の花と料理をお楽しみください。〟



 描かれている古城ホテルは、静謐に、美しく、喧騒のどこか遠くへ誘ってくれる魅力があった。


 古城ホテルを離れて、たった一人でこんなに遠くまできたんだ。


 故郷にいたころには霊害と偏見に怯えて引きこもっていたわたしが。


 誇らしい気持ちと、それから、やっぱり自分の帰る場所はあの古城だという郷愁の気持ち。帰る場所があるというのはなんと幸せなことだろう。


 そして、オリビアはきっともっと世界を広げていける。


 馴染みの喫茶店を作ってみるのもいいかもしれない。


 たまにはメアリやトニーを誘って外で食事をしてみようかな。


 旅行に行って余所のホテルに泊まってみようかな。


(ルイスさん)


 あなたもきっと、そういう場所が欲しかったんじゃないですか?


 なぜ祖父は客室の一つを他者に与えてしまったのかと思っていたけれど、祖父が本当に救いたかったのはオリビアではなくて――……。



 ◇



「……行ってしまいましたね」


 支配人室にいたハワードは誰にともなく呟いた。


『行ってしまったな』


 その声に、は誇らしそうに答える。


『俺の孫娘はずいぶんと成長したものだ。……俺の友人の養い子も』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る