西から来る嵐⑤
◇
『真珠の間』をノックすると眠そうな母が顔を出した。
オリビアを出せ、とフロントに行かれたり、ハワードに迷惑をかけたりしては申し訳ないからと思って早く来た。午後からは仕事もある。母の用件はなんであれ、午前中に済ませてしまおうと思っていたのだが……。
(今日もいる……)
昨夜見たもやもやしたものはまだ母に纏わりついていた。
なるべくそちらの方を見ないようにしながら、オリビアは口を開いた。
「……久しぶり、お母さん……」
「久しぶりね、オリビア。元気そうじゃない」
屈託のない笑顔がオリビアの心を頑なにさせた。
「いったい何しにきたの?」
母はオリビアが大喜びするとでも思っていたのだろうか。睨むようなオリビアの態度に気分を害したようだった。
「何しにってひどい言い方ね。大きくなった娘に会いに来ちゃいけないわけ? おじいちゃんが亡くなって気落ちしているかと思ったけど、元気そうでよかったわ」
落ち込んだに決まっているじゃないか。
血も涙もない娘のように言われてカチンときたが聞き流す。
「元気よ。毎日楽しく働いているわ」
「あのハワードって支配人に雇ってもらっているんでしょう? なぜ、あなたがこの城を相続しなかったの? 実の孫なのに」
「ホテルの経営にはノウハウが必要よ。孫だからって簡単に継がせるほどおじいさまは甘くないわ。その点、ハワードは長年おじいさまを支えてきた人だから、支配人になって当然の人よ」
「そんなにムキにならなくてもいいじゃない」
母は肩を軽く竦めた。
「……まあ、いいわ。空気のいいところで静養して、もうおかしな幻覚は治ったんでしょう? また家族で暮らさないかと思ってきたのよ。あなただってそろそろ結婚を考える時期だろうし、家族は必要でしょ?」
「結婚って」
オリビアに今のところそんな予定はないが、
「いずれ結婚するにしたって、お母さんたちにはもう関係のないことでしょう? わたし、法律上はおじいさまの娘なのよ」
今さら親のようなことを言わないで欲しいと一蹴する。
結婚するから家族が必要?
親の手なんか借りなくてもオリビアは自立して暮らしているはずだった。
「そのおじいさまが死んじゃったから来たんでしょう? あなた、あのハワードさんに丸め込まれて遺産を奪われているのよ。おまけに若い年ごろの娘が遅い時間まで働かされているだなんて……、かわいそうだわ」
「違うわ。働いているのはわたしの意思よ」
「それは、働かないとこの城にいさせてもらえないからでしょう?」
やっぱり母の事は苦手だ。
オリビアが踏まれたくない地雷を踏みぬいてくる。
「どうして今さら、わたしのことを心配するようなことを言うの? わたしのことなんて気味が悪くて怖いんでしょう?」
もっと早く会いに来る機会はたくさんあったはずだ。
会いに来なくたって、手紙くらい。
なんの音沙汰もなかったから、オリビアは「両親は自分と離れられて喜んでいるんだ」と思ったのだ。
「昔のあれは子ども特有のヒステリーみたいなものだったんでしょう? ママもあの時はちょっとノイローゼだったのよ。あなたにはつらく当たってしまって申し訳なかったと反省したわ。だから、もう一度あなたとやり直したいの」
「わたしは帰らない」
オリビアの今の家族は古城ホテルのみんなだ。
きっぱりと言うと母の瞳は悲しげに揺れた。
「……ママを恨んでいるのね。今さらやり直したいなんて、虫のいい話なのね……」
「お母さん、何しに来たの?」
「何って、あなたに会いに……」
「お金が目当てなの? それとも、わたしが帰らないといけない理由があるの? お父さんは何をしているの?」
発作的に手荷物だけを持って古城ホテルまでやってくるなんて、よほどのっぴきならない事情があるはずだと思ったのだが。
母はみるみるうちに目に涙を溜めた。
「ああ……オリビア……。やっぱりママの事を恨んでいるのね……」
「そういうのはもういいから!」
パリン!
オリビアが叫んだとたん、ベッドサイドのランプが割れた。
(えっ?)
ポルターガイストだ。
母は真っ青になった。
「お願い……オリビア……、もう許してちょうだい……。ママたちが悪かったわ。謝るから、だからもうひどいことをするのはやめてちょうだい」
「待ってよ、お母さん。今のはわたしが割ったわけじゃない」
「ええ、ええ。わかっているわ。わかっているわよ。あなたは何にも悪くないの」
子どもの頃、こんなことは日常茶飯事だった。
でも、今は――古城ホテルに来てからは、感情が高ぶったくらいで物が壊れたりすることなどなかったはずなのに。
「おじいさまが亡くなったって連絡が来てからよ。家の物が勝手に壊れたり、夜中に物音がしたり……、あなたが出て行ってからはやっと落ち着いたと思ったおかしな現象がまた始まったのは!」
「えっ?」
「オリビアは寂しかったのね? ママたちを恨んで、おじいさまも死んじゃったから、それでまた家に悪戯をしているんでしょう?」
「違うわ。わたし、そんなことしてない……」
「大丈夫。大丈夫よ、オリビア。あなたは一人じゃない。だからもう、こんなことはしないで……」
否定の言葉はすぐに塗り替えられる。
信じてもらえない虚しさは、子どもの頃の記憶とも相まってオリビアの心をより不安定にさせた。両親のことなんて忘れようと仕事に打ち込んできたつもりだったけれど、本当はオリビアは彼らの事を強く恨んでいて……、構って欲しくて、それで無意識にポルターガイストを引き起こしていたと?
そんなわけがない。
離れた場所にポルターガイストを引き起こすなんてことはオリビアにできるわけがない。
「もう許して。気がおかしくなりそうなの」
必死の形相で母はオリビアの腕を掴んだが……。
ズズ……と視界の端でうごめく何かを見たオリビアはぞっとした。
母に憑りついていた黒い靄。
残留思念と思しき〝何か〟は母だけではなくオリビアにも纏わりつこうとする。
『負の感情を抱えたものは取り憑かれやすいと言われている』
『きみはそういったものを引き寄せやすそうだから』
ルイスの言葉を思い出したオリビアは身を捩って母の腕から逃れた。
「来ないで!」
カッ、と身に着けていた腕輪が光った。
迫ってきた黒い靄は驚いたように引っ込む。黒い何かは人型を取ろうとしたのか、しばらくもやもやと漂っていたが、諦めたように消えた。
はあはあと肩で息をするオリビア。
母は恐怖に慄いた顔をしていた。
「あなた……、なんなの、今の光は……」
黒い靄を追い払った光は母にも感じ取れていたらしい。
奇妙なものを見る目で見られたオリビアは腕輪を撫でさすった。ルイスのまじないや精霊たちが助けてくれたのだ。そのまま母の制止も聞かずに部屋を飛び出した。
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